戻ってきました。これからもよろしく。 | imokoの「葛飾の花散歩」

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シニア生活をみずみずしく、楽しむために。
俳句、フラダンス、芝居、寄席、クラシック好き、この指とまれ~♪

(ご近所のタマスダレ)

 

中秋の名月(9月17日)、仰ぎ見ましたよ。

18日が満月だったそうですが、立派に美しい月でした。

夜の東京スカイツリーも元気?だわ。

 

 

弟が9月5日に亡くなって、ほとんど1か月近くブログの

アップを休んでしまいました。

私が身体をこわしているのでは、という心配のコメントも

いただき、ありがたいかぎりです。

その間、みなさんのブログは、拝見させていただいて

いましたよ。

気ばかりあせって、ぐちゃぐちゃな頭の回路も、平常に

もどりつつあります。

おかげさまで、弟の急死の後始末を一歩一歩進めることが

できました。

 

(能登の雨被害がうそのような空)

 

それにしても、やることが多いですね。

弟の生活のことを、あまり真剣に考えてこなかったせいで、

大家さんや仕事場など、まったくわからないところから

はじまったので、右往左往でした。

弟のスマホを頼りに、探すことから始まって、まるで、

推理小説のように、謎をひもとくような作業でした。

こんなとき、弟が残したスマホに入っていた情報があって、

助かりました。

とはいえ、スマホをまったくいじったことのないわたしには、

わけがわからず、パニック状態が長く続きました。

 

火葬を終え、弟の骨壺がわが家にやってきて、弟の生活ぶりも

だんだんわかってきて……。

70そこそこでの死は、やはり早すぎる……。

眠るような安らかな死に顔だったのは、幸いでしたが。

6月に白血病と診断されていたことを知らせてくれなかった

のは、わたしに心配かけまいとしたのでしょうか。

 

(カシワバアジサイの葉っぱ・ザクロ)

 

 

弟の職場(パート)の方は、

「いい人に来ていただいて、感謝しています」

「とても真面目に丁寧に、仕事をしていただきました」

と。

 

自分のことばかりで、弟に無関心に過ごしていたことが、

悔やまれます。

思わず写真に向かって、

「ごめんね。もっと話したかったね……」

 

弟が、わたしのことを、親しい方には、いろいろ話していたらしく、

「聞いていましたよ」と言われ、驚くことも。

あの無口な弟が、わたしの話をわざわざ、したりするのか……。

弟は、わたしに、どんな感情をいだいていたのかしらん。

今になって、長男として商家(のちに倒産)を背負い、母への

孝行を最後までやり遂げ、「一人」で生きていた弟へ、

いとしさがつのります。

 

まだ、解決できないこと、しなければいけないことが、多く残って

いますが、だいぶ、先に進んできました。

 

それにしても、弟関係の、いろいろなところに電話をすることに

なりましたが、みなさん、やさしい言葉で対応していただけて、

感謝。

人とのつながりって、こんなにうれしいものだったのかと

改めて思いました。

話す、ということから得るやすらぎ、ありがたかったです。

 

 

なんといっても、今気になるのは、ヒガンバナ(曼殊沙華)です。

いつもだったら、新中川近くの宝蔵院のみごとなヒガンバナをアップ

するのですが、今年は、その余裕はなくて、ご近所で目にしたものを。

 

 

 

うちのあたりは、ちょっと遅めに咲きます。

9月の終わりごろが見頃。

つい先日、やっと、咲いている姿をとらえることができました。

まばらな、寂しい感じはありましたが、それでも、パワフル。

 

 

 

 

弟は、まだ彼岸には、行けてないのだろうなあと、思いながら……。

白いヒガンバナも、1輪、そのそばで咲いていました。

 

 

 

ヒガンバナ科ヒガンバナ属(リコリス属)

 

これから、ぽつぽつとした感じになるかもしれませんが、できるだけ、

2日に1度を目指して、ブログのアップをしていきます。

みなさん、よろしくお願いします。

ブログによる心の交流、わたしの生きる力です。