【複製】一度だけ、天国の父に会いました | 一度だけ、天国の父に会いました

一度だけ、天国の父に会いました

そして、不思議なことや不思議なものを、たくさん見せていただきました。

 不思議体験記/一度だけ、天国の父に会いました 

 

     そして、不思議なことや不思議なものをたくさん見せて頂き

 また。

          これは私の想像やイメージによる創作文ではなく、ぼくが幼いころに亡くなった父親

    のご霊さまによる不思議な実体験の記録です。

                体験者・著者:渡辺 春雪        

                   わたべ はるゆき

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まえがき

 どんな種類の胃腸薬を飲んでみても、どこの胃腸科の先生に診てもらっても、一向に快気することのない胃もたれと下痢症状に業を煮やしたぼくは、ある宗教団体の門を叩きました。ぼくが三十代の半ば頃でした。

                                              

 その宗教団体の月例祭で行われた神さまに関する講和に興味深く耳を傾けていました。しかし、講師の話す言葉が子守歌に聞こえてきたら、瞼が重たくなってきて、うつらうつらとなってしまいました。

 

 すると突然、見知らぬ男が座り机を挟んだぼくの目の前に腰を下ろして、その顔をこちらに向けたんです。でも、その顔には目とか鼻といった顔の造作が全くない のっぺらぼうだったのです。それを目にした瞬間、ぼくは跳びあがらんばかりに驚いて目を覚ましました。ぼくは夢を見ていたんだと分かりました。

 

 また過日、こんなこともありました。我が家のダイニングにあるテーブルに顔を伏して居眠りしていた妻が、突然目を覚まして「なによ、これ! 誰が書いたのよ」と騒ぎ出したんです。「なんだ、どうしたんだ」と妻のところに近寄ってみると「ひだりあしにきをつけて」というひらがな文字で書かれた一文が家計簿の余白に記されていたのです。

 

 目を覚ました妻がそれに気付いて騒ぎ出したのですが、その翌日、小学三年の息子が左足の膝に擦り傷をつけて学校から帰宅しました。それを目にしたぼくと妻は顔を見合わせ、居眠りしながら書かされたこの一文は、未来に起こるであろう事象を予告していた「予言」ではなかったのか、ととても驚いたんです。

 

 それから数ヶ月経ったある日、自分の目を疑うようなこんなことが起きたんです。それはーー

ある日、ぼくたち四人家族のみんなでご先祖さまのお参りをしよう、ということになり、家族四人が座布団の上に正座の姿勢で二列になってお仏壇の前に座りました。

 

 覚えたての祈言(のりごと)を唱えながらのお参りが始まって間もなくです。どこからともなく現れた大小二つの薄黒い影が、ぼくたちが座る四人家族の横を通り過ぎたんです。その二つの影を目で追うと、突き当たった目の前の壁を這い上がり、お仏壇の中に入っていきました。

 

 大きい方の影の大きさは、自分の手のひらをいっぱいに広げたほどで、それより一回りほど小さい影が小さい方の大きさでした。さらに目を凝らして見続けていると、その二つの影はお仏壇の中に祀られていたお位牌にす――っと吸い込まれて行ってその姿を消してしまいました。

 

 ぼくは、その様子の一部始終を息を殺して眺めてあましたが、お参りが終わって後ろに振り返ってみると、小学校五年の長男が後ろにひっくり返って手足をばたつかせながら震えていました。

 

 すかさず「大丈夫だよ、怖くないよ」と声をかけ、ぼくは長男の身体をしばらくの間抱いてあげました。ぼくと長男の左側に座った妻と小学校六年の長女は「どうしたの」という顔を向けるだけでした。

 

 その出来事を機にして、この四人家族の中で一家の主(あるじ)であるぼくだけが多くの不思議な出来事に遭うようになりました。例えば、手を触れることもないのに物が勝手に棚から落ちたり、別の場所に移動したり、見たこともないような模様の翅(はね)を持った蝶が家の中に舞い降りたりと。

 

 それだけではありません。自分の体調が急に良くなったり悪くなったり、というぼく自身の体調の変化に留まらず、自分の気持ちというものを突然に変えられたりと、思考とか意志といった精神的な活動面にまで及ぶ操作を受けるようになりました。

 

 このように、科学一辺倒のこの世においてとても信じられないようなスピリチュアルな(Spiritual、精神的な、霊的な)体験を集めた記録ですから、筆者の創作によるフィクション(架空の物語)とかファンタジー(空想による物語)ではないのか、と多くの読者が疑念を持たれるかも知れません。

 

 しかし、これらの体験談は紛れもない「事実」であって、筆者による架空、あるいは空想,

夢想によるものでは、決してありません。ぼくはそれほど思いにふけるような人ではありません。

 

 その「事実」というのは、人は亡くなってその姿を変えてしまっても、人としての「思い」というものは脈々と持ち続けていて、その「思い」を現世に生きるご遺族の人たちに明瞭に伝えてくることがある、ということです。

 そのように考えないと、これら一連の不思議な出来事は説明できないのです。

 

 具体的な話をすれば、うたた寝の夢の中に出てきたのっぺらぼうの男や、お位牌に向かってお参りをしていたぼくたち家族四人の前に現れた二つの薄黒い影は、今は亡き父親と母のお腹の中にいた胎児ではないか、と思うのですが、そのように考えるようになったのは、それらを目にしてから大分年月が流れてからなんです。

 

 もちろん、そのような亡き人の「思いやお姿」を感じたり目の当たりにしたことがない人も多くおられるでしょうから、そんな話はとても信じられないかも知れません。でも、それは亡き人が自分の「思いやお姿」を発信しておられないか、あるいは、受け取る側の霊的な感受性というものが希薄だからではないのか、のいづれかではなか、と思われます。

 

 とはいうものの、自分の強い霊的な感受性というのは、三十代半ばころから始まって六十代の終わりころに消失した、という限定的なものでした。そのようなことから、読者の皆さまにおかれてもある日突然に何かもやもやした意味のある「思い」みたいなものを感じたり、薄黒い影のようなものを目にして驚かれることがあるかも知れません。

 でも、それは単なる錯覚や幻覚ではないこともある、ということを知っておかれたらよいと思います。

 

 そして今、そんな錯覚や幻覚ではないかと思われるような夢を見たり、薄黒い影を目にしたことで、この世ではとても考えられない不思議な世界に浸るようになってしまった、という現実を書き残しておくことが、これからのより豊かな人生を送る上での道しるべ となるのではないかと信じています。

 

                         2023年7月1日  渡部 春雪

 

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 はじめに

 

 人が亡くなると、その人の何もかもが無くなってしまう、と多くの人たちが思っておられるかも知れません。しかし、実際はそうではありません。、決してその人の全てがなくなってしまうわけではないのです。

 

 それじゃあ、四谷怪談のお岩さんのように足のない幽霊となってこの世に現れるのでしょうか。それとも、播州皿屋敷のお菊さんのようにお皿を数える声だけが残るのでしょうか。

 

 いいえ、そうではありません。お岩さんやお菊さんのように形や音が残るようなことではないのです。死によって人の肉体は滅んでしまいますが、人の人たる部分である「思い、想(おも)い、念(おも)い」というものだけは朽ちてしまうことがなく、生前の人格(パーソナリティParsonalithy)をそのままにして活き活きと、脈々と、その「おもい」というものを私たちに伝えてきている、ということです。

