2022年12月 パパの病気が分かりました

闘病中は自分の心を整理する為に

そして健忘録の為にブログを書いていました

パパは約8カ月の闘病の末 旅立ちました

いま振り返ってみると

少し違って書いてしまっていたり

書いてなかった出来事や症状もあると思うので

記憶にあるうちに振り返りながら

書き留めておきたいと思います

セカンドオピニオンは

自分で勝手にできないと判断していた

 

進行が速すぎたこと

標準治療が始まっていること

いろいろな理由を考えて

 

そして何よりも

治療をしてくださっている医師が

不快な思いをするのではないか?

信じていない?って思われるのかも

と思ってしまっていて

しないほうがいいと思い込んでいた

 

だけど実際には

医師の説明に交じる専門用語が分からない

でもあまり質問するのも

何度も聞き返すのも…悪いのではないか?

医師の反応を勝手に想像していた

パパの病気の事が分からな過ぎて

毎日のようにパソコンを検索し

モヤモヤする日々

 

ある日

入院時からの書類を整理していて

ある用紙を見つける

 

「ご希望があれば

 セカンドオピニオンをお求めになる

 権利があります」

 

病院がこんな書類を出している

セカンドオピニオンって権利なんだ

 

と思ったら・・・悩み始めた

 

パパが判断できないなら

私がするしかない

それって責任重大で

パパはどう判断するか?どう思うのか?

私はちゃんとできているか?

色々な考えが巡った

 

次男が悩む私の背中を押してくれた

学校の授業で

セカンドオピニオンについて習ったと

やるべきだと思った

 

 その時の投稿
『今できる事』今日は荷物を届けに病院に行きましたパパは、車椅子に座り受け答えも昨日より良くなり今日は食事も食べたとの事良かったここ数日ずっと考えている事がある今までコロナ対…ameblo.jp

 

普通ならば入院中の医師の回診時に

本人が医師と会って話を聞くのだろう

そして本人が判断する

 

でもパパは自身では話を聞いても

理解できてるのか分からない状況

私が同席して診察を受けなくては

質問も沢山ある

セカンドオピニオンを相談したいと

医師と会いたいと看護師にお願いした

 

2023月2月1日

診察として医師に会う事ができた

同席できるのは2人まで

パパの病気が分かってから

どうしてもパパの家族に会わせたかった

パパに会わせる事ができるチャンス

 

放射線の説明の時は義父にお願いした

今度は弟に同席してもらう事にした

 

パパが突然症状を発症して1カ月半

病気が分かってから2人が会うのは始めて

弟が「わかる?」と聞くと頷いた

私からの話しか聞いていなかったから

半信半疑だった部分もあったかも知れない

弟はパパの様子に

少し戸惑っているように見えた

 

今になって思う事

 

診察に同席という形でしか

会う事ができなかったから

一言二言しか話しかける事が出来なかった

こちらからの問いかけに

頷く事も頷かない事もあって

パパはだた静かに車椅子に座っていた

 

ただ目を見て話しかけても

こちらの言っている事を

理解してくれているようには

感じられていなかった

 

でもその頃を思い返すと

失語症で言葉にできないだけで

もしかしたらパパは色々感じていたのかも

と思う時がある

 

私はいろいろな事を考え過ぎて

パパの様子に落胆し過ぎていて

私の心がパパは分からないんだと

勝手に判断してしまっていたのかも

 

「私の事わかる?」って質問に

「分からない」って答える時があった

「分からない」って言葉の意味が

分かっていたんだという事に最近気が付いた

 

もっとパパに寄り添う時間があれば

そういう姿勢が私にあれば

感じ方は違ったのかもしれない

 

医師から病状の説明

 

腫瘍は抗がん剤と放射線治療で

増殖のスピードが抑えられている

効果はその程度との事だった

 

神経膠芽腫だと診断された時に

「治療の効果はほとんどない・・・」

と言われたけれど

スピードを抑えられているって事は

少しでも効果でているってことなのかな?

複雑な気持ちだった

 

この時の診察の話は長くなってしまい

次回に続きます