y一度だけ、天国の父に会いました/その二の二話 の大希にこの家をかってやれ | 一度だけ、天国の父に会いました

一度だけ、天国の父に会いました

そして、不思議なことや不思議なものを、たくさん見せていただきました。

二話 息子の大希にこの家を買ってやれ―――の続き

 

 

 ぼくはこれを「ご霊さまからのテレパシーと念力」によるものだと思います。テレパシーという超感覚的な知覚によって銀行員とぼくの意思が操作されてしまったんです。そうとしか考えられません。

 

 「テレパシーTerepathy」というのは、人の五感や類推などの知覚手段に依らずに外界からの情報を得る手段のこと、とあります。また、「念力(ねんりき)」というのは、一心に思い込むことによって湧いてくる力、というのが一般的な意味です。

 

 しかし、ここでは心霊現象の一つとしてウィキペディアには次のように記述されています。―――英語でSpychokinesisサイコキネシス といい、意思の力だけで物体、物理的な物体だけでなく精神的な思考も含んだ疑念を動かす能力のことで、遠く離れたものを動かす遠隔移動(Telekinesis)を含む―――、とあります。

 

 ぼく自身の体験から分かりやすく言うと、ご霊さまの思いや意思というものが強い「念(ねん、一途な思い)」となってぼくに送られてくると、それを受けたぼく自身の思いというか意志というものが操られてご霊さまが念じたとおりに動いてしまう、ということです。

 だから、後になって「えっ、どうしてこんなことになるの」ということになるんです。

 

 ぼくが体験してきた不思議な出来事の多くが「思いがけない言動をしてしまう」というものですから、自ら湧き出たものではない「念」を受け取ってしまったことによるものなのでしょう。

 

 

                      その二の二話終わりーーーーーーー―

 

その三 動物たちや路傍の石からも「思い」というものを感じる

 

 一話 返事をしてくれたあの世のブーちゃん

 

 とても可愛がられてあの世に旅立ったペットたちは、優しかった飼い主の話し声をそっと聴いているんです。

 

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 息子が22歳で、父親であるぼくが50歳のときでした。その長男息子が長期の地方異動になって成田の自宅に帰ることがないと分かって、妻は息子の部屋にベッドを移動して一人で休むようになりました。妻の睡眠中に起こる大きないびきと、間欠的に呼吸が止まって起こる「ガガ―ッ」という喉からの騒音をぼくが窘(たしな)めたことによる対応でした。

 

 それだけではありません。和室に二つの布団と枕を並べた和風スタイルから、寝起きお楽なベッドによる洋風スタイルへの切り替えでもありました。

 また、この時も「睡眠中に呼吸が止まることがあるから、医者に診てもらった方がいいよ」ということを重ねて伝えていたけれど、妻はなかなか御輿(みこし)を上げることはありませんでした。

 

 ところが、それから2年余が過ぎたある日、どういう風の吹き回しか分からないけれど「友だちと一緒に睡眠時無呼吸症候群の後縁を聴きに行く」と言い出したんです。「おお、それは結構なことだね」と歓迎し、隣町の佐倉市煮る東邦大附属病院で行われる講演会に出かける妻を、ぼくは手を振って送り出しました。 

 

 夕方、ぼくが帰宅するなり妻は「無呼吸症候群の怖さがよく分かったかので、睡眠時無呼吸の診断検査の予約をしてきた」といい、あの重たかった神輿を上げて素直にぼくの言うことを聴くようになった変貌ぶりに驚かされました。

 

 その予約日がきて診断検査が行われた日、ぼくが夕方帰宅すると、自分ベッドに腰を下ろして、何やら酸素マスクのような形をした睡眠時の無呼吸を防止する補正器とやらを手にして浮かない顔をしていたんです。

 

 

 「今日、検査を受けてきたんだろ、どうだったの」と聞いてみると「中程度の無呼吸があるから、寝るときにこのシーパップ(CPAP)というマスクを着けなさい、と言われたけれど、気が進まない」というのです。

                 

 その理由を聞いてみると「このマスクの電動ファンが故障して呼吸ができなくなってしまうのではないか、という恐怖感や鼻さきの異物感で眠れそうもない」というのです。

 「そりゃあ そうだよな。少しづつ慣らしていったらどうなの」と返すと「うん、少しづつ練習してみる」と応えて、マスクの着脱の具合を少し練習してその夜は装着しないで寝床に就いたようでした。

 

 あくる日の夜もマスクを装着して実際に空気を流しながら、その作動具合を確かめていたのでしょう。突然「うお~~っ」という大きな叫び声が聞こえてきたので「どうしたんだ!」と、妻の寝室に駆け寄りました。

 

 すると、恐怖に震えた赤ら顔を向けて「マスクを着けているときに咳き込んだら呼吸ができなくなった。死ぬかと思った」と興奮しています。「大丈夫、だいじょうぶだよ。ちゃんと呼吸をしているよ」と抱きかかえ背中をさすりながら落ち着かせて「今夜の練習はこれで終わりにしよう」ということにしました。

 

 これを機会にぼくは、睡眠時無呼吸症候群、略してSAS(Sleep Apnea Syndrome)について勉強してみようと思いました。

 

 SASは、就寝しているときに舌の付け根の舌根部(ぜっこんぶ)や軟口蓋(なんこうがい)と呼ばれる歯肉の内側の一番奥の部分が軌道に落ち込んで、上気道を閉塞させてしまう気道閉塞型 と呼ばれるタイプが殆どで、妻もこのタイプに該当しますよ、と言われたようです。

 

 その結果、睡眠中のいびきの発症や呼吸の停止、あるいは中途覚醒などを何回となく引き起こす、とされています。そのまま放置していると、昼間の強い睡魔に留まらず、吸う真鍮の低酸素状態に陥って血圧が上昇したり、巨結成の心疾患を発症させたりする引き金になる、ともされてています。

 

 無呼吸症状の程度は、睡眠ポリグラフ検査と呼ばれる検査法で行われており、1時間当たりの無呼吸回数と低呼吸回数の和を睡眠時間で除した無呼吸低呼吸指数AHIという指数で示されて、その程度を評価しています。

 妻の場合はAHIが30と診断書に記されていて「中程度」と説明されていました。

 

 この舌根部と軟口蓋による気道への落ち込みにより起こる無呼吸状態を解消する矯正機器がCPAP(シーパップ、Continuus Positive Airway Pressure)と呼ばれるものです。文字通り連軸的気道陽圧器と訳されて、圧力を高めた空気を鼻の穴から肺に連続的に流して、落ち込んだ舌根部と軟口蓋を押し広げて気道を開放します。                                                         

                                                               

 従って、吸気圧力が必要い以上に高かったり風邪をひいて咳き込んだりと体調がよくないときは、使用を避けた方が良いとされています。連続的でなく患者の呼吸パターンに応じて自動的に圧力を調整してくれるAPAP(エーパップ、Auto PAP)というのもあるようですが、病院のレンタル機器はCPAPだけでした。

 

 また、下顎を前に出して気道を確保するマウスピースもありますが、妻のように

中程度の患者には目的を果たせないようです。

 

