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治療家 JUNのページ

肩の痛み、首の痛みの治療を得意とする治療家です。日々、気になったことなどを書かせてもらいます。

多くの痛みに苦しんでいる方を治療したいと思っています。

相談ごとなど気軽に受け付けています。


時々、何かを表現したい願望に駆られる。

自分は音楽をやったり、絵を描いたり、最近はいい文章をかければいいなと、色々ほんを読んでたりしていた。

最近は、音楽もてんで聴かなくなっていたし、演奏も全くしてなかった。

本を読むときの環境と自分のすきな音楽がタイプが合わないかです。

文章を読むときは理解力が必要になるのに、そんなときにジミヘンのパープルヘイズやファイヤとか、ジャニスジョップリンとか聴いてたら、確実に意識が音楽のもってかれるような感じです。

普段の自分は、逆にいままでしてきた、ボールペン字練習とか、読書とか、日記書くなんて、大嫌いだった。

そいつを職場内での経営の本とか読む流行と、あるきっかけで薦められた、葉隠れ入門から奥の深さをかじり、言葉や、文章の力ってものを知った。

分からないところがあっても、それが共感できたときに何となく作者との一体感というか愛着が産まれる。


自分は、画家になりたかった時があった。絵で自己表現を極めてみたかった。

その時に、他人の模倣じゃない、本当の自己ひょうげんとは何だ?とか、自己ってそもそも何なのかとか考えていた。20代はじめ頃、学校で教わることが何もそれと結び付かずに、失望して、池の奥深くまで沈んで、ようやく自分の事がなんなのか分かって、表現していく事に喜びを感じていた。

壊れかけ。  今の自分にはそのときの感覚は分からないけど、こんなこと考えるやつは自分だけかと思ったら、偶然にも出会えた天才肌の友人が、その同じかんかくに共感してくれたことに、お互いに喜びを酒を飲みながら歓喜していた。

彼の支障は、粘土で原始的名建物を作り、そして火をつけ、焼きものとしての構造物を作るアーティストとして有名だったらしい。

その師匠も、自分というものの追及で、掘りこし掘り起こし、精神的名ぎりぎりの水面下での自己表現をしていたと聞いた。

自分は、もう、その感覚が全く分からない。


ただ、その時は、普通の感覚に戻るには、大切な何か(自分を知ること)をおいていく気がして全うな所を嫌っていた。 でも、全うでなければ社会に溶け込めず、そのまともな所に心をやると、その時に気が付いていた、握っていた大切なものを離さなければならないと考えていた。

現に今は、その時に考えていた事を思い出せない。そんな「方法として」の自己表現をしていた記憶だけが残っている。


共感していた友人は結局あり中になり、気が狂った。


自分がその場を離れてから、震災があり、津波が来ると鋳金のために使うハンマーを振り回して救急車とパトカーがきたというはなしを聞いた。

結局今までは何かしら彼がおこしたトラブルが起こると俺が呼び出されて、説得して納得させて終わるというまるで異国の人間扱いされている奴だった。

でも、彼は、作品的には誰よりも奇才を放っていた。何をしても発想がずば抜けていた。

それkら、時間が過ぎて、都内で彼と会ったときに話したことがある。
中古車のバイヤーをやっているらしい。


彼に、制作活動はしているのかと聞くと、「その話はやめてくれ。壊れてしまう」と言われた。

それから会っていない。


今は自分はそんな領域を離れ、うわべにいて、深くは追求しないシンプルな世界にいる。

そんな中でも、奥深いところとか、ナチュラルな状態で知ることが出来て、結構楽しい。

オリジナリティーを詰めるって言うことは別に楽しんでれば勝手になってくれんじゃないの的な考えで、完璧を求めないようにしている。


いまとなってはそれが正解だったと確実に思う。


上に書いたか例外に、自分いは、他の天才がいる。画家で、フランスで評価されてる奴だ。
統合失調症になっている。

たまにメールが来る。


「形而上学で、その剣は鞘に入ってたんだ」

自分は、そうなんだ、それは聖剣かもねって返事をした。


でも、彼は立派な画家だと自分はは認めている。