 

 私たちの身体は「肉体」と、それとは別のもう一つの実体を持っていて精神的な活動の根源として考えられている「心」という非物質的な存在があります。私は、この形というものはないけれども、人の人たる部分である心の部分を霊魂と解釈して「ご霊さま」とお呼びしていました。

 ある時、そのご霊さまと夢の中で対面したのですが、それからというもの、多くの不思議なものを目にしたり、信じられないような出来事を体験するようになりました。

 

 そしてある時から、そのご霊さまがより強く、より明瞭に、長きにわたって私に向けて色々と働きかけてくるようになりました。

 

 このような心と身体の問題については「心(こころ)と物(もの)」という本質の異なる二つの実体がある、と古くから唱えられていて 実体二元論Substance dualism、あるいは心身二元論Mind-body dualism と呼ばれています。

 

 紀元前四世紀の古代ギリシャの哲学者プラトンは、死というのは、心とか霊魂といった精神的な実体が肉体から分離したことであり、その分離した心とか霊魂は永遠に不滅である、としたの

です。(Wikipedia 実体二元論より引用)

 

 そして、その永遠に不滅な霊魂、つまり、私の亡き父の場合で言えば、その肉体から離れた父のご霊さまが、ある時から私の身体に憑(と)りついてからずーと生き続けていて、私の体調を崩したり気持ちの中に入り込んだりして、私の身体や心の動きを操作や指示をしてとても信じられないような摩訶不思議な現実を見せてくれました。

 

 しかし、ご霊さまによる操作や指示というのは、私が無意識のうちに行われるのではなく、誰かと会話をしているかのように「これは止めておけ」とか「あっちの方がいいよ」といった具合に伝わってくるのですが、不思議なことに耳を通して聞こえてくるのではありません。気持ちの中にすっと言葉が入り込んでくるんです。(この伝達方法を超感覚的知覚でいうテレパシーTelepathyというのかもしれません)

 

 だから私は「分かりました」という感じでその指示に従うことになりますが、その言葉はあたかも自分自身の意志のようになっているので拒否することはあり得ません。

 

 この不思議な体験記録は、何千年も前に古代ギリシャの哲学者プラトンが唱えた実体二元論が間違いのないものとして捉えることができたことと、そのようなご霊さまの心の「思い」というものがどのようにして私に気持ちに届けられ、逆に、私の「思い」がどんな風にしてご霊さまに届いたのか、を見たまま、教えられたまま、また、感じたままに綴りました。

 

 従って、そこには表現の不足や曖昧さはあるかも知れませんが、演出とか脚色といった作り事としての加筆や訂正等は一切ないことを申し添えておきます。

 

 

 それでは、皆さまにお尋ねします。皆さんは、人が亡くなるとその人はどうなってしまうんだろう、と思いますか。何もかもが無くなってしまうのでしょうか、それとも、その人らしい何かが残っているのでしょうか。

 

 いわゆる死生観というものですが、死の世界を眺めてそれを語ってくれた人は誰もいないので、生と死の見方というものは個人個人の人生観や思想、あるいは信じている宗教等によって大きく異なると思います。

 

 ここでは現代社会に流布している死生観の根幹となる部分を、宗教色抜きで簡単に紹介しておきます。

 イ.人が亡くなると、そのすべてが無になる。

 ロ.人が亡くなっても魂や霊といった不死なる根源があり、生前の行為によって人に限ら

   ず、多様な生きものに生まれ変わる。(輪廻。転生)

 ハ.魂や霊は生まれ変わらずに、永遠に生き続ける。

 ニ.生まれ変わるのではなく復活する、蘇る。

 

 信じている宗教というものを持つことなく、多くのご霊さまによる不思議体験を見てきたことを振り返ってみると、私はハ.に示されたように、霊になったまま永遠に生き続けているのではないか、と感じます。

 サワサワとした何代も前のご先祖のご霊さまではないかと思わせるような、とても多くのご霊さまたちがたむろしている物音を、幾度も耳にしていたからです。

 

 しかし、永遠に、何百年にもわたって生き続けているのか、については教えてくれなかったし、ロ、の転生についても、また、ハ.の永遠に生き続ける、についても、ニ、の復活についてもはっきりと見せてくれたわけではありませんから、果たして現実はどうなのか、という疑問は大きく残ったままです。

 

 

 本題に戻ります。そうは言うものの、そんな作り話のような不思議体験をするようになったきっかけは、幼いころから胃腸が弱くて幾度となく繰り返している胃もたれと下痢症状が、どこの医者に診てもらっても、どんな胃腸薬を試してみても快気することがなく、業を煮やした私は、ある宗教団体の門を叩いたことでした。

 

 重々しい胃もたれと下痢症状の胃腸をなんとかすっきりさせたいという気持ちを託したのが、この神教真ごころ(仮名にしてあります) という宗教団体でした。そして、この団体の講習会に誘われて参加した中で、何とも、不思議なものを目にしてしまったんです。それはーーー、

 

 私の父は、私が小学校に上がる前に胃潰瘍をこじらせた胃穿孔という胃袋に穴が開いてしまった状態になり、口に入れた食べ物が小腸や大腸のある腹腔内に流れ込み、腹膜炎を起こして他界したのだと聞いていました。 

 どうして胃に穴が開くまで放置していたのか、と言うと、どうも夫婦間の不仲による気持ちの葛藤があったからだ、と聞いていますが、私の記憶には全くないことなんです。

 

 だから、物心ついたときから母と弟の三人家族でしたから、父親がいないことによる寂しさという思いを抱いたことはありませんでした。父の姿も記憶にないし、その人柄に触れた想い出というものも全く覚えていないから「これが普通だ」ということなのでしょう。

 

 そんな父の業(ごう、前世の善悪による現世で受ける報いというか、因縁みたいなもの)を引き継いでしまったのか、私は幼少の頃から食が細いことによる細長い身体つきをしていて、中学生の頃からは、少しの量を口にしただけで胃がもたれて下痢を起こすという「胃もたれ下痢」状態に悩まされるようになりました。

 

 胃腸科の先生に何度診てもらったのか分かりませんが、そのたびに「何の異常もないよ」といわれながら一般的な消化薬を処方してくれましたが、10年経っても20年経っても、その胃もたれと下痢症状が快気することはなかったのです。

 

 仕方なく、街の薬屋に並ぶパンシロンや三共胃腸薬といった多くの市販薬を自分で買って、片っ端から試してみたけれど、やはり快気することはなく、徒労に終わりました。

 

 また、慢性の胃腸病には漢方薬がいい、というので東京の神田にある漢方薬専門の薬局に足を運んで相談してみたところ、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)。という胃腸薬を進めてくれたので試してみました。しかし、短い期間続けてみただけで頭痛と血圧の上昇が現れたので服用を止めました。

 

 医者に診てもらってもよくならないし、市販の胃腸薬を試してみても快気しない状態に困り果てて途方に暮れていたときでした。自宅の郵便受けに投げ込まれていたのが神教真ごころ(仮名にしてあります)という宗教団体の恢弘チラシだったのです。

 

