2022年12月 パパの病気が分かりました

闘病中は自分の心を整理する為に

そして健忘録の為にブログを書いていました

パパは約8カ月の闘病の末 旅立ちました

いま振り返ってみると

少し違って書いてしまっていたり

書いてなかった出来事や症状もあると思うので

記憶にあるうちに振り返りながら

書き留めておきたいと思います

2023年2月28日

緩和ケア病院の院長先生と面談

とても天気のいい日

自転車でちょうど30分くらい

実際に走ってみて

うん。大丈夫ウインク通えると思った

 

診察室に通される

院長が直々に面談をしてくださった

ご挨拶の後…

 

「病名を聞いて大変だなと

 退院後は当院へ直接入院されては

 どうでしょうか?

 寝たきりの状態では

 かなり大変だと思います」

 

とおしゃった…

私の思いを伝えて院長が

どのように感じるのか?

私が思っているのはお願い事だらけ

とても不安だった

 

緩和ケア病院

一度入院したら退院なんてできない

そんなイメージを持っていた

どこまで実現できるのだろう

でも言わなくちゃ

 

・大学病院では 最期の時を考えて

 緩和ケア病院の予約をと言われ

 ご連絡したこと

 

・基本的には在宅でと考えていること

 でもちゃんとできるのか?分からない

 1・2日でもう無理ってなったら

 その時はすぐに受入れて欲しいこと

 

・入院した際には2週間に一度

 大学病院に抗がん剤等の為に

 通院させてもらえないか

 

・コロナ禍で看取りは3人までの決まり

 万一の時は4人病室に入る事を許して欲しい

 

こうやって書きだしてみると

かなり沢山の希望を伝えたなと思う

 

院長は私の一方的な要望を

ひと通り聞いてから話を始めた

 

以前に同じ病の方を受け入れた事があること

その方の奥さんは小さい子供の育児中で

本当に大変で辛そうだった…

途中で限界になってしまって

「もうこれ以上は難しい」と

その後はずっと入院されたとのこと

想像するだけで胸が痛いと思った

 

この病は本人もご家族も本当に辛い

そして家族はとても大変な思いをする

同じ病気の方を受け入れた事があるからこそ

会って話がしたかった

少しでも力になりたいと思ったと

おしゃっていた

 

病院には在宅支援の看護ステーション

が併設している

そちらからケアマネージャや訪問医・看護師を

対応させましょうか?

と、ご提案もいただいた

 

本来なら我が家は少し遠いから

通常は対象範囲外になる

 

でも既に自分でケアマネージャと

在宅看護師を頼んでしまっていて

介護申請前に動いてもらっていた

 

ケアマネージャは介護申請を元に

行政から報酬を貰うと聞いていたので

この時点で変えてしまうと

今お願いしているケアマネージャは

無給になってしまう事になる

申し訳ないけれど

院長のご提案をお断りする事になってしまった

 

でも訪問医師だけはお願いする事にした

 

最後に院長は

 

「できる限り

 ご希望を叶えてあげたいと思う」

 

と言ってくださった

 

今になって思う事

 

パパが亡くなってから私は

ある会に参加させていただいている

 

死別した方や介護に携わる仕事の方々が

交流し思いを伝えあう事で

前を向いて過ごせるようにという集まり

 

その中で同じように配偶者を亡くされた方々と

何人かお会いする機会があった

 

多くの方が終末期になって

病院から緩和ケア病院を勧められ

どうしていいか分からず戸惑い

なかなか自身の気持ちを要望として出す事が

難しかったと思うようだった

 

でも私は

パパの病気が希少な病気で

本人が意思決定できず私の判断に委ねられた

その事で私は難しそうな事でも

ダメ元で伝えてみようと思うようになり

それがだんだん言わなくちゃいけない事

のように感じていた

 

そして…

色々な条件を考慮して探して

連絡をした緩和ケアの病院は

同じ病気の方を受け入れたことがあり

その闘病中の家族の大変さを知っていた事で

より協力したいと思いを持ってくださっていた

 

いろいろな事が重なって私はとても

恵まれていたのだと今は思う

 

時々不安になったり悩んだりしながら

どうにか家族の時間を作りたいと

思っていた私の背中を

関わる全ての方々が少しずつ押してくれた