先日のシンボリルドルフ号に続いてサッカーボーイ号が亡くなりました。
同馬の同期は実力のある馬が多く古馬のG1を多数勝利しています。
勝利した順に、まず同馬が3歳でマイルCSを勝ち、同年にオグリキャップが同じく3歳で有馬記念を制覇しています。
翌年には安田記念をバンブーメモリーが、天皇賞秋をスーパークリークが、マイルCSをオグリキャップが4歳で勝利しています。
翌年は天皇賞春をスーパークリークが、安田記念をオグリキャップが、天皇賞秋をヤエノムテキが、マイルCSをパッシングショットが、スプリンターズSをバンブーメモリーが、有馬記念をオグリキャップが5歳で勝利しています。
翌年はダイユウサクが有馬記念を6歳で勝利しています。
当時は昭和末期から平成初期で今ほどG1は多くありませんでした。
フェブSはG3、高松宮杯はG2、エリ女は3歳牝馬限定、ヴィクトリアマイル、ジャパンカップダートは存在すらしなかったのです。
その中で3歳時から古馬G1を勝ち続ける最強世代の1頭でした。
その中でサッカーボーイは常に人気を集め、世代ナンバーワンを決定する日本ダービーを1番人気で出走したのです。
同馬のG1勝利は2歳G1とマイルCSだけですが、マイル以外でもスピードの違いでブッチギリで勝つ馬でした。
小回りの函館記念は当時の芝2000メートルの日本レコードでした。
産仔はスピードよりもスタミナ豊富な馬が多く、菊花賞のナリタトップロード、秋華賞のティコティコタック、菊花賞・天皇賞春・宝塚記念のヒシミラクルがいます。
主戦ジョッキーも内山正博と河内洋で、河内騎手はオグリキャップの主戦でもありましたが、NHK杯と有馬記念騎乗のときはオグリではなくサッカーボーイを選んだというエピソードがあります。
サッカーボーイとオグリキャップのマイル戦が実現しなかったのが非常に残念でなりません。
あまり好きになれない社台ブランドの馬ですが、サッカーボーイは大好きな馬の1頭でした。
昭和最後の有馬記念は名勝負なので後世に伝えたいレースです。1着オグリキャップ、2着タマモクロス、3着はスーパークリークが失格となりサッカーボーイで決まるという実力通りに決まったレースです。
サッカーボーイの最後方からの追い込みシーンは圧巻ですよ。
機会があれば、ビデオを見て欲しいです。
あの頃の競馬は良かったなぁ…。