 手に取ってみると「悪霊を追い払えば病気が治る、幸せになる」などと眉に唾をつけるような文字が並んでいます。でも私は「本当かも知れない、本当だといいなあ」と受け取り、藁をも掴む思いでその教団の門を叩きました。 

 

 神教真ごころの信者になるための講習会が三日間に亘って開かれる、と幹部の人が教えてくれらので、私も参加させていただきました。私にとっての最初の不思議な出来事が、その講習会の中で起きました。それはーー、

 

 一日目の講習会が始まって午前の部が終わり、昼食を済ませて午後の部が始まると昼食後のお腹の膨らみも手伝って、うとうととした強い睡魔に襲われて夢の中へと誘われてしまいました。

 眠り込んで過度の位の時間がたったのから分かりませんが、突然、私の目の前に見知らぬ男が座ったんです。

 

 ところが、こちらに向けたその男の顔は、目とか鼻といった顔の造作のないのっぺらぼうだったのです。びくっと飛び上がらんばかりに驚いて目を覚まし、夢を見ていたのだと分かったんですが「何だ、これは」と、とても変なものを見てしまった、という思いでした。

                                                              

 二日目も昼食を摂り終わると、うつらうつらと眠くなってきて夢の中に誘われてしまいました。すると、昨日と同じようにのっぺらぼうの男が目の前に腰を下ろしたんです。よく見ると、右手の肘を折り曲げて腰のところに当てている格好までよく見えたのです。目を覚まして「気のと同じ男だが、誰なんだろうね」という気持ちでした。

 

 三日目の昼食を摂った後も同じような時刻になると眠くなってきて、夢の中に誘われてしまいました。すると、昨日と同じように、右手の肘を折り曲げて腰に当てているのっぺらぼうの男が私の前に座っていました。

 

 三日間も同じような夢を見るようになると、驚いたというよりもなんだか怖くなってきて、付き添ってくれた教団の世話役に話してみたんです。するとその世話役は「ご先祖の方が見えているんですよ」と、思ってもみなかった言葉を口にされたんです。

 

 講習会も終わって家路につき、そんな話を同じ齢の妻に伝えたことがきっかけで、それから半年ほど過ぎたころにその妻も神教真ごころの信者になりました。その妻が、ある日の昼下りに居眠りをしながら、ご霊さまからではないかと思われる未来を見通した予言のような一文を書かされたのですが、翌日にその予言通りのことが起きた、というのが二回目の不思議体験でした。それはーー、

 

 その日の午後、妻がダイニングで家計簿をつけながらうたた寝をしていたようでした。その妻が突然「何よ、これ!」と大きな声で騒ぎだして私を呼び寄せたんです。

 

 「何だ、なんだと妻に近寄ると「これを見てよ」と書きかけていた家計簿の余白を指さしたのです。そこにはゆらゆらとしたひらがな文字で描かれた一文があり、居眠りをしている間に書かされた、というのです。

 

 そのゆらゆら文字に目を近づけると「ひだりあしにきをつけて」と読み取ることができました。何の事だか分からないけれど、なんだか「左足に気をつけなさい」と言っているようで、子供たちにもそのことを伝えて「足もとに気を付けなさいよ」と念を押しておいたんです。

 

 ところがあくる日、小学二年の長男が、左足の脛に血の滲むような擦り傷を作って帰宅したんです。その事実を知った私と妻は「左足に気を付けて」のあの一文は、明日という未来に起こることを予言した一文だったことに気付いて驚きの顔を見合わせました。

 

 妻の身体を通してその思いを伝えてきたご霊さまですが、三回目にその姿を目に晒(さら)してくれた時は、私たち家族四人の目の前でした。それは私が神教の信者になって二年ほど経って秋の風が吹き始めたころでした。

 

「たまには家族そろってご先祖さまのお参りをしよう」ということで、不満顔の子供たちのご機嫌を取りながら、家族四人がお位牌に向かって正座の姿勢で腰を下ろしました。先達となった私は「それでは行くよ」と声をかけて「天津祈言(あまつのりごと)」という禊(みそ)ぎ祓いの祈言(のりごと)を中ほど辺りまで読み進みました。その時です。何だか分からないけど薄黒い影のようなものが視界に映ったんです。

    

 どこから来たのか分からないその薄黒い影は、物音一つたてることなく動いていました。その薄黒い影が私の真横に来ると、自分の手のひらを広げた大きさと、それより一回り小さな大きさの、いずれも輪郭がぼやけた薄黒い円形の影の二つと分かり、その二つがスーッとした速さで、私たち四人のすぐ横を通っていく姿が目に映りました。

          

 視線を逸らすことなく見続けていると、私たち四人のすぐ横を通りすぎた薄黒い影は、部屋の北側にある壁面を這い上がってお仏壇の中に入り、お祀りしてたお位牌にふわ―っと吸い込まれて行きました。

 怖い、恐ろしい、というよりも、今までに見たこともない光景を目の当たりにして「何なの、これは」といった大きな驚きでした。

 上に示した二つの薄黒い影を描いた絵は、その時の状況を描いたものです。

 

 お参りを終わらせて後ろを振り向くと、小学二年の長男が恐怖におののいていたので「大丈夫だよ、怖くないよ」と息子を両手で抱いてあげ、背中をさすって安心させました。この奇妙な光景をこの長男息子も目にして震え上がっていたんだな、と分かりました。

 

 これを機にして私だけが数えきれないほどの不思議な体験をするようになったのですが、何とも奇妙な、今までに見たことも聞いたこともない光景でした。

 

 

 振り返ってみると、神教真ごころの講習会で、まず、のっぺらぼうの男が夢の中に現れてとても驚いたのですが「ご先祖の方ですよ」と教団の人に教えてもらったことでご霊さまの存在を知ることになりました。

 

 次いで、そのご霊さまが千里眼という超能力を使って、まだ見ることのない未来に起こるであろう息子の左足のケガを「ひだりあしにきをつけて」と事前に私たちに教えてくれて、何とかこの災難を小さくしてくれたのです。これが二回目の不思議な出来事でした。、

 

 そして、薄黒い影のようなお姿を、しかも二人連れ立って私たち家族の前に現れたのが三回目の不思議な出来事だったんです。その大小二つの影を見たときにふっと思ったことは、これはもしかすると私の父と、父が亡くなったときに母のお腹の中にいた胎児の二人のご霊さまではないのか、と閃いたんです。

 

 「お父さんが亡くなったとき、お腹に子供を宿していたけれど止むなく子供を堕ろしたのよ」と、ずっと後になって母から聞いていたからです。そんなことを思い出したら、この二人のご霊さまたちがとても愛おしく思えてきたんです。だって、私の父とその兄弟姉妹ですものね。

 

 それを機にして、私の周りでとても不思議なことが頻繁に起こるようになりました。例えば、触れもしないのに壁に掛けられた温湿度計が落ちて来たり、勤務先である日本航空が潰れる前に出された早期退職の社内通知に応じるよう仕向けられたりと。

 

 またある時は、なかなか快気しないめまいに襲われていたのですが、箪笥の引き出しに仕舞ったままにしていた古いお位牌をお焚き上げしないといけないな、と気付いてその準備に取り掛かっただけで、そのめまいはピタッと消えてしまったりと、私や、私の家族を「霊の障り」という禍(わざわい)から救ってくれました。

