春の黄色の花は、やっぱり、元気印。 | imokoの「葛飾の花散歩」

imokoの「葛飾の花散歩」

シニア生活をみずみずしく、楽しむために。
俳句、フラダンス、芝居、寄席、クラシック好き、この指とまれ~♪

部屋のベランダ前の電線で、メジロを目撃してから、

いままで、雀かと思っていた朝のさえずりは、どうやらメジロらしい

という事に気づきました。

ベランダに出てみると、雀に交じって、数羽のメジロが、電線のあたりに

とまったり、飛んだりしています。

今まで、なんで、それに気づかなかったのが、何とも不思議です。

急に出現したような驚きです。

メジロの高めのさえずりは、求愛なのでしょうか。

 

花散歩をしいると、黄色の花が鮮やかに感じられます。

 

オウバイ(黄梅)

毎年ツルを伸ばして花をつけて垂れ下がっていますが、いつもだったら、

雀のさえずりがうるさいばかりに聞こえてくる場所なのですが、今年は、

そのスズメの姿も声もありません。

 

 

 

 

黄梅の花は、2cmくらいの大きさで、5、6枚の円形に近い花弁を

つけます。

中国北部・中部が原産の、モクセイ科ソケイ属

のつる性落葉低木で、日本には、17世紀ころに伝来したと考えられて

います。

 

梅の花に似た黄色い花が咲くので、オウバイ(黄梅)と名づけられました。

とはいえ、筒状で、根元で合着した合弁花なので、梅とはまったく

ちがいます。

その他の名前は、キンバイ(金梅)、ゲイシュンカ(迎春花)

花期は2~4月。

この花、枝が地面につくと発根し、新しい株ができるんだそうですね。

そのため。挿し木で簡単に増やすことができるとか。

 

黄梅よりもちょっと遅れて咲く、大輪で八重咲のウンナンオウバイ

(オウバイモドキ)ですが、こちらは、それかな。

 

 

 

オキザリス・ペスカプラエ(オオキバナカタバミ)

大きめの黄色のオキザリスが、丈を伸ばして、元気いっぱいです。

ラッパ型ですね。

これは、4月、5月まで咲きますよ。

 

 

 


 

 

昨日は、「郷愁の作曲家たち」の2回目の講習に出席。

とりあげるのは、ドヴォルジャーク

一般には、ドボルザークと呼んでいますが、先生にお聞きしたところ、

チェコ語の読み方だそうです。

「チェコに留学して戻った方は、みなさん、ドヴォルジャークと

呼ぶの」

と先生。

 

彼はチェコに生まれ、チェコの国民学派の代表的な作曲家。

チェコをとても愛していました。

チェコの舞曲や民族色を前面に押し出した作品を残しています。

 

大昔、東ヨーロッパのチェコの時代、50年ほど前ですが、実は

貧乏旅行で、リュックを背負いながら、わたし、チェコに行ったことが

あるんです。

ソ連が侵攻してきた銃弾あとがそのままの建物に、まるで展示する

かのように、街中に残っていました。

 

チェコの女性って、色白ですらっとした、美人ばかり。

体操のチャスラフスカ選手が、東京オリンピックで活躍されましたが、

あの雰囲気の、金髪の上品なご婦人が、街中を歩いていました。

ソフトクリームを食べながら、真似して通りを歩いたのを思い出します。

日本では、そんなことをしたことはなかったのですが……。

 

そんな記憶を胸に、彼の音楽を鑑賞しました。

一番知られているのが、52歳の頃作曲した交響曲第9番の「新世界より」の

第二楽章。

中学・高校の頃の下校時の音楽でした。

スケールが大きくて、それでいて、やさしく、見守られているような曲調。

 

わたしのつい浮かべてしまうイメージは、なぜか、与謝蕪村の

「菜の花や月は東に日は西に」。

ドボルザークは、栄光を求めるタイプではなくて、家庭を愛し、故郷を愛し、

人柄がとても謙虚な方だったようです。

 

若い頃の彼の曲を、ほとんど聞いたことはなかったので、彼はメロディーメーカー

と言われ、ブラームスも、一目置いていたそうな。

 

鉄道お宅でもあったらしく、それが思われる曲が「フモレスク」(ユーモレスク)

だそうです。

鉄道の走る音?……そういわれれば……。

 

 

 

弟子を育成したり、多くの名曲を生み出したり、世界から、彼の音楽の才は、

求められました。

イギリス、アメリカ、フランス、チェコ……。

その結果、勲章を授与されたり音楽院の院長に就任されたり、と晩年まで。

音楽一途に生きたようです。

悲劇の匂いがない、穏やかで、暖かい人生の作曲家、といえるのかしらん。

63歳で没。

 

 

マーガレットコスモス?

ノースポールに交じって咲いているのは、マーガレットコスモスかしら。

花期は、4月~12月なんですが……。

黄色が、いいアクセントになってますね。