遺伝子の型 の表記に誤りがあったので
修正しました
2022年12月 パパの病気が分かりました
闘病中は自分の心を整理する為に
そして健忘録の為にブログを書いていました
パパは約8カ月の闘病の末 旅立ちました
いま振り返ってみると
少し違って書いてしまっていたり
書いてなかった出来事や症状もあると思うので
記憶にあるうちに振り返りながら
書き留めておきたいと思います
2023年2月1日
抗がん剤(テロゾロミド)と
放射線治療の効果は
腫瘍の増殖のスピードを抑える程度
効果は少ないと思ったのと同時に
少しでも効果が出ていると
希望を感じもした
パパの異変に気がついて一カ月半
入院して一か月が経とうとしている
この頃 私と子供達は
誰も言葉にはしないけれど
いつか来るその日は
そんなに遠い未来ではないのだと
皆それぞれに感じていた
同時に標準治療の効果に希望も持っていた
少しでも時間を延ばしたい
いろいろ調べた内容を医師に確認する
腫瘍の場所
切り取れば植物状態になってしまう場所
それだけで理由は充分なのかも知れない…
でもどうしても場所が知りたかった
脳の図鑑を買って読んだりもしたけれど
脳という場所は繊細で複雑で漠然としていた
視床部にあるから切り取れないとの事
医師の話の感じでは
頭の中心から左寄りの位置なのかな?と感じた
→後にセカンドオピニオンでもっと詳しく
知る事になる
病名
悪性神経膠芽腫 IHD1 野生型
野生型(wild type)膠芽腫のほとんどは
IDHに変異のないwild typeと
何処かに書いてあった
でもパパの病気は
LDH1という遺伝子に変異があるのかな
と思った
余命は14か月くらい
腫瘍を切り取れないから
またその半分くらいになるだろう
アバスチン
私はとても希望を持っていた
アバスチンによってパパの意識が
はっきりするのでは?
意識がはっきりする効果は
少し得られるかも知れないが
この薬に延命する効果はない
病気が治る事はないとの事
それでも・・・
少しでも意識がはっきりするなら
やはり希望だと思った
もう一度パパと話がしたい
セカンドオピニオン
医師は是非してくださいと言った
私が心配していた事なんて
ひとつも無かった
なぜ?恐れていたのだろう
私は病院を迷ってるので
医師の意見を聞きたいとお願いする
医師はある大学病院を勧めてくれた
事前に調べていた
実績の多い大学病院の名前だったので
その病院に紹介状を書いてもらう事にする
医師からの話
質問が終わると医師から
想像もしていなかった事を告げられる
「3月3日に治療が全て終わるので
当院で出来る事は無くなります」
もう入院はできなくなるから
自宅で介護して
手に負えなくなったら
ホスピス・緩和ケアを検討してください
看護師からも介護保険の申請を勧められる
私はこの時、積極的治療の終了だと
かなりショックを受けた
まだやっと治療が始まったばかり
ホスピス・緩和ケアという事は
もう終末期医療への切り替えの話
でも確かにそうなのだ
神経膠腫の標準治療
① 腫瘍を出来る限り切り取る
② 抗がん剤(テモゾロミド)
③ 放射線治療
① 切り取れない
② 抗がん剤(もう最大量で服用)
③ 放射線治療(照射量MAX)
他にできる事ない・・・
絶望的な気持ちだった
だけど・・・
この時の医師の大きな決断に
私は気が付いていなかった
時間が経って少しずつ
その事に気がついていく