
銀河の舟歌 50年の漂流 審査員のユーミンさんが「おめでとう」の魔法を
1974年(昭和49年)2月…もう50年以上も前か
東京有楽町よみうりホール(今のビックカメラ)で
ヤマハの第7回ポプコン (ポピュラーソングコンテスト)
譜面応募の部(ソロシンガー部門)大会。
僕も約1000曲の応募から24曲という難関?を
何かの間違いでクリアして、
自分で作詩・作曲した「銀河の舟歌(白いベッドの舟)」という
バラードで、この大会に出場。

あ、この頃は池田モノリスじゃなくて…池田とも(って、誰?)
オーケストラをバックに生ギター1本で歌うのは
もちろん生まれて初めての体験で
「まるで本当の歌手になったみたい?」で最高の気分でした。
編曲してくれたのが、まだ若い頃の松任谷正隆さん。
(多分、キャラメル・ママ結成の直前あたり?)
当時のマイ・ギターはヤマハのFG-140だったのですが
「あんまりだから(え、どこが?)本番では、これを使えば…」と
ヤマハ銀座店の小島さん(今、どうしてんだろ?)が
マーチンのすごく高そうなギターを貸してくれた。
貧しさに負けそうになりながら、もがき歌ってた日々(もらい泣き)
で、「銀河の舟歌(白いベッドの舟)」は
決して編曲やギターのおかげではなく!
実力&雰囲気で?無事入賞。
コンテスト終了後の控え室…
松任谷正隆さんと、あの「ユーミン」さんにばったり。

松任谷正隆さんとは編曲の打ち合わせで顔も知っていたけれど
ユーミンさんにお会いしたのは…もちろん初めて!
まだお二人が結婚する2年位前で
多摩美大生の「荒井由実」さんの頃。
その前の年の暮れにファーストアルバム「ひこうき雲」を
発売しばかりなのに、もうスターのオーラが燦々と。
実は当日の審査員のお一人で、
「あなたの曲が、今日の最高点だったわよ。
すごく雰囲気があって良かった」
と、目の前20cm位で声をかけてもらいました。
このかすかな記憶が、以来
「僕の脳内家宝」となっています。
人生は決して辛いことばかりじゃないよ(号泣)