 

 つまり、私たちの人生における禍福というものは、多かれ少なかれ、ご霊さまのお気持ちひとつに握られているのではないか、と思うようになりました。よって、ご先祖のみなさまを尊(とうと)い存在として敬(うやま)い、崇敬(すうけい)の念をもってお祀りすることがとても大切なだけでなく、自分たちの幸せのためにもと手の重要なことなんだな、と考えるようになりました。

 

 ここで間違えてはいけないことは、高額で立派な仏具でお祀りをする、あるいは、高級な食材を使った料理をお供えする、ということが「崇敬の念」ではないということです。それは神教真ごころの幹部から教えていただいたことだし、自分自身でも体得した事実です。

 

 改めて「崇敬の念」とは、崇(あが)め敬(うやま)う、言い代えれば、極めて身分の高い人として礼を尽くす、ということです。すなわち平易な言い方をすれば、ご先祖のみなさまを霊界のしきたりに従ってお祀りし、毎日欠かすことなくお参りとお食事をお出しする、ということです。

 

 それに従って、ご霊さまが霊界と私たちが生きる現界を行き来するための出入り口となっているお位牌を建物の最上階に、しかも、立位における目の高さよりも高い位置に配置して、さらに、中に電灯を取付けて明るくしたお仏壇の中にご安置してお祀りするように、と教えていただいております。

 

 そして、朝一番のご挨拶とコーヒーとホットミルクにお茶といった朝食のお供えをし、ご霊さまは召し上がらないという昼食はお出しせず、私たち家族と同じメニューにホットミルクを加えた夕食をお出しして、そして一日の終わりには、就寝前のご挨拶をしてお仏壇をお閉めする、という毎日のお参りをさせていただいております。

 

 すると、三、四ヶ月前から球切れになって点(つ)くはずのおないペンダントライトを点灯させて「それでいいよ」と言わんばかりに輝いていたのです。

 

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 では、私たち家族に降りかかったかもしれない大きな災難を小さくしたり、あるいは回避してくれたり、という不思議な現象をご霊さまが起こしてくれたので すが、そのようなこの世では起こり得ないような不思議な現象とは一体どんなものなのでしょうか。

 

 

 近代自然科学の知見では説明できない不思議な現象を超常現象(ちょうじょうげんしょう、Paranormal pheenomenon パラノーマルフェノメノン)と言いますが、その中でも霊的な理由で引き起こされる超常現象を一般に心霊現象(Psychic phenomenonまたはSpiritual phenomenon、サイキックフェノメノン、スピリチュアルフェノメノン)と呼ばれています。

 

 その心霊現象を研究するためにアメリカ合衆国ノースカロライナ州ダラムにあるデューク大学に超心理学研究室が1927年二設置されたのですが、それから30年後の1957年には超心理学会が設立されたほどの力の入れようでした。

 

 その中味というのは、霊的な現象を除いて純粋な学問として研究する超心理学(Parapsychology、パラサイコロジー)という分野で、千里眼、テレパシー、未来予知、念力といった霊能力の実演可能性を科学的に探るものです。少し説明すると

 ・千里眼(Second sight) ーーー千里先の遠隔地で起きていることを感知できる能力

 ・テレパシー(Telepathy)ーーー人の心の内を言語や表情に依らずに他人に伝える能力

 ・未来予知((Precongnition)ーーー物事が起きる前に、それを知ることができる能力

 ・念力(Psychokinesis)ーーー何倍かに増幅された意志の力だけで物理的な作用を及ぼすこ 

                とができる能力

 

 ということになります。

 

  私が体験した心霊現象というのは、テレパシーという直接自分の気持ちに届けられるメッセージと、何もしないのに物が動いたり、自分の気持ちを操作されたり、という念力によるものだと思います。「思います」というのは、素人の私には「そうです」という断定的な確認ができないからです。

 

 

  日本では、アメリカから遅れること6年、1963年、日本超心理学会が発足しましたが、その研究内容は行動科学や素粒子物理学をもとにしたもので、アメリカの学会とは少し異なるようでした。

 それら研究室や学会で研究されている心霊現象には、霊的な理由によるものが除かれていますがどうしてなのでしょうか。それは、霊的な理由で起きる心霊現象が亡くなった人の「思い」によるものであることから、因果関係や思いの中身があいまいで再現性に乏しく科学的ではないから、というのが理由だと考えられます。 

 

 では、霊的な理由で引き起こされる心霊現象でいう「霊的な理由」とは何なのでしょうか。それは、亡くなった人の霊魂(Soul,Spirit あるいはご霊さまと呼ばれているもの)が引き起こしているとみられる現象を言います。

 

 私の受けた不思議体験がどうして霊的な理由で起きた、と分かるのかと言えば、父が亡くなった後に飾られた遺影に映る姿と、夢に出てきたのっぺらぼうの男の恰好が同じだったことと、目の前に現れた薄黒い二つの影が、亡き父と、母のお腹の中にいた胎児の二人ではないか、と容易に推測できたからです。

 

 ご遺族の様子を気にかけているのかもしれないし、何か言い残したことがあるのかもしれませんが、そういった「思い」は消えることがなく残っているというのです。それが前述したプラトンの唱えた実体二元論というものですが、すると、霊とか霊魂とは何ですか、ということになります。

 

 その前にプラトンの唱えた実体二元論(Substance Dualism)について、百科事典wikipediaから引用して説明します。実体二元論とは

 

ーーーこの世界にはモノとココロという本質的に異なり、且つ、各々が独立した二つの実体から 

  成り立っている、という理論のことで、実体とは、他のものに依らずにそれだけで独立して

  存在するもの、つまり、脳はなくなっても心は存在する、という考え方をいいます。

 

   すなわち、この世界には肉体とか物体という物理的な実体とは別に、魂や霊魂、あるいは

  自我や精神、意識といった心的な実体があり、そのうち思考や判断などはこの心的実体が担

  っているーーー

 

というものです。

 

 例えば、ご遺体を火葬に付した後の安置台には、お骨や義歯、あるいは身につけていた装飾品など燃えないものが残っています。しかし、この安置台の上に残されたもの以外にも、燃得きれずに、あるいは燃やされずに残っているものがある、ということを意味しています。

 

 すなわち、その安置台の上にはないけれど、燃えることなく残っているものが霊魂だということになります。しかし、霊魂はその人が亡くなったと同時に肉体から離れてしまっているので「燃えずに残った」というよりも、ご遺体を安置台の上に載せるときには、既に、宿していなかったのだから「燃やされなかった」のかもしれません。

 

 では、霊魂とは一体何でしょうか、ということになります。それはプラトンの二元論からも、私の霊体験から分かるように、故人が生前に抱いていた「心の思い」の集まり、集合体にほかなりません。言葉を代えれば、カントの言った人の心の要素である知、情、意(Intellec知力t, Emotion感情,Volition意志)の集まりです。

 

 この世における「知・情・意」は、抽象的な言葉としてあるだけで目には見えませんが、あの世ではあたかも何かが存在するように、目には見えないながらも知、情、意の集まりという「集合体」になって存在しているのではないでしょうか。

 