 では、マウスピースでは用をなさないし、CPAPには恐怖感を抱いているような妻にはどのような矯正法があるのでしょうか。しばし考えているうちにぼくは、あることを思い出したんです。

 

 それは、睡眠中に大きないびきと無呼吸を繰り返している妻と枕を並べて和室の六畳間で寝ていたころ、顔を上に向けてガーガーと騒音を発している妻の頭を小突いて横を㎥貸せると、その騒音がピタッと消えて大人しくなることでした。

 

 「お前、横を向いて寝ればいいんじゃないの」と持ち掛けると「えーー」と語尾を上げて「横を向いて寝たことなんかないよ」と言い返したんです。「ガーガーやっているおまえの頭を横に向かせるとピタッといびきが止まるし、呼吸だって止まることもないよ」とダメ押ししても、まだ不安顔です。

 

 そこでぼくの書斎にあるPCで「翼向き寝寝具」とネット検索してみると、翼向き用の枕や大きなバナナのような形をした横向き用の抱き枕など多くの横向き寝のグッズが市販されていました。

                    

 それらの画像を妻に見せながら「先生に状況を話して意見を聞いてみたらどうだい。横を向いていびきをかかなくなればいいのだから、横向き用の枕と抱き枕を購入して試してみたらいいじゃないか」とアドバイスすると、みるみるうちに妻の顔が安堵の色に変わっていきました。

 

 その時です。「にゃー」と猫の大きな鳴き声がぼくの右側の耳元でしたんです。あまりにも耳元の近くだったので思わず右耳の耳殻(じかく)周りを右手で払いのけたのですが、猫はいませんでした。

 

 一度きりのその猫の鳴き声は、とっさにブーちゃんだと思いました。半年ほど前に亡くなってあの世にいるブーちゃんが、ぼくと妻の会話を聞いていて「その通りだよ」と応えてくれたのだと思いました。傍(かたわら)にいた妻にはその鳴き声は聞こえなかったようで、怪訝な顔をぼくに向けるだけでした。

 

 ぼくの愛猫ブーちゃんは、白地に黒のぶち模様をした毛足の長い大型の洋猫で、毎日、ぼくと寝起きを共にしている癒しの猫ちゃんです。だから「ブーちゃん」と呼べば「ニャー―っ」と応える「ブー・ニャーの仲」でした。

 

 ブーちゃんは、長女がカナダの留学先から帰国したときに一緒に連れて来られた帰国猫 ですから、ぼくがブーちゃんと暮らすようになってから かれこれ十数年になります。猫の平均寿命は15年余と言われているので、ブーちゃんもよる年波には勝てずに、最近めっきりっ年寄りじみた歩き方になってきました。

 

 近所の獣医師に身体の具合を視てもらうと「糖尿病ですね」と診断されて2日間の入院となりました、。退院の日に「院内治療しても回復が難しいから、インシュリン注射をしてあげてください」と、注射器セットを渡されました。

 

 それを受けて自宅では朝と晩の2回、ブーちゃんを胡坐(あぐら)の上でお腹が見えるように寝かせて、お腹の皮を指で摘まんだその先に注射針をチクッと刺して、注射器の二目盛分を注射していました。

 

 ある日、「ブーちゃん、注射の時間ですよ」と声をかけながらお腹の皮を摘まんだところ、その日に限って、何か言いたげな上目遣いの大きな目をぼくに向けて、身動き一つすることなく、じーーっとしていたんです。

 

 それがあまりにも長い時間だったので「なーに、どうしたの」と声をかけたんです。そしたらその目を伏せてしまいました。ブーちゃんのそのしぐさから、何かぼくに話しかけたいことがあったのかも知れないな、と思いました。

 

 それから数日後、ブーちゃんは静かにあの世に旅立ってしまいました。だから、あのときの「にゃー」の一声は、「横向きで大丈夫だよ」という睡眠時の無呼吸で奮闘しているぼくと妻に対する応援コールであると共に、「あの世で元気にしているよ」というブーちゃんからの近況報告のように聞こえました。

 

 その後、妻の横向の寝像について先生に相談したところ「いびきや無呼吸が起きなければいいんじゃないですか」との了解が得られた妻は、翼向き抱き枕を購入し、既存のソファークッションを背中に当てるなどして上を向けない姿勢で就寝しています。その対策によって、就寝中のいびきと無呼吸の頻度がとても少なくなりました。

 

 でも、あの世にいるブーちゃんがぼくと妻との会話を聞いていたかのように、あのタイミングで「にゃー」と泣いたのはどうしてでしょうか、なんだか猫のブーちゃんも人と同じように「亡くなった後の魂から発する思い」というものを持っているような気がしました。

 いつまでも飼い主のことを忘れないでいるんですね。

 

 そんなことがあってから、あの世のブーちゃんはぼくの枕もとで「スースー」と猫独特の寝息を立てたり、あのぷにょぷにょした肉球でぼくの足の甲を踏んでいったりと、しばらく僕の傍にいてくれました。

 

 哺乳類の動物である猫にも人と同じような「こころの思い」というものを抱いていて、亡くなると人と同じようにご霊さまになって、自分の気持ちや意思を優しかった飼い主に伝えてくることがあることを知りました。

 ブーちゃんはとても優しい気持ちを持っていたんですね。

 

 

 二話 気持ちが伝わってきた路傍のお地蔵さま

 

 毎日のウオーキングで「おはようございます」と挨拶をしていた路傍のお地蔵様ですが、その日に限って、その前を黙って素通りしてしまいました。すると「挨拶を忘れているよ」と呼び止められたんです。

 

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 66歳になった頃のぼくは、自分が設立した宅地建物取引業アイビー社を他人に譲り家にいるようになって、毎朝、1時間弱ほどのウォーキングに出かけるようになりました。雨風が強い日は見合わせるにしても、きょうは宗吾霊堂方面へ、明日は成田日赤病院方面気といった具合に歩く地域を変えて出かけていました。

 

 宗吾霊堂へ向かう道の途中に小さな祠(ほこら、神を祀(まつ)った小さなやしろ)があり、中には一体のお地蔵さまが祀られています。ぼくと同じような年恰好の見知らぬおじさんが、そのお地蔵様の前に立ち留まって帽子をとった頭を下げてお参りしている姿を見て、ぼくもそれを真似て帽子をとり「おはようございます」と頭を下げて挨拶をするようになりました。

 お地蔵さまというのは仏教でいう地蔵菩薩のことで、「大地がすべての命を育む力を蔵する」ことから名付けられたと言われています。厄災をなくして子孫繁栄を願う住民の守り神の「道粗神」、つまり、路傍の神として道端に祀られた民間信仰の石仏なのです。

 

 そのお地蔵様の背丈は1メート宇50センチほどで、特別な大きさではありません。しかし、そ のお顔をよく見ると、写真などでよく目にするお地蔵さまと違って、目や鼻といった顔の造作の彫り方がかなり大雑把なのでのっぺりとしています。

 

 だから、大切なその表情が伝わってこないので「ずいぶんと粗末なお地蔵さまもあるものだな」とおもいながら挨拶をしていました。

 

