娘の高校進学が日本の高校ではなくアメリカになると聞いたのは3年ぐらい前だったと思う。
目標を設定してからは中高一貫教育の学校だったため、誰にも言わずにコツコツと受験に向けた努力をしてきた。
僕にできることと言えば、その専門の塾の経済的なバックアップと塾の送り迎えぐらいだった。
みんなが勉強するから同じ勉強をするのではなく、自分だけの目標に向けて自分と向き合い努力を重ねていくのは並大抵のことではなかったと思う。
そして、迎えた受験の日。
書類と学科の一次試験の合格があって、初めて面接の二時試験に進める仕組みだ。
受験を終えてからはやるべきことはやったという姿勢で結果を待つ感じだったけど、見事一次、二次とも合格の通知を受けることができた時は、家族で歓喜の喜びを共有したのを思い出す。
アメリカの高校進学は主に9年生からと10年生からのスタートのどちらかになるが、娘は9年生での合格となったので、アメリカには4年いることになる。
9月に新学期がスタートするので、それまでに健康診断やビザの申請など慌ただしく準備が進んでいくと、少しずつ離れて暮らすことを実感していく寂しさもあった。
アメリカの留学ビザの面接が全面的にストップするなど異例の事態もあり、最後はハラハラしたけど、ギリギリのところでビザの発行も間に合い、夢の一歩を踏み出す切符を手に入れてアメリカに旅立って行った。
アメリカ行きのときは僕も海外出張などが続いていて、福岡空港で僕が20時到着、娘と妻が20時40分出発の便だったので、2階と3階でガラス越しに電話で見送りした。
今回、入学式に遅ればせながら合流して娘の学校や寮を見ることができた。
9月2日は娘の15回目の誕生日。
生まれたとき、15年後にまさかニューヨークで誕生日を祝うことになるなんて、本当にまったく想像してなかった。
未来は必ずいまの延長にあるわけではないということ。
夢を持つことで、その未来は劇的な変化を遂げた現実を運んでくれる。
先ほど入学式を終えて、最後にハグしてしばしの別れをしてきたけど、寂しさもあるけど、成長して夢に向かって選んだ環境を手に入れた娘を少し誇らしく思えた。

