日中国交正常化50周年の今年を「日台復交元年」にすべきだ。 | 「ぶわっ」

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「日中国交正常化50周年」という言葉がどうも気になる。

何が正常化なのか?なんで50年なのか?
 日本とシナの国交はシナの歴史書に記されている。日本が弥生時代の末ころから今のシナと現代で言う国交関係にあった。

 三世紀末のシナの歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻、通称「魏志倭人伝」には女王卑弥呼の統治した邪馬台国の時代の様子が記載されている。
それによると、180年頃. この頃、倭国大いに乱れる 卑弥呼を立てて王とする(邪馬台国) 239年. 卑弥呼、魏に使いを送り「親魏倭王」の号を受け取る ; 250年頃. 卑弥呼、壱与、女王となる、などということが書かれている。
そうして見ると記録にあるだけでも日中国交は約1800年の歴史がある。
余談だがアメリカとの国交はたかだた170年ほどだ。歴史的視野で見ればアメリカは世界史に最近出てきた成り上がり国家だ。アメリカとの国交はつい昨日のようなもので、それに比べれば1800年に及ぶ日本とシナやその属国の朝鮮との外交史は一桁も違う国交がある。
 この間にはシナや朝鮮半島との外交では実に多くの出来事があった。忘れてはいけないのは元寇だ。高麗に「日本を攻めましょうや」とそそのかされた元がその気になって鎌倉時代の日本へ一方的に侵略戦争を仕掛けてきた。おかげで日本はとてつもない大被害を被っている。

  シナ人や朝鮮人の残酷さは当時の記録に残されている。

  対馬をまず襲った元・高麗軍は無抵抗の島民を殺戮。生きたまま両掌に穴を開られ島民男女は紐で何十人と軍船の船べりに吊るされたという。日本人を生きたまま吊るした軍船団が壱岐島、九州北部へ攻め込んだという。

 二度にわたる元寇でまかり間違えば日本は亡国の瀬戸際まで追いやられている。圧倒的軍備優位のモンゴル、高麗連合軍の猛襲から日本を守ったのは、いまテレビの歴史ドラマで放送している「鎌倉殿の13人」でおなじみの北条執権政府である。 

 関東武士の護国奮闘ぶりには感謝しかない。元寇船には牛馬、農具、種子、農民まで積み込んでおり、日本を占領上陸し植民地にする計画だった。もし日本軍が負けていたら今頃は日本列島に日本人は存在していない。日本は鬼畜シナ・朝鮮人の支配国家にされていただろう。

  元寇は過去のことではない。いまだに執拗に日本へ害悪をもたらしているシナ・朝鮮人は地上最低の敵としか言いようがない。形を変えた元寇はいまだに継続しているのだ。
  このときの元寇についてシナや朝鮮の後継国家は日本へ一度も謝罪をしていない。過去の国家が日本へ侵略戦争を仕掛けたことは現在の中共独裁国家政府、北朝鮮、韓国政府は無関係だというなら大東亜戦争でシナ人も朝鮮人も日本を批判する資格はない。何かほざいてきたらお前らが先に元寇を謝ってこい、それが先決だと無視すればいいのである。
 
 そうしてみれば今年9月末で「日中国交正常化50周年」などと日本政府は言っているがちゃんちゃらおかしい。過去1800年という外交史の紆余曲折がたかだか直近の50年で「正常化」しただと公言するのはおこがましい上に間違いである。そもそも何が「正常化」したというのか。日本EEZ内に実弾のミサイル5発もシナに撃ち込まれている。これでどうして日中が正常な国交関係にあると言えるのか?
 むしろ尖閣海域を見ればシナは日本の領海や八重山列島をシナのものだと虚偽宣伝し侵略行為を繰り返しているではないか。これを正常化というのはおかしいということは小学生でもわかる話ではないか。そもそもシナ自身は日本と国交を正常化したなど微塵も思っていない。
 