 平成26年の11月でした。いつものようにウォーキングに出て宗吾例dぷに向かいました。「もうすぐお地蔵さんだな」と思いながら歩いていくと、突然、バタバタ という音が聞こえてきて、フッと気付くと、ぼくはそのお地蔵さんの前を通り過ぎていたんです。

 

 何か別のことを考えながら歩いていたようで、お地蔵様の前に差し掛かったことに気付くことなく黙って通り過ぎてしまったようでした。「おっと、いけねえ」と、お地蔵様の前まで5,6歩後戻りをして「おはようございます」と頭を下げてからコースに戻りました。

 

 それに気付かせてくれたあの バタバタという音は何だったのか、と後ろを振り返ってみると、舗装されていない別の細道を歩いてきたおばさんが、自分の運動靴の底に付着した泥を払おうとしてバタバタと路面に足をばたつかせていた音だったのです。

 

 絶妙のタイミングで聞こえてきたこの音が、お地蔵様への挨拶を忘れていたぼくに気付かせてくれたのだから、この音があたかも「お前、挨拶を忘れていないか」とお地蔵さまから注意されたように聞こえたんです。

 

 だからすぐに気づいたんだけれど、でも「まさか、そんなことってないよね」なんて一人苦笑いをしてしまいました。

 そんなことがあってから、このお地蔵さまがとても身近に感じられて、花を咲かせた自宅の草花を摘み取ってお地蔵さまに手向けたりしていました。 

 

 それから数ヶ月余が過ぎた春先の温かな朝でした。宗吾霊堂へのウオーキングに出てそのお地蔵さまのところにさしかかったとき、自転車のサドルから腰を下ろした男子高校生と話をしている柴犬を連れた見知らぬおばさんが、ぼくの顔を見るなり話しかけてきたんです。

 

 「あそこにいる猫がカラスにやられて可愛そうだ」と田んぼの方を指さして言うんです。その指さす先に目をやると、農閑期のために水のない田んぼの中に大きなトラ柄の猫が横たわって動かないでいます。

           

 目を凝らすと、顎の辺りに白い骨がむき出しになっていて、とても痛々しい姿です。「何とかしてやってくれ」と、そのおばさんがぼくに声をかけてきたのですが、その気持ちがよく分かりまっひた。

 

 2年ほど前に愛猫ブーちゃんを亡くして、代わりにトラ柄猫のぬいぐるみを抱いて寝るほど猫好きなぼくと敷いては拱手傍観(きょうしゅぼうかん)というわけにはいきません。「分かりました」とばかりに首を縦に振ってコースに戻りました。

 

 力強い返事をして引き受けてはみたものの、ぼくがこのトラちゃんを田んぼの中から運び出して、やたらなところに放置するわけにもいかず、どうしたらいいものやら、と歩きながら考え込んでしまいました。

 要は、野垂れ死に状態になっているこのトラちゃんを、火葬に付してちゃんとご霊さまにしてやればいいはずです。

 

 帰宅するや否や、野垂れ死にしているトラちゃんの処分をどのようにしたらいいのか、と市役所に電話をしてみました。すると、環境クリーン課に繋いでくれました。「田んぼの中で野垂れ死んでいる猫の遺体を引き取って欲しい」とお願いしたところ「分かりました」という返事が返ってきて、あのお地蔵さまのところで待ち合わせることにしました。 

 

 定時に二人の担当者が見えましたが、田んぼの中で横たわるトラちゃんを目にするなり「田んぼという私有地の中のものは引き取れません」と一人の方が言い出したんです。「じゃあ、ぼくがここまで連れてきますよ」ということで了解してくれました。

 

 「ぼくが田んぼの中に入るなんて、とんだことになってしまった」と思ったけれど、可愛いトラちゃんのために乗り掛かった舟です。農閑期のために田の中に水は引かれていませんでしたが、多少ぬかるんだ畦道を担当者から手渡された大きめのスコップを手にしてゆっくりと進み、少し低くなった田の中に2歩ほど足を踏み入れてトラちゃんに近づきました。

 

 「トラちゃん」と声をかけながら、身体の右側を下にして横たわるトラちゃんの後ろ左足を掴んで引き寄せ、手にしたスコップに乗せてゆっくりと、ゆっくりと広い道に運び出しました。

 

 そして、市の担当者が用意していた白いビニール袋に冷たくなっているトラちゃんを収めて引き取ってもらいました。「ありがとうございます」と頭を下げて担当者が引けた後「トラちゃん、よかったね」うるんだ目頭を押さえながら安堵しました。

 

 でも、自分の田んぼでもないところに入り込んでカラスにやられてしまったノラ猫を助けてやってくれと死に頼んできたぼくを見た職員は、さぞかし「ずいぶんとお節介な奴だな」と、奇異な目で見ていたに違いありません。

 

 翌日の朝、そんな出来事を話しながら妻と朝食を摂っていると、突然、つつ――っと鼻から鼻水のようなものが流れ落ちそうになったのです。慌ててティシューで押さえたのですが、何とそれは鼻水ではなくティシューを赤く染めた鼻血だったのです。

 赤く染まった5枚ほどのティシューを見て「何なの、この鼻血は」と、とても驚きました。

                    

 若いころは珍しくなかった鼻血ですが、還暦を過ぎた今となっては蓄膿症の黄色いウミが混じることはあっても、鼻血の痕跡すら見ることがなくなっていたのですから。赤く染まったティシューを手にして鼻血、はなぢ、ハナヂとつぶやいていたら、はなぢ=ぢぞう=ぢぞうさん=地蔵さま に繋がりました。

 

 何気なく言葉の尻取りをしていたら地蔵さまに繋がってしまいました。どうして尻取りなんかを始めたのか分かりませんが、ぼくが挨拶を忘れてお地蔵さまの前を通り過ぎたときに、バタバタという靴音で通り過ぎてしまったことを教えてくれたことを思い出したんです。

 それと同じで「そうか、この鼻血はあのお地蔵さまからのサインだな」と気付きました。

 

 道行く人たちに厄災が起こらないように、という願いを込められて祀られたお地蔵さまにしてみれば、自分のテリトリーにある田んぼの中で乱暴なカラスに襲われたトラちゃんのことがとても不幸なことだ、と心痛な思いで見ていたに違いありません。 

 

 真っ白なティシューを真っ赤に染めた鼻血は「トラちゃんを助けてあげてありがとう」と、そんな思いをぼくに伝えてくれました。お顔の表情もはっきりしないし、いつもじっとしているお地蔵さまでも、人と同じような「慈愛の思い」を抱いているのではないかな、と感じました。人と比べたらとても僅かかもしれないけれども。

 

 そうか、石であれ木であれ、仏さまの形を作り、弱い者に対する深い愛情である慈しみの思いを込めてあげると、お地蔵さまになるんだな、と理解しました。

 

 その後もこのコースのウオーキングは続けていますが、あの柴犬を連れたおばさんと再会することはありませんでした。「何とかしてやってくれ」とおばさんから頼まれたトラちゃんを、市の担当部署に連絡して野垂れ死にすることはないようにお願いしたことを伝えたかったのに。

 

