思い出した内容で、古い本からだと思うから解釈がおかしい点もあるけど、なるほどと思う点があるの文章が会った。
偏見的なものは無いのが前提です。
物事に失敗したときや、悪いことをしてしまった時の観念的なもので、
「日本人は恥をかく事を恐れ、西洋人はそのことによる神からの罰を恐れる。」
今回は西洋人という記載にしたけど、、宗教が根本にある場合、特定の神様から悪いことをした場合、神様に対して謝罪する。神様から、罰を受けることが、恐怖なのに対して、日本人は人前で恥をかかされることを極端に嫌う。という一文です。
なるほどなって思いました。
恥をかくtってことに対して自分はかなり恐怖心があります。
失敗したら「恥をかくんじゃないか」って思い、行動できなくなることってよくあります。それが自分の心を抑圧して、向上心のある場合、その重石との戦いになるわけです。
絶対的なものが自分の心の外にある(信じるものがある)場合は確信を持った行動が可能だと思います。
恐らくそれには絶対的名真理があるからです。
無神教の場合、誰かのために、とか、何かのためにとか、そういう実在するもの、恋人や家族、恩師、友人、など、のために、という気持ちがあればその重石をぶち壊せます。守るものがあるとか、義理とか、大儀とか、そういうものかもしれません。
具体的に形としてある場合がそんな感じですね。
でも、そういうものを持ってないというか、はっきりしない場合は、自分の行動を信じなければなりません。
自信に満ち溢れている場合「信じるものは俺だけだ!俺なら大丈夫!」的な自己暗示によって何とかなる場合もあります。良くアファメーションって言って、ビジネス書にも書いてありました。
それが確立出来れば、強い自分でいれそうです。でも、なんとなく、自我がつよくなると、柔軟性にかけそうな気がします。
「私利私欲を払う行いを正しき行い、善行。として、それを繰り返すことで自らが聖人になる」という文、これは最近良く日記に書いていた陽明学から抜粋ですが、自分はこの中の考えを現代風に柔軟性を効かせたまま行動力にに活かせればと考えています。
ただ、かんがえの一つですけど、欲望をもっと持て!!と言う人もいますし、それによってパワーを発揮する人もいっぱいいます。
自分のタイプがどれに当てはまるか。
それによって抑圧をはじき返し、自分らしく生きれる道を選ぶが正解ですね。
俺の場合は、良いことをいっぱいして、t対価としての感謝が、自分を強めてくれる感じが自分に合ってると思ってます。
困っている人がいるときに即座に助けられますかね。
動けない人は何らかの要素で「恥」を受ける可能性が抑え付けてるんだと感じます。
自分もまだまだですけどね。(・∀・)