おかんの遺骨を納骨してまいりました次第です。

と申しましても実装者家には代々の墓がないので、一度納骨したが最期二度と取り出せない永代供養なんですがナ。

「御母堂が亡くなったのは今月の十八日だろう。ちょっと早いのではないか。一般的には納骨は、早くとも四十九日が済んでからと聞き及ぶが」

まあ一般的にはそうなのですが、なにしろ実装者家には『お仏ったん』なる気の利いたシロモノがありまへいでからに、おかんにいててもらうところがないのや。

 

ろくすっぽ、まんまんちゃんがでけへんさかいね。

しゃあよって、初七日を過ぎて早々に納骨させていただいたのです。

三年半前に亡くなったテテ親と同じところなので、今頃はふたありして、

「どうやかかあ。テキんトコいっぺん化けて出て、懲らしめたろか。親を粗末に扱いくさってなあ」

「せやなお父ちゃん。あの親不孝なガキゃいっぺん、ウンコちびるほどおのろかして、ぎゃふんといわしめたらなあかんな」


てな相談をしとんやデ。

しかし残念ながら、ワタイは霊感ゼロ体質なので、化けて出てきても気ィつかんと思うけどね。

さて。ここからは、おかんの死に絡む、ちょっと不思議なハナシをさせてもらお思いまんの。

おかんは四人兄弟の二番目でナ。兄と、弟二人ちゅう構成なんです。

お兄さんつまりワタイにとって伯父は、もう十ン年前に他界なさいましたが、二人の弟つまりワタイにとって叔父連中は、いずれも今年亡くなってまんねん。

このことをよう覚えといておくれやっしゃ。

月初に体調を崩して、入所している老人養護施設から病院に搬送され、ワタイが諸手続きを兼ねて見舞いにいったのが十六日。そのおりはもう、意識がありませんでしたけどナ。

亡くなったのはその翌々日でしたので、「ああなるほど、ワタイの親不孝面でも最期に見られたので、とりあえずは安心し、逝きはったんかいナ」と思うておったのですが、真実は、そうではなかったのや。

なんと、ワタイが病院へ行ったその日が、奇しくもいっちゃん下の弟はんの四十九日やったんです。

おかんのおかん。すなわちワタイからすると母方の祖母は、若くして亡くなったそうでナ。

弟たちの面倒は、すべておかんがみてたワケや。

ちゅうことはあれとちがう?

おかんが安心して逝きはったのは、ワタイの親不孝面をみたことより、子供同然に面倒みてた、末弟の四十九日が滞りのう終わったことのほうが、理由としては大きかったのかと。こない納得した次第なんです。

おそらく、弟二人しておかんのところへきて、「姉ちゃん。もうそろそろ、ええんとちがうか」ちゅうて、連れていかはったんやデ。

 

なんか、書いてて悲しゅうなってきたワ。