                           この章終わりーーーー

 

 

その四 手も足もないのに物を動かしたり隠したり

 

 一話 書棚に並べられたファイルを斜めにして 

 

  お客さまからお預かりした委任状が、事務所内のどこを探しても見つかりませんでした。諦めようかと椅子に腰を下ろすと、ピンポ~~ンとチャイムを鳴らして出入り口のドアがひとりでに開いたんです。

 

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 日本航空を早期退職したぼくは、JR四街道駅から徒歩で10分ほどのところにある事務所を借りて、概ね予定通りにアイビー不動産の看板を掲げることができました。平成11年の夏でした。

 成田の自宅から車で1時間余と少し距離が離れていたけれど、 しかし、駅前に続くメイン通りに面した角地で、しかも人通りも多かったのでここに決めました。

 

 その好立地のために月額の賃料も破格の13万5000円だったけれど、この何倍もの商売をすればいいんじゃないか、という意気込みでした。

 

 しかし、不動産取引の実務経験どころか、自分で商売をしたことすらまるでないずぶの素人社長とその女房という素人経営者だけの「第二の人生」は、母からも息子からも「大丈夫なのかよ」と心配顔を向けられるくらい危なっかしいヨチヨチ歩き の船出でした。

                                                                                      

 でも、不動産取引業を切り盛りするには、その実務経験が一つでもなければ成り立たない、というわけではないのです。というのは、不動産取引に関する宅地建物取引業法は熟知しているし、しかも、不動産取引は売り手と買い手の双方の業者で重要事項の説明や契約の手続きを進めていくからなんです。

 

 だから、最初の取引で「私は実務経験が全くないので、お手本を見せて頂きながら進めてください」と頭を下げてお願いしてみようというつもりでした。そのようにすることで、次回の取引からそれをお手本にしてすすめることで、一人前の社長としての振る舞いができるのではないか、と踏んでいたんです。

 

 そんなわけで最初の相手業者が三井とか住友といった大手不動産会社の取引主任者であって欲しいな、という希望を持っていました。なまじ町中にあるようなおやじ不動産屋では「こんなもんだよ」といった大雑把な実務では、自分の勉強にならないな、と思っていたからなんです。

 

 しかし、そんな希望はおいそれとかなうわけがなく、同業者の挨拶回りや地帯取引やらに追われる日々でした。2年ほど経ったある日、香川さんという中年の男性が「土地の売却をお願いしたい」と、事務所に見えました。

 

 話を聞いてみると「この土地の所有者は渡部という人です」と言いながら、1枚の委任状をテーブルの上に差し出したんです。香川さんは所有権者の渡辺さんの代理人になってこの土地を売却したいというご依頼です。

 

 委任状には顔写真のついた本人確認ンp書類が必要ですが、それは契約時に準備していただくとして、その委任状を預かると共に土地の売買にかかる媒介契約を交わしました。

 

 レインズ(REINS,Real Estate Information Network System)という不動産流通ネットワークにその情報を流して、買い手が現れるのを待ちました。50坪ほどのその土地は、道路付けもよく、手ごろな価格だったので間もなく買いたいという人が現れたのです。

 

 しかも、その媒介業者が希望していたあの住友不動産だったので「ああ、希望が叶えられてよかった」という思いでした。「買い手が早く見つかってよかったね」と、初めての専任物件がうまくいきそうなことを女房と一緒に喜んだのです。

 

 契約に日時も2週間後に決まって「香川さんから預かったあの委任状を見てみるか」と、書棚から「お客様預かり書類」と背表紙に記されたファイルを取り出して「確か、ここに入れたよなあ」と表紙を開いtみました。

 

 ところが、つい先日の話だから、あの委任状はこのファイルの一番上にあるはずなのに、なかったんです。「あれ?と思いながら2ページ目、3ぺージ目とめくってみたけれど、あの香川さんから預かった委任状はそのファイルの中になかったんです。

 

 「おかしいな、確かここに挟んだのなあ」と、隣のファイルを手に取ってページを開いてみたけれど、そこにもありませんでした。所有権者渡辺さんの代理人になる香川さんが契約者となるのですから、香川さんが渡辺さんの代理人であることを証明する委任状がどうしても必要なんです。

 

 香川さんに頭を下げて委任状の再発行をお願いすればいいことなのですが、そうなれば「文書管理をもっときちんとしてくださいよ」と苦言を言われ、アイビー不動産の信用に疑念を持たれかねず、どうしても探し出さなければなりません。

 

 「今日は残業だな」と女房に告げて、閉店後、女房の手も借りながらあの委任状をことさら探し出すことにしたんです。書棚の左端からぼくが、右端から女房が、という具合にファイルというファイル、書類という書類のあらゆるものの隅から隅まで探しました。でも、あの委任状を手にすることはなかったんです。 

 

 どっかとカウンターの椅子に座り込んで壁に掛かった時計を見ると、もう9時を回っていました。それを見たぼくは「香川さんにお詫びして再発行してもらおうか」と弱音を吐いて大きなため息をつくと「仕方ないわね、だらしがないんだから」と女房も疲れ切った声でぼくに向けての苦言を返してきたんです。

 

 その時です。出入り口の自動開閉ドアがちゃいうを鳴らして開きました。「誰?」とドアの方に目をやったのですが、誰もいません。ひとりでに開いたのです。数秒後に再びチャイムを鳴らしながらドアは自動で閉まりました。

 

 何らかの拍子でドアセンサーが誤作動をしてひとりでに開いたり閉まったり、というようなことは今までにも何度かあった事なので「またか」と、気にも留めませんでした。

 

 

 ところが数秒後、またドアがチャイムを鳴らしてひとりでに開いたんです。「えっ?」という思いで振り向いたけれども誰もいません。そして、再びドアはひとりでに閉まりました。

 こんなに短い時間内で2回も立て続けにドアが開いたり閉まったりしたことなんて、今までになかったことなんです。

 

 「あれ、どうしちゃったの」とぶつぶつ言いながらドアの方に向けた視線の中に映ったのは、整然とファイル類が並ぶ中で、1冊のファイルだけが斜(なな)めになってせり出していたんです。「何で斜めになってるの」と不思議に思いながら椅子から立ち上がってそのファイルを手に取ったんです。

             

 紙上研修会綴り」と背表紙に記されたファイルを開いて1ページ、2ページとめくってみると、あ、あったんです。あの委任状がここに綴じられていたんです。2穴のファイル穴にきちんと通されていました。

 

 「何でこんなところにあるの」。まるでキツネに摘ままっれたようで合点がいきません。事務所内にあるすべてのファイルの巻頭ページから5,6ページにわたって点検したのですから、見落としたということは決してないはずです。

 

 例え見落としたとしても、この委任状が綴じられていたのが「お客様預かり書類」ではなく「紙上研修かい綴り」のファイルに綴じられていたことが不思議でならないのです。斜めにせり出していたことが、まるで「このフィルを見なさいよ」と言われたようなものだからです。

 

 あの出入り口の自動ドアが2回も立て続けて開いたことが、あたかも、目に映らないご霊さまが入ってきて、書棚にあるこのファイルを斜めにせり出して、再びドアを開けて出て行ったように見えるんです。

