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11万人を超える大観衆が、“金色の細工師”の圧巻の走りに酔いしれた。










支持率50%を超える圧倒的1番人気の中、オルフェーヴルと池添謙一騎手はいつも通り冷静だった。








強烈な逃げ馬がいないため、1000m通過が60秒ちょっとと速い流れではなかったが、オルフェーヴルは後方3~4番手で前に行くゴールドシップを見る形で競馬した。








じっくり脚をためて、いつでも行けるよう馬の呼吸をしっかり合わせて騎乗した池添騎手は、3コーナーで早くも仕掛けた。









逃げていたルルーシュが早くも脱落すると、先頭に立ったカレンミロティックをあっさりかわすと、そこから異次元の脚が炸裂した。








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後続馬を一気に引き離し、追ってきたウインバリアシオン(2着)やゴールドシップ(3着)も完全に成す術なしになり、03年シンボリクリスエスの9馬身差勝利に次ぐレース着差2位の8馬身差の圧勝、ラストランに華を添えた。









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「これがオルフェーヴルの“集大成”!」と言わんばかりに、池添騎手はオルフェーヴルに何度もNo.1ポーズを出した。









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オルフェーヴルのあまりの強さに、池添騎手は笑顔が絶えなかった。








産経大阪杯以来のコンビだった池添騎手は、「とにかく馬との呼吸を合わせて乗りました。行きたがる仕草も見せたが、ゴールドシップが前にいたので、“そこ(ゴールドシップの後方)で我慢してくれ!”と馬に伝えました。ちょっと抜け出すのが早いかなと思ったが、抜かれることはないと自信ありましたので、最後までしっかり追いました。」と振り返った。










デビューから3年4ヶ月、これまで幾多のドラマがあった。









G13勝(有馬記念・宝塚記念・朝日杯FS)した全兄であるドリームジャーニーの全弟として話題を呼んだデビュー戦で快勝するも、レース後に池添騎手を振り落とした。








気性の荒らさが災いになり、その後は負け続けた。







東日本大震災が起きた2011年3月、開催を中山→阪神に変えたスプリングSで連敗脱出すると、中山→東京に舞台を変えた皐月賞で快勝、続く日本ダービーも勝利して二冠達成・・・








この時から池添騎手は、「“ドリームジャーニーの弟”呼ばわりは好きじゃないので、“オルフェーヴルはオルフェーヴル!”というところを見せたい。」と兄とは違うところを見せつけようと思っていた。









10月4日、史上初の“無敗三冠馬”シンボリルドルフが亡くなった・・・








三冠達成の権利を得てるオルフェーヴルだが、この年の菊花賞はディープインパクトが無敗三冠を達成してちょうど6年にあたる10月23日にあった。








父・泰郎が育てたディープインパクトから6年、今度は息子の泰寿が6年ぶりの快挙と共に、史上初の“親子三冠トレーナー誕生いうあか偉業にも挑戦すべく、渾身の仕上げで本番に挑んだ。









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ここでも無類の強さを発揮して、05年ディープインパクト以来6年ぶり7頭目の三冠馬が誕生した。








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レースが終わった後、勢い余ってデビュー戦以来池添騎手を振り落とした。








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相変わらずやんちゃな一面を見せることから、オルフェーヴルは“破天荒”と管理する池江泰寿調教師は言った。









この年は有馬記念も勝って、堂々の年度代表馬にも選ばれた。








2012年春は苦難の春となった。







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年初戦の阪神大賞典で、2周目3コーナーで外に大きく逸走・・・







それでも外から一気の捲りを見せて2着に敗れたものの、その底知れない強さにファンは度肝を抜かされた。








ブリンカーを装着して挑んだ春の天皇賞は、これまで見せた力が影を潜め11着と惨敗した。








「このようだと凱旋門賞は勝てない」と、海外遠征が危ぶまれた後に出走した宝塚記念・・・








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オルフェーヴルはようやく本来の力を取り戻し、復活を遂げた。








勝利インタビューで池添騎手は、「やっと本来のオルフェーヴルを見せることができました。」と涙ながら言った。








春2戦は自分のふがいない騎乗に信頼を失ったが、それでも復活することを信じて騎乗したのがようやく実った勝利でもあり、この勝利で凱旋門賞参戦を表明した。









凱旋門賞はこれまで主戦を務めた池添騎手に代わって、スミヨン騎手が騎乗することに。








その前哨戦となったフォワ賞で素晴らしい走りを見せ、日本の悲願達成に大きく近づいた。








迎えた本番の凱旋門賞、最後の直線で一気に抜け出し、日本の悲願が叶う時がきたと誰もが思った・・・












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しかし残り50mで掴みかけた世界の頂は、一瞬にして落としてしまった。








日本中がため息に包まれた瞬間だった・・・。







抜け出した時、ソラを使ってしまったというこの馬の悪い癖が出てしまい、日本の悲願は達成することはできなかったが、世界を相手にこれだけやれたのは大したもので、翌年も参戦することを表明した。









凱旋門賞の後はジャパンCに参戦するも、この年の三冠牝馬ジェンティルドンナに敗れ、年度代表馬もこの馬に奪われた。








ジャパンCが終わった後はアクシデントに見舞われ、有馬記念と翌年の宝塚記念で調教中のアクシデントで回避を余儀なくされた。









思ったようにレースが使えないオルフェーヴルだったが、それでもファンはオルフェーヴルが再びターフに戻ってくれることを待ってくれた。









産経大阪杯以来5ヶ月ぶりのレースになったのは、昨年勝ったフォワ賞だった。









5ヶ月ぶりとは感じさせない圧巻の走りで完勝し、今度こそ日本の悲願達成が見えたと思った・・・









しかし世界はそう簡単に甘くなく、“世界の名牝”トレヴに完膚なく打ちのめされた。








厳しい現実を突きつけられた池江調教師も、完敗を認めるしかなく、その目には込み上げるものも見えた。









この年(今年)で引退することが決まったオルフェーヴルは、ラストランを有馬記念にした。









日本のターフで見られるのは大阪杯以来8ヶ月ぶりとなり、ファンもオルフェーヴルが見られることに喜びを感じ、ファン投票も堂々の1位だった。









オルフェーヴル最後の雄姿を見ようと、中山競馬場に11万人を超える大観衆が集まった。









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ファンの声援に応えるかのように、オルフェーヴルはこれまでの応援に感謝して、強い走りを見せた。










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「引退がもったいない・・・。」と言いたいほどの8馬身差という圧巻の走りで、最後の戦いを終えた。








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オルフェーヴルの背中を一番知ってる池添騎手は、「オルフェーヴルは世界で一番強い馬だと思っています!オルフェーヴルに出会えて本当に良かったです!ありがとう!」と力強く言った。









池添騎手の騎手人生を変えたうちの一頭になり、「その仔が早く乗りたい!」と後継者を楽しみに待ち望んでいた。









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池江調教師も「いい意味で期待を裏切る馬だった。この馬に出会えてくれてありがとうと言いたいです。」と笑顔で振り返った。








「オルフェーヴルの仔で凱旋門賞挑戦は?」の質問には、「あります。その時はちゃんとまっすぐに走ってもらいたいね。(笑)」と冗談混じりに言った。










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いろいろなドラマを残した怪物は最後まで色褪せることなく、3年4ヶ月の戦いに終止符を打ち、次世代に世界の夢を託すことにした・・・。