 肉体は朽ちても、知性や感情、あるいは意志いった「思い」という目には見えない心の部分は消えてなくならずに、霊魂というもやもやとした 「知、情、意の集まり」になって漂っているのだと思います。すなわち、この世では物質として存在することのない知、情、意ですが、あの世では私たちには見ることができないけれど、ある形を持った「思いの集合体」になって存在しているんだろうと感じます。

                                                                

 それは、おとぎ話の浦島太郎に出てきた玉手箱から立ち上った煙によって太郎が一瞬にして白髪の老人に代え割ってしまったように、あの世とこの世の時間単位と物の成り立ちの違いということを、この目に見せてくれているのが霊魂の姿だと思います

 

 というのは、私の数多い霊体験というのは、音が聞こえる、奇矯なものが目に映る、意志とか気持ちを変えさせられる、やる気が誘発される、強い睡魔に襲われる、気付いてほし事が夢に出てくる、といった視覚や聴覚、あるいは精神面に働きかけられることが殆どで、背中を何かで押されたり突かれたりと身体を直接動かされる、といったことでは全くなかったからです。

 

 つまり、私に届けられる伝言といいますか、伝わって来たもの、というのは、いつでも、どこにいても、私の気持ちに直接届けられるような「思い」、あるいは、誰かによる、とさえ感じないふっと湧き出たような「思い」だったからです。この伝え方を先に説明した霊能力でいうテレパシー(Telepathy)というのだろうと思います。

 

 では、「思い」の集まりというような抽象的で形もなく、目にも見えないものが集まって魂(たましい)とか霊魂というものになるのですが、それが、いろいろな不思議現象を引き起こすのですが、どうしてでしょうか、という疑問にぶつかります。

 

 それは、凝縮された「念の力」を、ご霊さまがある意志を持って発信しているからだと思います。肉体を失っているご霊さま、つまり霊魂の「思い」というのは、生きている人の「思い」の何倍、いや何十倍何百倍の強さを持っている、すなわち、「念の力」を使って人の気持ちを操作するだけでなく、物品までも動かしてしまいます。

 その摩訶不思議さが近代科学でも説明できない超常現象たる所以(ゆえん)だろうと思います。

 

 そのようなことから、我が家の二階にお祀りした「先祖代々之霊位」と黒地に金文字で書かれたお位牌に吸い込まれていった二つの影は、ここでいう霊魂、つまり「亡き人の思い」としか言いようがありません。しかし、それはどんなものだったのか、と問われても「ただの薄黒い影だった」としか言いようがないのです。ただ単に天井に取り付けられた蛍光灯からの光を遮ったときに畳の上に映るような輪郭がぼやけた薄黒い影だったのです。

 

 あまりにも単純で質素なお姿に「これが霊魂なのかしら」とあとになって気付いたときはとても驚きました。

 

 しかし、よく考えてみると、その薄黒い影は霊魂そのものではなく、霊魂の影ではないか、と考えるようになりました。なぜなら、「思い」の集まりだとすると膨らんで大空に浮かぶ雲のようにある体積があるはずなのにそれがなく、畳面に映る平坦な影だったからです。目に映らない霊魂そのものは、恐らく、その薄黒い影の真上にいらっしゃったのではないか、と考えています。

 

 当然に目に見えないはずの霊魂の影をこの目で視認できたのは、透明なはずのその影を薄黒い

おぼろ状に染めてくれたからだと思います。その理由は、もちろん、その姿を私たち家族に気付いてもらい、本人の姿はすでにないけれど、その魂(たましい)だけはピチピチと生き続けていることを知って欲しかったからだと思います。

 

 心霊という文字をご覧になってください。心(しん)とはこころ出、生きている人の二機体Bodyに対する心の部分Hart、Apiritをいい、人の理性や知識、あるいは感情、意志といった精神的作用をつかさどり、人格とか人柄を形成するものです。

 

 人が亡くなって肉体が朽ちてしまっても、その心の部分はなくならずに霊(れい)と呼び名を変えて生き続けているのです。それがプラトンの唱える肉体と心の実態二元論だと思います。

 

 その霊が引き起こす現象を心霊現法というのですから、生きているときの心と亡くなった後の心である「霊」は同じ「思い」を持っているのだと理解できます。

 

 人が生まれてくるときは、その逆だと考えます。つまり、お母さんのお腹の中の受精卵が胎児となって「思い」という知、情、意を抱いたときに「魂」というものが形成するのだと考えます。

 

 私が目にした小さい方の黒い影は、母のお腹の中に宿していた胎児と思われ、小さいながらも、既に「思い」というものを持っていたからこそ霊魂になって目の前に現れたのだと思います。

 

 しかし、「思いの集まり」という網膜に映らないはずの霊魂が、どうして黒い影となって現れたのでしょう。Wikipedia百科事典の心霊現象によれば、霊などのすがとぉ視覚化させたり、レの存在を客観的に証明できるような物証を残すことを物質化現象(Materialization phenomenon)というのだそうですが、この現象によって薄黒い影を畳に映してその存在を示してくれたからだと思います。

 

 しかも、この影を見たのは私一人ではなく、長男も含めた二人、という複数人だったことからも私の錯覚や見間違いではないということを確かなものにしています。

 そして、それを機にして40年余にもわたって、数えきれないほどの不思議な体験をさせていただきました。

 

 このようなことから、我が家の二階にお祀りした先祖代々のお位牌に吸い込まr手云った二つの黒い影は間違いなくご先祖の方の霊魂と思われます。その証拠に私のことだけでなく、女房のことも、子供たちのこともよく知ったうえでご加護や戒めを施してくれたのだから、夢でも見ているのではないかと、いつも思ってしまうくらい驚いてしまいます。

 

 では、私がご霊さまから受けてきた数えきれないほどの不思議な体験とは、どういったものな

のか、箇条書きにしてみたのを示しmす。各項末文の括弧が気は、その心霊現象の名称を示しています。

 イ.誰もいないはずの二階の廊下から、スリッパを履いてずり足で歩いているようなシュシュ

   という音が聞こえてきたこと。(ご霊さまの存在を示す)

 ロ.隣の部屋には誰もいないはずなのに、ポー―っという大きな音が聞こえてきたこと。(霊

   の存在をしめす音、ラップ現象)

 ハ.妻が居眠りをしながら広告チラシの端に書かされた「ひだりあしにきをつけて」の警告文

   が、翌日に現実となったこと。(自動書記、テレパシー、未来予知)

 ニ.誰も触れていないのに本棚のファイルが引き出された状態になっていたり、探しても見つ

   からなかった一本の箸が、あるとき、引き出しの隅からその姿を出していたこと。

 

 ホ.お盆になると、見たこともない翅の模様をした蝶や多くの甲虫が家の中に入ってきたこ

   と。(霊の物質化現象、霊の姿が変わる、思いを宿す)

 へ.お位牌に御供えしたミルクが真水のような味に代わっていたことから、お供えした供物は

   みんな召し上がってくれているという事実であること。(ご霊さまは私たちと同じように

   お食事をなさっているのです)

 ト.路傍のお地蔵さまから声をかけられたように感じたら、その晩、思いがけない鼻血出血に

   襲われたこと。(生命のない物体にも霊性を宿していること)

 チ.自分の意志とは違う方向に操作されたこと。(憑依現象、人の心の操作)