 シナにはもともとこの地球は全部シナのものだという誇大妄想的世界観がありいまも全世界各国はシナの奴隷国家だと考えている。その証拠は北京へ行けばよくわかる。北京には朝陽区に天壇というものがある。天壇はかつてのシナ皇帝がここで天に向って祈った場所だ。つまり地上の最高支配者はシナ皇帝でありシナ皇帝が仰ぎ見るのは天帝だけしかないという思想である。いまのシナ独裁中共独裁国家政権もこのシナ皇帝気取りで瓜二つである。
 だがそこに立ちふさがるのはアメリカでもEUでもない日本である。なぜならシナ皇帝気取り国家が天帝を仰ぐ場所にいるのは天の聖権神という天皇大帝であり、実際には天皇(スメラミコト)を国家元首にいただく日本なのである。天皇とは古代中国で道教思想による最高神、神格化された北極星(天皇大帝)を指す。

 別に比較するにも及ばないがたかだか地上の支配王であるシナ皇帝に対してシナ皇帝が仰ぎ見る天には天帝がいる。その天帝として天を統べる神が天皇大帝という意味なのである。この天を支配している天皇大帝が日本列島をつくり天孫が日本へ降臨して地上世界を治めるというのが日本起源の神話である。

 シナ皇帝の仰ぎ見る天の神とその系譜が皇統譜としてつながる天皇がしらす国こそが日本であり日本書紀に明確にされた神国日本の由来なのである。日本書紀を編纂させた天武天皇は日本という国を当時の世界最強のシナに対して対等の国家として認知させなおかつシナの優位に立つべく日本建国神話を日本書紀に盛り込んだ。

 日本は朝鮮はじめ他の国がシナの属国だった時代に日本はシナと対等の独立国だと天武天皇が堂々と宣布したのである。
 その後、天武天皇が亡くなり日本が文武天皇(その母が持統天皇)の時代、702年に遣唐使がシナへ行き、国名を「日本」に変えるという「国名変更の通知」をした。シナただ一人の女帝である則天武后がそれを認めた。以来1318年間、日本という国名は続いている。国家名がこんなに長く同一である国は世界に日本ただ一国だけである。
 シナ皇帝を気取った毛沢東、その二代目を気取る習近平、いずれも凶悪な独裁者である。そして習近平のやっているチベット、ウイグル、香港などの人権犯罪、世界を相手に覇権主義で略奪をする狂態はまさに人類の敵である。さらに日本に対する侵略行為やもろもろの恨日犯罪は天に唾する愚行である。

  またまた余談だがシナでさえ日本という国号や天皇をそのまま尊重する(当たり前だが)のに朝鮮人の韓国がいまだに日王(イルワン)だの日帝だの無知蒙昧な呼称を使っているのは韓国は常識のないバカな国だと世界に醜態をさらしているようなものである。
 日中国交正常化50周年とは中共独裁国家にいいように騙されてきたシナの詐欺外交50周年である。日本政府は愚かしくも意味不明な「正常化」などという言葉を使うべきではない。
 
 日本が正常化という意識を仮に持ったとしても、シナにとって日本は有史以来のシナの奴隷属国扱いであり、よくても辺境属国程度という朝献国家の扱いである。その証拠にシナ報道官や外交官の言動は日本を対等に扱う態度ではない。常に目下扱いで「こうするな」「ああするな」「日本政府を指導した」と命令口調でふんぞり返っている。これまた「正常」二国関係とはほど遠い。シナ人には対等平等の国家関係、人間関係というものはなく、常にあるのは優位か劣位かの上下関係しかない。勝者か敗者か、悪か善か、損か得か。つまりシナ人は有史以来、我利我利亡者なのである。聖徳太子の言葉と言われる「和をもって尊しとなす」という精神が最も欠けているのがシナ人なのである。
  