 

 しかし、目に映らないものが自動ドアの開閉センサーに感知するのだろうか、という疑問はの頃ます。でも、手足のないご霊さまがこのファイルを斜めにせり出したのですから、自動ドアを開けるくらい朝飯前なのでしょう。

 

 合点のいかなことがもう一つあります。ぼくはこの委任状を「お客様預かり書類」のファイルに綴り込んだはずなのに、まったく別の「紙上研修会綴り」のファイルから見つかったことなんです。

 

 ぼくが誤って綴じ込んでしまったのか、それとも、きちんと「お客さま預かり書類」のファイルに綴じ込まれていた委任状を、ご霊さまが「神隠し」のような超常現象によって、瞬時に、「紙上研修会綴り」に移動させたのか、のいずれかだろう、ということです。

 

 前者なら思い違いと思われる委任状のあり場所を教えてくれた「ご加護」っと言えますが、後者の場合は単なる「ご霊さまの悪戯(いたずら)としか見ません。

 いずれにしても、ご霊さまの霊力の凄さを垣間見たようでした。女房にそんなことを話したら「ただの勘違いでしょ、ばかばかしい」と一笑に付されてしまいました。

 

 

 二話 温湿度計が壁から落ちて知らせてくれtこと

 

 鍵穴の形をした溝に杢ねじの頭を入れてぶら下げる構造をした壁掛け式の温湿度計なので、壁から落ちることは絶対にないはずなのに、目の前に落ちてしまいました。ご霊さまは何を知らせたかったのでしょうか。

 

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 平成28年2月21日 日曜日の夕方、夕食の支度を始める5時の少し前の4時40分頃でした。その時刻を正確に覚えているのは、平成26年5月に縫出血で倒れてっ不自由な身体になってしまった女房に代わってぼくが食事の支度をすることになったからです。

 

 ぼくの書斎にあるPCのプリンターの前に立って、横に並んでいる事務机の引き出しを開けて、かがんだ姿勢でその中をあれこれと探し物をしているときでした。とつぜんに「カシャ」という鈍い音が右手方向から聞こえてきました。

 

 とっさにその方向に目をやると、何と、プリンターの後ろの壁に引っ掛けられていたタニタ社製の温湿度計が、印刷用紙サポーターに保持されている何十枚かの用紙の上に落下していたんです。

 「あれ、地震でもないのに何でこんなものが落ちたのか」と手に取って温湿度計を裏返してみたんです。しかし、壁に取付けた杢ねじに引っ掛けるための鍵穴マークの上下を逆にしたような溝には、これといった不具合はなかったのです。その横には小さな商品シールが貼り付けられていて、商品番号はTT-536と記されていました。

 一方、壁にねじ込まれた杢ねじにも、緩みといった不具合はありませんでした。そこで、その杢ねじの頭にあるクロスの溝にドライバーを当てて少し緩め、再び締め付けてみました。

 

 このように壁に掛けられた温湿度計の引っ掛け機構には何ら不具合はなく、引いても、揺らしても絶対に壁から落ちることはないのです。

 

 ところが、その日、突然にその恩湿度計が壁から落ちてしまいました。触りもしないし、揺れもしないのに、ひとりでに落ちてしまいました。その場面をぼくは目の当たりにしたんです。どうしてぼくの目の前で落ちたんでしょうか。

 

 壁にねじ込まれた杢ねじが突然に緩んだのでしょうか。いいえ、杢ねじには何の緩みもなくしっかりとねじ込まれていました。試しにこの温湿度計をその杢ねじにかけてみましたが、何の不具合もなくしっかりと書けることができました。

 

 じゃあ、何でこの温湿度計が壁から落ちたのか、どう考えても、ぼくは合点がいかなくなりました。温度計の引っ掛け溝も、壁にねじ込んだ杢ねじにも異常のないのにこの温湿度計が壁から落ちるには、7ミリほど持ち上がって手前に引かなければならないからです。でも、誰もそんな作業をしていません。

 

 ということは、ひとりでに7ミリ浮き上がり、ひとりでに手前に倒れた、ということです。でなければ、この温湿度計は下に落ちないのです、学校で習った物理学の法則から考えてそう考えないと下に落ちないのです。まさか、映画ポルターガイストのような特殊撮影の場面じゃあるまいし。

 

 ぼくが目にしたのは映画の場面ではなく、現実に目の前で起きたことです。「そんなバカな」と思うのですが、現実にこの温湿度計が壁から落ちたんです。ちょっと背筋が寒くなってきました。

 

 このような近代の物理学でさえも応えの出ないようなことは、きっと、ご霊さまがなさったことだと思います。このような摩訶不思議なことを多く体験しているぼくにしてみれば、絶対に落ちることのない温湿度計が目の前で壁から落ちたということは、何かを「お知らせ」したいことがあるに違いないんです。

 

 新潟にいる息子のところで何かあったのだろうか、嫁に行った娘に電話をしてみようか、と不安な気持ちがよぎります。「イヤ、その前に女房の様子を見てみよう」と、女房の部屋を覗いてみることにしました。

 

 部屋のドアを開けて廊下に出ると、ちょうどトイレから出てきた女房と出くわしたので会話を交わしました。「何か、変ったことはないか」と問いかけると「ここ2,3日体調がよくない」という思いがけない返事が返ってきたんです。見れば、ぼくに向けた顔にも何か生気がないように伺えます。

 

 「えっ、どんな風に調子が悪いのか」と顔色に気遣いながらぼくの書斎に招き入れて椅子に座らせました。すると「最近、疲れがひどくて身体の力が入らないの。今まで休むことなく往復できた公園までの歩行リハビリが、途中で2回も3回も休憩しなければならなくなったの」と打ち明けてきたのです。

 「あ、これがあの温湿度計を壁から落とした理由だな」とぼくは合点がいきました。

 

 思いもしなかった女房の体調不良に話に耳を傾けていると「お父さんに打ち明ければ心配をかけるだけなので、言えなかった」と泣き出しそうです。「確かに心配はするけど、その原因を考えてみて、手に負えなければ医者に診てもらえばいいんじゃないか」と応えて、ぼくはまず、今、服用している薬剤の副作用を疑ったのです。

 

 何らかの処方薬を服用しているときに発現したこの体調不良に対して、先ず、疑うべきことはその薬剤の副作用だということは、かつてのぼくが罹ったことのある神経症の治療薬から得られた常套手段によるものなんです。

 

 すべての薬剤には歓迎しない副作用というものがあって、目的とする効果と副作用との一定のバランスで成り立っていることを肝に銘じていたからです。

 

 いま、女房が服用している薬を聞いてみると、リリカという名前のカプセル状の薬で、脳卒中後に現れる神経障害性の疼痛に対する治療薬です。これを昨年の10月から1カプセル25ミリを1日1回割で飲んでいましたが、28年2月から1日2回に増量して飲んでいることが分かりました。

 

 「じゃあ、具合が悪くなったのは2月になって1日2カプセルに増やしてからだね」と念を押すと「そうです」と女房は顔を縦に振りました。

 