 リ.お位牌の正しい祀り方を知っていながら実行しなかったことによる戒めを受けたこと。

   (霊の障り)

 

 等々です。

 

 では、私の記憶にもない遠い昔に亡くなった父のご霊さまが私の前に現れて、多くのご加護や戒めを施してこれたと共に、その存在を明らかにされたのはなぜなのでしょうか。黒い影がこの世に現れても、普通はどなたなのか分からないのではないでしょうか。

 

 それは、次のようなことが考えらえます。

 ・40歳前で亡くなった父のご霊さまを、先祖代々の霊位というお位牌にお掛かりいただき、

  霊界でいう「正しいお祀りの仕方」と教えられた祀り方でお祀りしていたこと。

 ・幼い子供たちを残して亡くなってしまったことを「不憫でならない」という思いに駆られた

  こと。

 ・目の前に現れた黒い影に対して私は恐れおののくことなく、真摯に接することができたこ

  と。

 ・一切の年忌法要というものをしたことはないけれど、毎朝、毎晩のお参りとお食事の供養は

  欠かしたことがないこと、等々。

 

 これから、一度だけご霊さまと顔を合わせ、いつも私の傍らに寄り添ってくれていたご霊さまについて、私の具体的な体験記録をお読みいただきますが、ご加護をいただいたような嬉しい話ばかりでなく、戒(いまし)めといったご霊さまからのお叱りも多く含まれています。

 

 ご霊さまから叱られたり、霊の障りを受けたりするということは、霊界のしきたりを知りながらそれに背いた行為をしていたことであり「それは違うよ」というサインですから、どうぞ、その辺りを十分にご理解していただき、同じ轍(てつ)を踏むことのないようにしていただければ幸いです。

 

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

  一度だけ、天国の父に会いました

 

 その一 気付かせていただいたご霊さまの存在

 

  一話 夢枕に立ったのっぺらぼうの男

 

 自宅の郵便ポストに投げ込まれていた神教真ごころ(仮名にしてあります)という宗教団体の恢弘チラシに気持ちを奪われて参加した講習会でしたが、不覚にも、午後になると決まって強い睡魔に襲われてしまいその全部を聴くことはできませんでした。

 そして、その夢の中に出てきたのは、顔に目や鼻のないのっぺらぼうの男でした。

          ******************

 

 幼少の頃から虚弱な体躯をしていたぼくでした。食が細い上に栄養の取り込みが悪いためなのか、肉付きが悪く、背丈だけは人並みを超えていたのでひょろっとした体形となり、陰口でついていたあだなが ”ガリガリちゃん”でした。

 

 しかも、筋肉量も少なかったので手足が細く、腕力や脚力も貧弱だったぼくは、体育の授業がある日だけは休みたくなりました。また、中学生の時の100メートル走にしても、16秒というタイムでクラスでびりっけつだったし、鉄棒運動に至っては、逆上がりの腰の位置が鉄棒のところまで持ち上がらずに、居残りされたのは一度や二度ではありませんでした。

 

 中学三円のときでしたか、夕食を摂った後になんだかお腹が膨れて胃がもたれたようになって、翌朝までその不快な胃もたれ状態が消えなかったことがありました。その日の朝食は喉を通らずに、心配した母に連れられて近所の胃腸科に診てもらいました。

 

 お腹に聴診器を当てて胃腸の音を聴いていた医師は「胃腸の動きがよくないね。胃アトニーかな」と診断して、胃腸の動きを旺盛にする粉薬を処方してくれました。その粉薬を三度の食事の後に飲むと胃もたれは穏やかになるのですが、一回でも服用を忘れようものなら不快な胃もたれが再来するようになり、その粉薬を手放すことができなくなってしまいました。

 

 高校を卒業するころになると、整腸による身体の変化によるものなのか分からないけれど、胃もたれとそれに伴う下痢の頻度はめっきり少なくなってきて、市販の消化薬をその都度飲めば楽になるまでになっていました。とはいうものの、胃もたれと下痢症状にはずいぶんと永い間悩まされました。

 

 それ以外の胃の不調、例えば、胃の痛みや吐き気といったより不快な症状は自覚したことがなく、市販の消化薬をその都度に服用することと、数年ごとの胃内部の透視検査を受けることで器質的な病変のないことを確かめながら、良くなったり悪くなったりを繰り返すこの慢性的な胃腸障害に10年、20年と長きにわたって付き合ってきました。

 

 ところが、ぼくが30代の半ば過ぎになったころでした。何が引き金になったのか分からないけれど突然に、あの20数年前を思い出させるような苦しい食後の胃もたれと下痢がしたんです。あたかも、ご機嫌よくにこにこしていた赤ん坊が、突然に手足をばたつかせて大声で泣きだしたような感じに「どうしちゃったんだろう」という思いでした。

 

 当時、千葉県佐倉市から隣町の成田市に移り住んでから2年余経っており、車で15分ほどにある総合病院、成田病院(現存しています)の内科を受診しました。専門の医師が複数人いるし、検査設備も不足はないだろうと踏んだからです。

 

 診察してくれた小野先生はお腹に聴診器を当てて「うん、胃腸は動いている」と言ってくれて、20数年前とは明らかに違う様子だと分かったのですが、処方された薬を何日か続けてみたけれど、あの頃のように胃もたれがすっきりすることはなかったのです。

 

 胃腸はちゃんと動いているようだし、痛みや吐き気もなく器質的には何ら問題ないのだから、ただひたすら、胃もたれと下痢が収まる薬はないものか、と探し回りました。パンシロンや三共胃腸薬、あるいは太田胃散といった薬屋の棚に並ぶ多くの胃腸薬や消化薬を購入して一つづつ試してみたけれど、中学生の頃に処方してもらったあの粉薬のように「これはいける}と言えるようなものに巡り合うことはなかったのです。

 

 慢性の胃腸病には漢方薬がピッタリ、という話を聞いて東京上野の漢方薬専門薬局を訪ねてみました。そこで勧められたのが「お腹を温めて胃腸の働きを活発にする朝鮮人参と健胃整腸作用のある蒼朮(そうじゅつ)という生薬が配合されている」という人参湯(にんじんとう)というカンポ薬でした。

 

 これは良さそうだ、と2週間ほど続けているとジーンとした頭痛と150ミリ余の血圧上昇が現れたので勤務先の診療所に駆け込みました。

 

 すると、ぼくの話が終わるや否や、先生は机上に並べられた本の中の一冊を手にしてパラパラとページをめくり「人参湯に含まれている甘草(かんぞう)という生薬が悪さをしているね」と診断してくれたのです。

 

 漢方薬は天然油冷の生薬(しょうやく、植物の葉、茎、根や鉱物、動物の中で薬効があるとされる部分を加工したもの)から造られて穏やかな効き目が特徴と言われているけれども、体質的に会わなければフ個作用が強く発現することもあることを知って、肝に銘じました。

 

 そんなときでしたか、「あんしん易断(仮名にしてあります)という暦による病災相談が無料で受けられるという新聞広告が目に留まりました。薬剤による治療では副作用による有害性が避けられないこともあるけれど、生まれつきによる運命的な巡り合わせから胃もたれと下痢に原因が探れれば気にかかることは何もないよな、と考えたのです。

