2022年12月 パパの病気が分かりました
闘病中は自分の心を整理する為に
そして健忘録の為にブログを書いていました
パパは約8カ月の闘病の末 旅立ちました
いま振り返ってみると
少し違って書いてしまっていたり
書いてなかった出来事や症状もあると思うので
記憶にあるうちに振り返りながら
書き留めておきたいと思います
2023年2月22日
退院支援の看護師と退院日の調整
電話で話をした
抗がん剤と放射線治療の
最終日は3月3日
この時は私は2週間おきの通院を
抗がん剤と勘違いしていた
3日から2週間後…などと計算しながら
退院は子供達が春休みに入ってからがいいな
なんて漠然と考えていた
2週間おきの通院はアバスチンの点滴の為
抗がん剤は服薬だった事に気が付く
今までの面会禁止だったので
パパがどんな薬をどういう量で飲んでいるか?
書類で見る薬の名前くらいしか知らなかった
看護師と退院時期について希望を伝え
話を聞きながら自身の勘違いに気が付く
アバスチンをいつ打つのか分からないけれど
春休みまで退院を延ばす事はできないか?
相談すると看護師からの返答は
「あまり状態はよくないので
一日も早く退院した方がいいと思います」
やっぱり状態は良くないんだ
ならば最短で退院できる日でお願いします
と伝えると
抗がん剤・放射線治療終了後の
最初のアバスチンは6日なので
6日以降の退院で進めましょうとの事
通院までの2週間はフルに使いたい
アバスチンを打ってすぐの
7日に退院する事に決めた
まだ介護認定もおりていない
準備はケアマネージャーと話しただけ
緩和ケアの病院の面談もしていない
なのに退院の日だけが決まってしまった
あまり日もない
急いで準備を進めなくては…
看護師から
「介護の経験は無いと思いますので
病院へ介護の練習にきてください
数日、3日くらい来ていただきたい」
病院へ行く日を決めた
3日間病院へ通って介護の練習をする
見た事もやった事も無い介護の練習
本来ならば不安に思う事なのに
3日もパパに会える事の方が嬉しかった
その時は日々の速い流れの中で
自分に与えられた事をこなしていいくのに
精一杯で気に掛ける余裕がなかった
介護の練習なんて
通常はしてくれるものなのかな?
コロナ対策で面会禁止のなか
特別に病室に入ることを許可してくださって
退院した後の介護の事を気にかけ
練習をさせてくださった担当医に病院に
そして何より私を指導してくださった
病棟看護師の方々に感謝
3日間介護の練習に通った事で
いろいろな事を知った
きっとこの期間が無く
突然介護生活が始まっていたら
すごく苦しい状況になっていたかもしれない