 そこでぼくは、医療品リリカカプセルの製品情報を記載した添付文書をネットで開いてみました。すると、副作用の欄の頻度1%以上という欄に「疲労、歩行障害」と、頻度0.3~1%未満の欄には「無力感、倦怠感」と記されていました。

 

 去る1月の末に女房の診察に付き添ったとき「1日あたり1カプセルで効果がなければ1カプセルの倍の50ミリに増やすけれど、それでも効果がなければ中止します」という医師の言葉を思い出したぼくは「リリカの副作用が考えられるから、中断して様子を見てはどうか」と提案sh痰です。

 

 そこで「そうね」という返事が返ってくると思いきや「先生に無断で中止することはできない。先生に聞いてみる」と、電話を掛けようとするので「この時間帯は先生に繋がらないよ」と女房をたしなめたんです。 

 

 「次回の診察のときにこの経緯を話して、リリカを中止したことを伝えればいいのではないか」と言い聞かせたのですが、女房の顔は晴れません。手足に不快なしびれと痛みを感じている女房にしてみれば、この薬の効果に対して強い期待を持っていることが伝わってくるんですが、ぼくとしては、この薬の効果と副作用のバランスがとれていないことが頭の中をよぎるのです。

 効果よりも副作用の方が強く現れているように見えるからです。

 

 確かに添付文書を読み進めると「投与を中止する場合は少なくとも1週間以上かけて徐々に減量すること」とあるから急に止めてはいけないようです。「なるほどね」と女房の心配も分かるので、処方してくれた調剤薬局に電話を入れてみました。

 

 日曜日にも係わらず女性の薬剤師に繋がったので「リリカカプセルを1日2カプセルに増やしたら倦怠感や歩きにくさという副作用が出た女房なんですが、中止してもいいですか」と率直に聞いてみたんです。

 

 すると「薬剤師の私には中止してよい、とは言えません」という返事が返ってきたのです。患者本人と医療従事者向けの添付文書に「次のような副作用が認められた場合は、必要にい応じて減量、投与の中止等適切な処置を行う」とあるのに、薬剤の専門家である薬剤師が副作用によるであろう苦痛を患者から申し出されても、適切な処置を指示できないのは「どうしてなのか」とぼくは声を荒げました。

 この薬を処方してくれた薬局の薬剤師であるにもかかわらず、です。

 

 薬の処方は医師の専任事項だけれど、副作用などが強く出た場合は、患者本人や医療従事者がその投与の中止を含めた適切な処置をとることができる、と解釈できるのです。

 ましてや、日曜日の今日は担当医と繋がらないし、明日の月曜日に診察を受けようにも予約をしていないので何時に診察を受けられるのか分からないことなどを考えたとき、適切な処置を受けるべき時期を逃してしまうことになりかねません。

 

 ここは処方してくれた薬剤師の意見を聴きながら、患者本人とその配偶者であるぼくの責任で中止することがベストだと考えたからです。

 

 すると「しばらくお待ちください」と言われて受話器を置きました。数分すると電話から声がして「1日150ミリを超える場合は1週 なんとありがたい出来事だったでしょうか。間以上かけて徐々に減薬するのですが、それよりも量が少ない場合はその必要がありません」という返事でした。

 「では、今夜の分から中止していいですね」と問いただすと「そうです」という返事が返ってきました。そのやり取りを聞いていた女房は、大きく頷いて白い歯を見せるようになりました。

      

 何とありがたい出来事だったでしょうか。脳卒中の後遺症である不快なしびれや痛みを何とかしたいというときに処方されたリリカでしたが、思いがけない身体の不調に襲われて不安が募り、苛(さいな)まれて一人悶々としていたのでしょう。

 これ以上心配をかけたくないと、夫であるぼくにでさえ打ち明けずにいたに違いありません。

 

 そんな女房の心境を見かねたご霊さまが、ぼくに合図を送ってくれたのです。いずれ分かることだと思うけれども、早く女房のことを見てあげろ、と言わんばかりに、決して落ちることのない構造をしたこのタニタの温湿度計を壁から落としたのです。

 

 手もない脚もないご霊さまが7ミリ余持ち上げてから手前に引くという霊力を使ってです。それを目の当たりにしたぼくは「落ちるわけがない」と気付いて「何かあったのか」と感じ取ったのです。

 

 ただ書棚に立てかけていた本や置物が下に落ちたのでは「まま、あることだよな」と緊迫性など感じ得なかったでしょうが、構造的に絶対に落ちることのない温湿度計がぼくの眼の前に落ちたことで「ただ事じゃないな」とぼくに気付かせてくれたのです。

 こんな風にご霊さまの「思い」と触れ合えたことに、とても驚かされました。

 

 とても驚かされたのはそれだけではありません。手もなく足もなく、しかも目に映らない透明のご霊さまが、この温湿度計を7ミリ持ち上げて手前に引く作業をぼくの身体に触れんばかりの至近な距離で行っていたのではないのか、ということなんです。

 

 しかし、ご霊さまがそんなに近くにいたという気配、例えばかすかな音が聞こえたとか、空気が揺れたとか、はまったくありませんでしたけど。じゃあ、どうやって持ち上げたのだろうか。

もしかすると、ご霊さまはその場所にはおらずに、念力による遠隔操作だったのかもしれません。

 

 でも、温湿度計が壁から落ちたことは間違いないのです。しかし、7ミリ余持ち上がって手前に引いた、という肝心なところは、残念ながら見せて頂けませんでした。だから、ご霊さまがぼくのすぐ横にいらしたのか、それとも念力といった遠隔操作によるものなのか、も教えてもらえませんでした。

 

 壁に掛けられたこの温湿度計が、手も触れずに7ミリ持ち上がって手前に落ちたのはどうしてなのか、ちょっとその方面の勉強をしてみました。

 

 

 ご霊さまというのは、いわゆる霊魂 Soul,Spiritであり、肉体に対する心の部分だとぼく自身の体験から感じています。心の部分だからこそ知、情、意(Intellest,Emotion,Volition)という人の精神活動の要素から成り立っているので、ぼくが接しているご霊さまと言うのは楽しみや悲しみの分かる間違いなく人の心そのものなんです。

 

 1900年代前半に創生された超心理学(Parapychology パラサイコロジー)という学問があります。この超心理学について日本超心理学会によれば、心と物、あるいは心同士の相互作用を科学的な方法で研究する学問、としています。

 

 また、リン・ピクネット著の「超常現象の辞典」では、既知の自然の法則では説明できない現象を研究する学問として、念力やテレパシー、予知や透視などが含まれる、と記されています。

 

 それらの文献の中に、その時点では発生していない事柄についてあらかじめ知ることができる予知(Future  Prediction)や、言語や表情、身振り等に依らずにその人の心の内を直接他の人に伝えるテレパシー(Telepathy)、あるいは、心の中で思っただけで物体を動かせたり、心を思いのままに操作する念力(Telekinesis、Psychokinesis)という超能力が紹介されていました。(Mikipediaより引用)

 