 

 善は急げ、とばかりに東京上野にあるあんしん易断を訪ねてみました。「なかなか良くならない胃もたれについて相談したい」と記入した申込書を受付に差し出して数分待つと、神主のような白装束を身につけた年の頃35,6歳の男性が相談に乗ってくれました。しかし、ぼくの相談依頼に応えてくれたことは、自分の意に沿うものではありませんでした。

 

 伝えた生年月日からぼくの運命的な環境や背景を調査して、胃もたれの根本的な原因を導き出して、その対策を指示してくれるのだろう、と思っていたけれど、そうではなかったんです。中国陰陽五行にある四柱推命や気学によってその原因を探り出し、対策をお伝えするといういくつかの易断の方法があるということを、ただ単に紹介してくれただけだったのです。

 

 実際の駅団をしてもらうとその費用はいくらなのか、と聞いてみると「20万円から」と説明されて、当たるも八卦当たらぬも八卦といった占いと変わらない占断(せんだん)に20万円もかかるのか、と驚いて、そそくさと易断本部を後にしました。

 

 「ああ、ぼくの胃もたれを治すすべはないのか」と何をしてもよくならないこの胃もたれに嘆き悲しんでいたある日、玄関の郵便受けに朝刊と一緒に一枚の広告チラシが投げ込まれていました。

 

 封筒サイズに折りたたまれたチラシには大きな文字で「真ごころライフ(仮名です)」とあり、何だろうと紙面を広げてみました。すると「浄め祓いで病気や禍を追い払う。。目や胃腸の病気に悩まされていませんか」と大きな文字が踊っています。細かな説明書きを飛ばして裏に返すと、手をかざして浄め祓いをしているイラストと共にその説明書きがありました。

 

 下の方に目を移すとこのチラシの発行元が記されていて「神教真ごころ 安孫子支部(仮名にしてあります)とあり、宗教団体の恢弘チラシであることが分かりました。

 

 そんな浮世離れした見出し文句にいささかのうさん臭さを感じながらも、何だか、今の自分の体調を言い当てているようで、そのチラシをごみ箱に捨てることができなかったのです。「役に立つかもしれない」と自宅から1時間もあれば行くことができるであろう常磐線の我孫子駅ちかくにこの教団の支部があることを頭に入れて、そのチラシを机の引き出しに仕舞い込みました。

  

 それから半年ほど経ったでしょうか、少しは銚子を戻してきたとはいえ胃もたれと下痢は相変わらずで、医療と占いによる快気への取り組みに手詰まり感を抱いたぼくは「あの宗教団体は、このしつこい胃もたれと下痢を何とかしてくれるんじゃあないだろうか」と思い始めて、机の引き出しに仕舞い込んでいたあの恢弘チラシを引っ張り出してよく読んでみよう、と思いました。

 

 そのチラシを手にして先日飛ばし読みした部分の記事を丁寧に読んでみると「病気や災難の多くはご霊さまの仕業によることが多いので、まごころの浄(きよ)め祓(はら)いで解決しましょう」とありました。

 

 「あ、神さまを信仰している団体なんだな」と 浄め祓い の言葉で分かったのですが「神さまなんて本当にいるんだろうか」と、またまた眉唾(まゆつば)な言葉にぶち当たってしまいました。「インチキだと分かれば、即時に退散すればいいんではないか」と自分に言い聞かせてそのチラシを握りしめました。まさに「苦しい時の神頼み」といった心境です。

 

 数日後の日曜日でした。「ちょっと東京に行ってくる}と妻に伝えて、JR成田駅から東京とは反対方向の安孫子(あびこ)行の成田線に乗りこみました。1時間余で安孫子駅に着き、手にした地図を頼りに歩くこと10分余で 「神教真ごころ 安孫子支部」と書かれた看板が掲げられた一軒の家の前に出ました。平屋造りのごく普通の民家でした。

 

 しかし、いざ教団支部の前に立つと手と足が思うように動いてくれません。「40近いおっさんが、いるのかいないのかも分からない神さまなんかに頼るのか」なんていう気持ちに腰が引けてしまいます。「いやいや、インチキと分かればすぐに退席すればいいんだから」と自分に言い聞かせるのですが、押し問答が何度も何度も続きます。

 

 その押し問答に見切りをつけたくて「えいっ」と気合を入れて「こんにちわー」と声をかけながら引き戸を開けました。「はーーい」と言って顔を出してくれたのは、真っ赤な口紅が印相的な40過ぎのご婦人でした。

 

 安心易断と同じように白装束を身につけた男性がさっそうと現れると思いきや、派手な紅(べに)のおばさんが顔を出したので、肩の緊張がガクッと抜けました。

 

 「真ごころライフを見ました」と告げるとニコニコと笑みを浮かべながら「中川といいます。どうぞお入りください」と廊下から続く2,30畳ほどある大広間に案内されました。

 そこには二人一組になった4組ほどの信者たちがいて、あの恢弘チラシに載っていたイラストのように、相手の身体に手をかざしている姿が目に映りました。

 

 「どうなさいましたか」と中川さんから優しい声で問われたので「食後の胃のもたれがなにをしてもよくならないんです」っと、今一番の悩みの種を吐露したんです。すると「大丈夫ですよ。この浄め祓いを受けることできっとよくなりますよ」なんて、満面の笑みを笑みを浮かべた顔をぼくにむけて言い放つものだから、赤くて大きな唇が花びらのように見えてきて、もう、疑うことを忘れてしまいました。

 

 「あそこに神さまがいらっしゃいますよ」と指さす先を見ると、周囲を金色の壁紙で貼り巡らされて光り輝く床の間に一軸の掛け軸が飾られています。「あの掛け軸から神様のみ光が出ているんですよ」なんて突拍子もないことを言うものだから、何も見えないぼくにしてみれば「はあ、そうですか」としか返事のしようがありません。

 

「それでは浄め祓いをさせていただきますね」ということで、ぼくは産まれtr初めて浄め祓いというものを受けることになりました。言われるままに両手を負わせて目を閉じて、座布団の上で星座すわりの姿勢になりました。

 

 「では」という掛け声と共に両手で三拍手が打たれ祝詞(のりと)の奏上のような節回しで意味の分からない文句が唱えられて「畏み(かしこみ)畏み もまおす」で終わったかな、と思ったら10分余の静粛が続きました。目を閉じていたので何も分かりませんが、たぶん、あのチラシに会ったイラストのように手をかざしていたのでしょう。

 ぼくは何も考えない無(む)の状態でいました。

 

 所定の時間が経ったのでしょう、突然「お鎮(しず)まり」という大きな声が2回唱えられて「目を開けてください」の声がかかりました。目を開けると顔を覗き込むようにして「大丈夫ですか、はっきりしていますか」と問われたので「はい」と応えました。

 

 「魂が宿るという眉間(みけん)の奥をお浄(きよ)めしました」と説明され、それに続けて首筋や問題の胃腸まわりに手をかざしてくれました。

 

 それから40分ほど過ぎたでしょうか「これで終わらせていただきますが、いかがでしたか」と中川さんから問われたのですが、これといった変化を感じることのなかったぼくは「正座をしたことがないぼくが、10分間も正座をして座り続けられたのが驚きでした」と苦し紛れの返事をすると「そうですか、よかったですね。何度か通うといいですよ」と言われて、支部を後にしました。