 日本がそれまでの大王ではなく天皇称号を使い始めたのは7世紀後半の第40代天武天皇の時代である。天武天皇は天智天皇の弟であり壬申の乱では天智天皇の息子の大友皇子と戦って天皇となった。この天武天皇の時代に日本という国号も天皇という称号も定められ今の日本国の基盤を確立した偉大な天皇が天武天皇である。
 時あたかも壬申の乱(西暦672年)より今年は1350年である。本来であるなら世界が第三次世界大戦に実質的に巻き込まれつつある現在、守るべき日本とはなにか、日本の敵とは何か、その根本である日本なり天皇なりを国民全体が考える節目の年なのである。岸田政権にはそういう雰囲気はまるでない。
 この年によりによって天武天皇、持統天皇の故地である藤原京にも遠くない奈良市において安倍元首相が凶弾に倒れられたことは痛恨の極みである。安倍元首相は日本の守護神ともいうべき存在であった。
 先にアメブロに記したのだが安倍晋三元総理の御霊へ哀悼の挽歌を捧げた。ここに僭越ながら再掲しておきたい。
 
 まほろばの 大和の空へ 旅立ちし 君の御霊は 国護らなむ


 話が遠回りになった。閑話休題(あだしごとは さておきまして)。

 いわゆる「日中国交正常化50周年」についてその呼称の誤りを指摘すると共に日本外交についていくつかの提言をしたいというのが本拙文の趣旨である。
 
 ❶「日中国交正常化50周年」という表現を借りれば、その裏を返せば「日台国交不正常化50周年」ということである。

 今年はシナとの50周年行事はすべて取りやめとすべきだ。それに代わって今年を今後50年を見据えて「日台復交元年」とすべきである。そのために東京と台北で記念となる行事を行っては如何か。これまで何度も行われたが「国立台湾故宮宝物展」を東京と台北で同時開催してもいいかもしれない。それと同時に政府、民間など幅広い日台人事交流を行ってはどうか。観光や物産取引など人や物の往来を盛んにして日台間、とくに台北-八重山諸島間に航空便や船便など定期便を開通させるべきである。このように民間レベルでの日台交流の拡大が急務である。安倍晋三元首相は台湾を訪問する意向だったと言われている。それは叶わなかったのだが日台復交を願って行動されていたのは間違いないだろう。
 
 ❷シナ軍の起こす台湾有事は日本有事ではなく、日中有事である。この意味の違いを日本政府はよくよく考えないといけない。日中有事が日ソ有事へと連動する可能性もある。日本が友好の意志を持っていたとしてもシナはすでにあからさまな敵対行動を露骨に示している。
 その抑止と攻防非常事態に備えて「日台米」あるいはその拡大も含めてシナ侵略防止包囲網としての軍事同盟は実質的に必要だ。まず東シナ海か日本海で日台米に豪州、インド、英国などを加えた軍事演習を計画してはどうか。難しくとも意志あるところに道あり、である。千里の道も一歩より。日台連携へまず最初の一歩を踏み出す年にすべきである。

 将来的にはアジア版NATOのような集団的安全保障、集団防衛体制を検討開始スべきである。日中有事に本気で政府は備えないといけない。戦うにも弾丸の備蓄がまるで足りてないなどというお寒い現状を何とかしてもらいたい。
 
 ❸日中関係の今後はどうなっていくのか。シナ自身が独裁国家をやめてシナ人自身の手で自由と民主主義の国へと「正常化」されていく可能性は現状では極めて低い。反対に日本の脅威、世界の悪魔へと増殖する可能性のほうが高い。日本にできることは可能な限りシナを衰退化させる封じ込めを試みつつシナからの侵略防衛力を高めるしかない。
 シナの日本企業数は減少傾向が強まっている。それでも2022年6月時点でシナへ進出している日本企業は1万2706社(帝国データバンク調べ)もある。シナに暮らす日本国籍者数は約17万人と言われる。今後台湾有事、日中有事となればこれらの企業はシナ共産党の支配下に強制管理され在住日本人は出国は許されず全員が人質となる。これではシナと戦えるわけがない。国交正常化だの日中友好だのは日本政府が一方的に抱く幻想に過ぎない。日本政府はシナのリアルに目覚めないといけない。

最後にもう一度「今年を日台復交元年」として日台のさらなる絆の強くなることを願ってやまない。