 ぼくの不思議体験というのは、まさにこれらなのです。「左足に気を付けて」と居眠りしながらの女房が書いた一文が、翌日に現実となったり、書棚のファイルを斜めにされたり、壁掛けの温湿度計に手を触れることなく床に落としたり、職場である日本航空を早期退職した方がいいよ、と本来の自分の気持ちを翻(ひるが)えされたりと、枚挙に暇(いとま)がありません。

 

 いいえ、それだけではありません。無呼吸症候群のCPAPについてぼくと女房のやり取りを聞いていて鳴き声を上げてくれた愛猫のブーちゃんも、カラスにつつかれて野垂れ死にしていたトラちゃんを何とか市役所の職員に引き取ってもらったことを見ていて、ぼくに鼻血を流させた路傍のお地蔵さんも、きっと、人と同じ「知・情・意」をもっているんだな、と思えてならないのです。

 

 なぜなら、あの世のブーちゃんだって、路傍のお地蔵様だって、人であるぼくの気持ちが通じてちゃんと反応してくれたのですから。

 例えば、明日の入学試験の前の日に、鉛筆や消しゴムに合格の願いを託しながら胸元に抱いて寝床に入ると、当日には思いもよらず手元がすらすらと動いて合格することができt、なんてことを経験したことはないでしょうか。

 

 それは「モノを大切にする」ということとは次元を異にする「モノに思いを込める」ことによって、そのものが「応えてくれる」という念力によるものでしょう。それは、ぼくたちが神棚やお仏壇にお参りすることで気持が清らかになることに繋がっています。

 

                               

                     この章終わり――――――――――

 

 

その5 気遣ってくれたぼくの体調

 一話 医師からのたった一言でたばこ嫌いに

 

  周りからスモーカーがだんだん少なくなってきて、妻からも「たばこ止めなさいよ」と口酸っぱく言われるようになってきたのに、どうしても止めることができないたばこの習慣でした。  ところが、シャーカステンに映る自分の胸のX線写真を見て診ていた医師の口から出たたった一言で、ぼくはたばこを吸うことは勿論、見ることも、手に触れることもできなくなってしまいました。      

 

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 高校を卒業したころ、どんな味がするんだろうと興味本位で手にした一本のたばこが10本になり15本になって、この煙の香りと一服感の虜(とりこ)になるまでに長い時間はかかりませんでした。

 ポピュラーなハイライトから始まって、葉っぱに匂いが心地よいわかばやいこい、大陸の匂いがぷんぷんのラークやマールボロといった買いがものまでその嗜好の幅を広げて、日に20本を超えるほどになっていたのに、つまから「臭い、臭い」と嫌がられるまで、その量の多さに気付かないほどでした。

 

 職場の同僚や町を行きかう多くの人たちがたばこを吸っている姿を見ていたので「男のたしなみだよ」なんて言い訳をしながら、まるで一時も離れたくない恋人のように、たばこの箱を手から離すことはなかったのです。

                                         

 しかし、平成10年ころからたばこによる身体への有害性が強く叫ばれるようになり、加えて、ぼくが還暦を迎えたころにはハイライトの値段も300円に跳ね上がったこともあって、人前でたばこを吸う人はめっきり少なくなってきました。

 

 そんな世間の流れを身近に感じ始めた妻は「たばこを止めなさいよ」と、今までになく大きな声と厳しい口調をぼくに向けるのですが、もう、すでにたばこの奴隷になってしまったぼくの身体は、言うことを聞いてくれなくなっていました。

 

 新聞に載っていた喫煙指数(きつえんしすう)という1日辺りの喫煙負数と経過年数を乗じた数値を計算してみると、COPD(Cronic Obstruction Pulmonary Disease, 慢性閉塞性肺疾患、肺の機能を阻害する慢性的な疾患)のみならず、咽頭がんや肺がんに罹るりすくが非喫煙者の8倍にもなるという700を優に超えて800にもなっていたことを知っているのに、です。

 

 止めたい、と思っても、どうしても止められなかったのです。歴としたたばこ依存症という病気になっていました。

 

 不動産取引業アイビーを立ち上げてから10年余を迎え云うとしていた平成21年の秋でした。妻と夕食を摂りながら、ぼくが歩行するときの姿勢が年寄り臭い、という話題になりました。

 

 「猫背で歩いているから胃腸の消化が悪くて持たれるのよ」とか「見語方が下がっているから年寄りじいさんみたいだよ」なんて、たばこをやめられないことに引っ掛けてさんざんに言われパなしでした。

 

 「そんなこと言うんなら、整体院とかカイロプラクティックに行って身体の歪みを矯正してもらおうか」ということになったんです。少し的外れな対策であることは承知の上でした。

 「善は急げ」とばかりに翌日、アイビー不動産に出勤してからネットで検索してみました。すると、事務所から車で10分ほどの距離にあるめいわという地域にKカイロプラクティック治療院があって「整体、骨盤矯正」と謳った広告を載せていたので、早速電話をしてみました。 

 

 翌日、地図を頼りにK治療院に向かいました。現地付近についてので車のスピードを落として周りを見回すと、住居と棟続きになっている平屋の建物の外壁に大きく「K治療院」と書かれた建物が目に入ったので迷うことはありませんでした。

 

 施術してくれる40歳前後の若い男性の先生に「ぼくの猫背を治したい」と告げると、うつ伏せになったぼくの背中を何度もさすりながら「右寄りも左側の背中の方が幾分盛り上がっていますね」と言いながら、その左側の背中を手のひらで集中的に押してくれたのです。

 

 手や足といった全身的な部分もさすったりつまんだりして施術してくれて「大分、背中が平になりましたよ」と教えてくれました。「よかった」ということで次回の予約をして、料金を払って事務所に戻りました。

 

 妻に背中を向けて猫背具合をみてもらうと「うん、背筋が伸びてきた」と自分の言うことを聞き入れてくれたぼくを目の前にしてご満悦でした。

 

 ところが、それから2日経ったとき、朝から左側の肋骨の下の方がひどく痛くなっていました。左側肋骨の上から数えて九つ目の湾曲した部分です。大きく息を吸って肋骨を広げると跳びあがらんばかりに痛みます。

 その部分を指で押しただけでも、アイスピックで突いたように痛みが走ります。

 2,3日様子を見ていたけれど、痛みが和らぐどころか寝床に入ってもジーーンとした不快な痛みを覚えて寝付けなかったんです。Kカイロの先生が集中的に押してくれたのは左側の背中だったことを思いだして「先生が力を入れ過ぎたのではないか」と考えて電話をしてみました。

 

 すると「無理に押すようなことはしませんよ。今までにもそのようなことはありませんでしたよ」と返事が返ってきて、これ以上責めることはできませんでした。

 

 じゃあ、仕方がないな、と事務所が定休日の水曜日に自宅のちかくにある成田整形外科を受診しました。問診票に痛みの情況を書き込んで、先生の診察を受けてからX線写真を撮りました。シャーカステンに映し出された肋骨の画像を観ながら診断をしてくれたのですが「痛みを出すような所見は見当たらないね」ということでした。

 