 

 お浄めを受けたと言っても、正直言って身体に何か変化が現れたわけでなく、自分自身も何か気持ちの変化みたいなものを感じたわけでも亡いので、どんな効果があるのかよく分からない、というのが本音でした。

 

 しかし、いい齢をしたお大人が多かったし、それに「お気持ちでいいですよ」というお浄めお礼を考えると、少し通ってみようかな、という気持ちになりました。

 

 そんな不真面目な気持で何度か通っているうちに気のせいなのか、あの胃もたれがなんとなく穏やかになってきたんです。そんなぼくの体調の変化に気付いたのか、中川さんが近寄ってきて「来月に講習会があるんだけど、参加してみませんか」と誘われました。

 

 「何ですか、講習会って」と聞き返すと「三日間の神霊界に関する話を聞いて神さまとご縁ができると、あなたもこの浄め祓いができるようになって、人を幸せにすることがでいるんですよ」と、何だか漫画のストーリーにでも出てきそうなことを言い放ったんです。

 

 「何処で行われて、費用はいくらなんですか」と聞いてみると「東京の四ツ谷にある教団本部で、月末の金、土、日曜日に行われ、費用は「お気持ち」でいいんですよ」という返事でした。乗り掛かった舟とか渡りかかった橋、ということもあるし、「お気持ち」の費用なら止めたくなればさっさと止めることもできるよな、と考えながら帰路に就きました。

 

 耳にしたこともないような神霊界の話やらを「お気持ち」の費用で聴けるのだからぼく自身は参加してみたいと思うけれど、問題はこの浮世離れした教団のことを妻にどう説明して了解を得るか、ということです。

 

 妻に内緒で参加しちゃおうか、とも考えてはみたけれど、週末の三日間とはいえ、早朝に家を出て夕方に帰宅する日が三日も続けば「あんた、どこへ行ってたのよ」ということになるに決まっています。そこで言い訳時見たことを言えば、ドンパチは火を見るより明らかです。

 

 そんなわけで今から説明をしておくことがいいのですが、うさん臭そうな講習の内容をどのように節目すれば了解してくれるだろうか、と腕を組むことが多くなりました。いやいや、ぼくの口からああだこうだ、と尾ひれをつけて説明するよりも、郵便受けに入っていたあの恢弘チラシと同じものを妻の目の前に見せるのが一番手っ取り早いのではないか、と気付いたんです。

 

 「何よ、これ」と手に取った妻は、チラシの表と裏にサーっと目を通していましたが、何の質問㎥なく、ぼくも何の補足説明を加えることなく無後のままでした。見終わった妻はたった一言「騙されないでね」でした。「はい、気を付けます」とぼくは答えて了解をもらいました。

 

 

 神教真ごころの信者になるための講習会が開かれたのは昭和57年の秋でした。当時、JR中央線の四ツ谷駅で中川さんらと待ち合わせて、教団の四ツ谷本部という講習会会場に向かいました。駅から10分ほど歩いて会場に到着し、2階に上がってそのっ会場に足を踏み入れると3人用の座りい机が横に3列、縦に20数列の全部で5,60台ほどが整然と並べられていました。

 

 中川さんに促されて、縦列の中ほどの一番手前の机に腰を下ろしました。やれやれと気持ちが落ち着いてきたtころで周りを見回してみると、前の席も後ろの席もぼくよりずっと年配の人たちで埋まっていました。

 

 齢を重ねt来ると人の知見では解決できないことが多くなってきて、居るかどうかも分からないけれど、神仏というものに頼るような気持ちが強くなってくるんだろうな、と自分の姿と重ねていました。

そんなことを考えていたら教団幹部のあいさつが始まり、続けて教団の沿革や規模などの説明があって、興味深く耳を傾けていました。

 

 神さまとは何なのか、という本題の講習も始まって一語一句を聞き逃すまいとみ構えるようにしていた午前の部は終わり、昼食を摂って午後の部が始まりました。

 

 ところが、午後の部が始まると昼食後のお腹の膨らみに胃もたれの膨満感も加わって、耐えられないほどの睡魔に襲われて目を開けていられなくなったんです。目をこすり、頬をつねってみたけれど眠くて眠くてたまりません。

 

 何時寝入ったのか、寝入ってからどれほどの時間が過ぎたのか分からないけれど、突然、ぼくの席のすぐ前に見知らぬ男がこちらを向いて座ったんです。ぎょっとして飛び上がらんばかりに驚いて目を覚ましました。それで、その男が出てきたのは夢の中だと分かったのです。

 自分の身体が大きく跳びあがって周りの人に迷惑をかけたのではないか、と見渡したけれど、そのようなけいせきはなく、高周波粛々と続けられていたので胸をなでおろしました。

 

 それにしても、とても驚きました。胸の高鳴りもなかなか収まりません。突然、見知らぬ男が目の前に座ったんですから。しかも、その顔には目とか鼻といった顔の造作が一切ないぺロっとしたのっぺらぼうだったのですから。

 

 しばらくして胸の高鳴りも収まってきましたが、いったいこの夢は何なのか、という思いでした。夢に出てきたこの男がどこの誰なのかも知る由もないし、講習会のうたた寝の中で夢となって現れるような人なんか、身に覚えがありません。

 その後は何事もなく、第一日目は終わりました。

 

 二日目も昨日と同じ席に着いて講和に耳を傾けていました。午前の講話も終わり、昼食を摂って午後に備えました。ごごの講話が始まってしばらくすると、昨日と同じようにたまらなく眠くなってきて、こらえきれずに寝入ってしまいました。どれほどの時間がたったのか分からないけれど、また、あののっぺらぼうの男が突然に、ぼくの前に座ったので跳び起きました。 

 

 「昨日と同じ男だ」と、さほどの驚きはなかったのですが、のっぺらぼうの顔だけでなく、ひじのところで区の字に曲げた右手を腰に当てている格好もよく見えて「いったい、これは何なのか」と偶然の夢ではないように思えてきたんです。

 

 三日目も昼食後の同じような時刻になると眠くなってきて寝入ってしまい、あののっぺらぼうの男も同じ格好でぼくの前に座ったので「またか」と驚きもせずに目を覚ましたのです。同じ夢を見るのも3回目ともなれば驚きというよりも「これは変だ」と感じて、3時の休憩時間を利用して付き添ってくれた中川さんに聞いてみたんです。

 

 すると、中川さんの口から思ってもみなかった言葉が出たんです。「ご先祖の方(かた)が来られていますよ」と。「ええっ、そんなことってあるんですか」とびくが怪訝な目を向けると「この講話を聴きに見えているんですよ」

と真顔で応えるものだから、ぼくは中川さんが何だか特別な人のように見えてきたんです。

 

 それからというもの、右手をくの字に折り腰に当てた格好で夢に出てきたのっぺらぼうの男が、いったいどこのどなたなのか、ということがぼくの頭から離れられなくなってしまいました。

 そして時は流れて、そののっぺらぼうの男がどなたなのかがはっきりと分かったのは、それから30年後の、ぼくが65歳のときでした。

 

                 文字数の制限越えのため――――ーーーー二話に続く