2022年12月 パパの病気が分かりました
闘病中は自分の心を整理する為に
そして健忘録の為にブログを書いていました
パパは約8カ月の闘病の末 旅立ちました
いま振り返ってみると
少し違って書いてしまっていたり
書いてなかった出来事や症状もあると思うので
記憶にあるうちに振り返りながら
書き留めておきたいと思います
話は少し戻ります
2023年2月1日
医師に言われた言葉
「3月3日に治療が全て終わり
当院で出来る事は無くなります」
同時に伝えられたこと
退院後は2週間おきに投薬の為に通院
神経膠腫の標準治療
① 腫瘍を出来る限り切り取る
② 抗がん剤(テモゾロミド)
③ 放射線治療
②③ もう少し詳しく
42日間(6週間)
抗がん剤の毎日の服薬と同時に放射線治療
↓
4週間の休薬
↓
抗がん剤(5日服薬)+23日休薬
28日サイクルで繰り返す
抗がん剤の初期治療は入院で
その後の28日サイクルの投薬は
通院で行われる
本当のところは分からないけれど
医師は最初の時は初期治療以上は難しいと
考えていたのではないか?
だけどこの時
抗がん剤服薬の継続とアバスチンの継続を
決断してくださったのだと今は思う
私は情報が多すぎて頭が混乱していた
2週間おきの通院は抗がん剤の為と
解釈していて同時に通院の後にも
抗がん剤の服薬が必要なのかな…
実際は2週間おきにアバスチンの為の通院
抗がん剤の服薬は自宅で
それまでずっと
治療が終わった後は
家での介護は過酷なものになるから
どこかに入院させた方がいいと思う
医師は言っていた
でもこの時の医師の言葉は
「自宅で介護して…」と変わっていた
そして
「何処かに入院するならば
2週間毎に退院して
こちらに通院してもらう感じかな
対応してくれる病院… 少し遠いけど
系列の病院を紹介することもできますよ」
まだ治療が始まったばかりで
想定していなかった話にショックを受けた
退院なんてそしてその後の事なんて
考えもしていなかった
私の頭の中はぐるぐる考えていた
系列の遠い病院はお見舞いに通えない
子供達ともっと会えなくなる
近隣の病院だと緩和ケア?
緩和ケアは抗がん剤は飲ませて貰えないはず
抗がん剤の治療が中途半端になる
もしくは出来なくなる?
一年くらい前に別のことで
緩和ケアや介護ホームを調べる機会があった
抗がん剤は対応して貰えない事は
すぐに想像できた
医師の言う通り自宅介護で
家に連れて帰ろう
ずっと連れて帰りたいって思っていた
元気になって帰る
そう願っていたけど
もうそれは難しい
でも家に連れて帰れば
抗がん剤治療がきちんと受けられる
子供達にもいつでも会える
そう思うと
もう私の頭の中は連れて帰りたい
その一心になってしまった
看護師から
介護認定の申請をするように言われる
「私達はおそらく要介護5の認定になると
思っています
でも、認定する側の基準がわからないので
要介護4になるかも?といった状況です
要介護5で認定されるといいですね」
私は4と5の違いが良く分かっていなく
あまり気にしていなかった