 粘着テープ状の経皮吸収型の鎮痛抗炎剤を処方してくれたので、様子を見ることになりました。しかし、朝と晩にその湿布薬を張り換えながら様子を見ていたのですが、3日経っても4日経っても痛みは少しも引いてくれません。

 

 「肋骨の小さなひび割れを見落としたのではないか、と疑ったぼくは、アイビーの事務所から歩いて10分ほどのところにある国立診療所下志津病院(現在の国立病院機構下志津病院)を受診したんです。

 

 成田整形外科と同じように問診票に痛みの情況を書き込み、先生の診察を受けてX線写真を撮って画像の診察をしてくれました。しかし、成田整形外科の先生と同じように「痛みを出すような所見はありませんね」ということでした。

 

 「ひびが入っているようなことはないですか」と聞いてみたんですが「それほど痛いのは画像に映りますからね」と言われてしまいました。「でも、もう1週間近く経つけれど痛みが引かないのです」と困惑の口調で聞き返すと、シャーカステンに映るぼくの胸の写真をじーっと見つめていた先生が、突然、藪から棒にこんな言葉をぼくに投げかけてきたのです。「あなたはたばこを吸いますか」と。

 

 その質問の意図が分からないまま「ええ、はい」と答えると、先生は写真の肋骨と一緒に映し出されている肺の一部分を人差し指で指し示しながら「肺が真っ白ですよ」と言い放ったんです。

 

 「えっ、どこですか」と画像に顔を近づけてみいると、本来黒く映るべきだという肋骨の背景となっている肺の部分が、うす雲に覆われたように白っぽく映っていたのです。

 そんな所見を見せられたぼくは、もう、気が動転してそれから先のことはよく覚えていないのです。先生に御礼を言ったかどうかも、会計できちんと悪寒を支払ったかどうかも、覚えていないのです。

             

 40年以上にも及ぶ喫煙が肺を真っ白に映すほどに自分の身体をむしばんでいた事実を、目の前にいる医師の口から聴かされたことで、とてつもなく大きな衝撃を覚えたのです。

 

 事務所に戻るや否や、吸いかけのラークメンソールの箱やストックしていたハイライトを全てごみ箱にねじ込み、ライターから灰皿まで目に見えるすべての喫煙関連のものを目に触れないところに仕舞い込んでしまいました。

 

 そんなぼくの行動を奇妙な目で見ていた妻が「どうしたの」と聞いてきたので「今日限りでたばこを吸わないことにした」と伝えると「何度聞いたセリフかしら」と薄笑いを浮かべていました。

 

 妻の薄笑いとは裏腹に、それ以来ぼくは、一本のたばこすら口にすることはなかった、というよりも、口にすることができなくなったのです。タバコを吸いたい、という気持ちがなくなってしまったんです。

 それだけではありません。たばこの箱や灰皿に手を触れることさえもできないほどたばこというものに嫌悪感を持つように変わってしまったんです。

 

 信じられないことなんですが、本当なんです。作り話でも、夢の中の話でもありません。世にいう禁断症状なんてまるでないまま、その時以来、ずっとたばこを口にすることも、吸いたいと思ったことも、あのいい香りを思い出すことも、まったくなくなってしまったんです。「何なの、これは」と自分でも信じられないんです。

 

 そんな経緯(いきさつ)を知らない妻は「よく、煙草を止めたわね、偉いわね」と半分茶化しながら言うけれど、ぼくは「偉いわね」と言われるほどの努力をしたわけではないのです。

 

 早い話が「あなたの肺がまっ白ですよ」と告げられたことがきっかけで、あのたばこの虜(とりこ)から一瞬にして、たばこ嫌いに180度変わってしまったんです。あの下志津病院整形外科のあの先生の口から出た思いがけない一言でなんです。

 

 でも、よーく考えてみると、それはこの世における眼に見える世界での話だと思います。確かにあの先生が「肺がまっ白だよ」と言ってぼくの肺の状態を説明してくれたのは間違いありません。

 

 でも普通、肋骨の部分が痛いという受診理由については何も説明せずに、少し、唐突過ぎて頭が回らなくなりました。なぜなら、少し前に診てもらった成田整形の先生は、肺のことなど何も言ってくれませんでしたから。

 

 つまり、この先生にそれを言わせた人が別にいたのではないか、と思うのです。というのは「肺がまっ白だよ」と言われて、たばこの空き箱や灰皿を目に触れないところに仕舞い込んだのですが、やれやれと一息ついたとき、あれほど痛かった肋骨の痛みがすっかり消え伏せていたからなんです。

 

 いくら立派な先生といっても、言葉一つで瞬時に痛みを消したり、たばこが吸えなくしたりするなんてことは、あり得ないことです。魔法使いじゃあるまいし。

 大方の人は「もう少し様子を見て」とか、痛みが引くのを待ったりして「少し禁煙の努力をしてみようか」というような過程を経てたばこに依存しなくなっていくのだと思います。

 

 ところが、ぼくの場合は即刻に、一瞬にしてたばこを吸えなくなってしまったよなあ――、と思っていたら、あのアイスピックで突いたような肋骨の痛みも、消えてしまっていたんです。  

 つまり、先生が肋骨の強い痛みの原因を診察している中で、たばこによる身体へのダメ―ジをいやというほど知らせてくれて、たばこ吸いの悪習から抜け出させてくれた、ということではないかと気付いたんです。

 

 そんな事実に遭遇すると、「肺がまっ白だよ」という一言は、先生自身の気持ちで発したのではなく、きっと、あのご霊さまが超常能力を使ってこの先生に言わせたに違いないんです。そうとしか考えられないんです。

 

 たばこを吸う、という行為は、それほど人の身体にとって有害なことなのだと思い知らされました。そのように考えると、喫煙のみならず、アスベストといった物質を体に取り込むことは、この大宇宙の法(のり)に反した逆法(さかごと)なのでしょう。

 

 人の身体だけに留まらず、霊体という魂(たましい)の部分にまで傷つけて天賦(てんぽ)の聡明さ(天から与えられた賢さ)までも影響を与えてしまうのではないか、と思います。わざわざお出ましになったご霊さまが、先生の口を借りてぼくの喫煙癖を強引に、止めさせてくれたのだと思いました。

 

 ああ、なんとありがたいことでしょう。あの若かりし頃、たばこ談議に花を咲かせていた多くの職場の度量や知人が、ぼくと同じように、還暦あるいは古希を迎えるようになり、肺がんや咽頭がんといった喫煙が原因と思われる疾病により命(いにち)を落とす人たちを多く見聞きするようになりました。 

 

 このぼくにしたって、その後に受けてきた胸部X線の定期検査でがんの疑いをもたれて、精密検査の受診を指示されたことが何回かあったからなんです。けれど、幸いにもその結果は問題なし、ということで胸をなでおろしてきましたから。

 

 その現実を見るたびに、喫煙指数が800にもなってしまったあの若かりし頃の無謀な喫煙の恐ろしさを思い出しました。

 

 そんな病災からご霊さまがぼくを護(まも)ってくれたのか、と思うと「ぼくは生かされている」という事実を強く感じます。ぼくの一生にやらなければならないことがまだまだあるよ、と言ってくれているようです。

 

                   この章終わり―――――――――