津島彪と十三夜 | imokoの「葛飾の花散歩」

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月をみれば狼男に……。

今年の10月11日は「十三夜」。
その月は大きくまん丸で、冴えきった空気の夜空に、あざやかに浮かんでいました。
新しくゲットしたばかりのデジカメで、その静謐な姿を写そうと試みましたが、
「夜景」に設定しても、月は豆粒限度で、きれいに大きくは写りません。
思考錯誤15分。デジカメ初心者のわたしには、きれいな月はまだ無理と断念しました。
どなたか、コツがあったら、教えてくださいね。

さて、「十三夜」は、俳句ですと、「後の月」という季題でも詠まれますが、
前月の「十五夜」が中国由来とすると、日本古来の風習だそうですね。

十三夜について、豆知識を得るには、次をご参照ください。
[http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/13.htm 十三夜]

十五夜だけ見るのは、「片月見」ということなので、
今年は意識して、十三夜を見たのです。
わたしが、デジカメ片手に、路地で月をみていたら、
自転車で通りかかった主婦らしき人が、「きれいですね」と声をかけてくれました。
こんなところが、下町らしいと思います。

影もまたやさしくなびく後の月    imoko

津島彪は、十三夜とか、十五夜とか、そういう意識で月を見たことはないそうです。
ベランダに出たときや、寝転がっていて、ふときれいな月が目に入ると、
「なんて明るいんだろう」と思うそうですが、
あまりにきれいだと、狼男に変身して、周囲にいる人をかじってみたくなる、
というのですから、そういう時には近づかないようにしたほうがよさそうです。
実は、そんな癖をしらずに、仕事場で、一度、腕をかまれたことがありましたっけ。
いままで、被害者は他に聞いていませんが、警告を出しておきましょう。

子供のころは、月ではうさぎさんが餅つきをしている、と聞かされており、
月を見上げながら、灰色の影を、その姿にかぶせて想像をふくらませていたものですが、
津島彪は、幼い時から、そんなことがあるわけはない、と思っていたそうです。
迷信とか、科学的じゃないことは認めない津島彪ですから、そうだったのかもしれませんね。

人類が月に到達した今、子供たちにそんなお伽ぎ噺を語る大人はもういないでしょうが……。

「宇宙は無限ではなく、有限である」という物理学者もいますね。
星は遥かかなたの光が何万年もかかってやっとたどり着いたものなのだというのですから、
光の強さは、距離の2乗に反比例する……。
宇宙が無限ということは、星の数が無限。
もしそうなら、もっと夜空は明るく燦然となる。しかしそこまで光ってはいない。
つまり……。
宇宙をつかむことは、わたしの文科系の頭では、混乱するばかりなので、やめておきます。
津島彪は、月や星を見ながら、宇宙は有限なのか、と思ったりもするそうですが……。

月や星は、人間という小さな存在を越えて、さまざまな思考をくれるものですね。

津島彪は、青空に浮かぶ雲をみて、自分が仙人のように、あの雲の上に乗って、
自由に飛び、地球をみれたらいいな、と思うそうです。
わたしは、宇宙は無限、生命も無限(肉体は有限ですが)……という意識でいたいですね。

10月になって、会社勤めを始めました。
日々緊張が続いています。
ゆったりのんびりの日々は、しばしお預けです。