辛い日々が続いている。体はだるく、何をするにもおっくうで、食欲もない。新聞も読む気にはなれない。


また、テレビもバラエティー番組などは、一切見る気がしない。馬鹿らしくて・・・。


いわゆる引きこもり状態である。1ヶ月のうち、市役所に生活保護費を受け取りに行く事と、病院に2週間に一度、


薬をもらいに行くことだけだ。それ以外には、隣接のスーパーに買出しに行くだけ・・・そんな生活をしている。


吉報が来た。念願だった障害年金の通知だ。4年さかのぼって、1,881,624円が15日に振り込まれる。


等級は2級ではなく3級になった。せっかく2級を取得できるようにしていたのだが、3級に確定した。


でも、12月15日に99,033円が振り込まれ、それ以後は隔月に支払ってもらう。ありがたい・・・。


しかし、生活保護との併用はできないので、生活保護費が半減されると思う。仕方ないことだ。


前号のつづきを書こうと思います。


求人営業部隊は、システム会社に移行させた。しかし、2ヶ月分の給料を捻出することができなく、


商工ローンに借りることになった。保証人はシステム会社の社長になってもらった。


金利が高いことはわかっているが、銀行からの融資ができなかったのだ。


弊社で求人営業部隊を構成すると言うことで、システム会社から200万の営業経費を借りうけたが、その200万円を返却しないと


ならない為だった。これが、計算違いであった。もともと私の読みが甘かったのだ・・・。


その頃より、嘔吐がすることが多くなった。食べてもすぐに、嘔吐してしまい、気分的には最悪だった。


売り上げを上げるためには、何をすべきか・・・考えて、考えてしまう。精神的ストレスが溜まっている。


このままでは会社が潰れてしまう恐れもあり危機感を感じて、精神的に参っていた。


土日は社員は休みだが、私は土日も出社して、売り上げを伸ばすことだけを集中して考えている。


しかし、私の甘さで求人営業もできない状況だと、あとは媒体を使ったホテルバーター企画しかないと思った。


いままでやって来た事に集中することが一番だと、わかっていたことだから・・・。しかし、また嘔吐である。


それから、今度は下痢をしてしまう。嘔吐と下痢の毎日が続いた。掛かり付けの医院の先生にエコーで診察したもらったら何か黒い影があると言われた。


まさか、癌???怖くなり、さっそく私立病院にてCTスキャンで診察をしたら異常はなかったので安心した。


その頃から夜が眠れなくなり、医院から睡眠安定剤をいただくことになった。睡眠の時だけが唯一の楽しみだった。なのも考えなくても、いいのだから・・・。


家内とも家庭内別居状態になり、自分の居場所がなくなった。自分の給料も3カ月も持って帰らないのだから無理もない。


家内には内緒で商工ローンや国金、銀行からの借り入れはすべて黙っていた。


知ってしまったら、大変なことになると思っていたからだ・・・。まだ嘔吐、下痢が頻繁に起きるようになる。


62キロあった体重が4キロも減り、体力がなかった。しかし、なんとかこの現状から乗り越えないとならない。


営業社員の数字が上がらない・・・目標ノルマを与えているのだが、一向に数字が読めないのだ。


私自身もなんとか先頭に立って営業はするものの、なかなか厳しい状況だった。


                                        つづく






また、しばらくブログを休んでいました。何をするにしても、身体が重く、だるい現象が続いている・・・。


しかし、更新をしないといけないと思いつつ、時間だけが経っています。こんなになったのも、いままでに色んなことがあったからです。


当時の話になりますが、会社を立ち上げて、4期の決算を終えた。そして5期目に入った時、会社は、岐路に立った。


ホームページの営業も最終的には、65社になった。目標は100社だったが、制作が追いつかない状況だ。


そして、あるシステム会社から求人情報誌を協同でしないかと、誘われた。しかし、現状では手が一杯で、これ以上のことは人員から言っても無理であった。


私の会社が営業、システム会社が制作、そして印刷会社の3社でするという事だ。私の会社だけでは無理なのだが、強引に、誘われた。


発行までのスケジュールは3カ月、当時の事務所は12坪、求人営業スタッフを5名を人材派遣から調達し、そして
システム会社から、200万円の


営業委託費を受け取ることで、社員と話し実行に移すことにした。求人はいつの世の中でも必ず需要があると判断していたからである。


当時の事務所から近い7階立てのビルの一室に引越しをすることになった。広さは30坪、家賃は24万円、しかし


半分は県の新規事業助成があったので、実質は12万円だった。新しく広々とした事務所に、従来のホームページの営業部門、


そして、求人専門の営業部隊を形成した。総勢10名の社員をかかえることになった。


しかし、これが私の会社の命取りになることになるとは、思っていなかったのである。


求人部門の営業が動きだした。大手の求人会社の掲載されている、クライアントに出向き、プレ号は、無料にするという手法でスタートさせた。


そして、まだ知名度もないので、ホームページにも掲載するという条件付、大胆な手法で、営業を展開した。求人部隊は自転車での営業とし、


大手求人社の掲載されたクライアントを1社つづ飛び込み営業させた。派遣社員もできる者、できない者の格差が見え隠れする。


しかし、やるからには何とか、プレ号だけは、見栄えのいい形にしなくてはならない。締切が目前に迫った時、


一人の女性営業部隊が、某新聞社のクライアントに飛び込み営業をした。これが命取りになった。


弊社は某新聞社の関連会社の専属広告代理店だ。その代理店が、親となる某新聞社のクライアントを取っていまったからだ。


さっそく某新聞社の局長から、連絡が入り、すぐに来いと呼ばれた。


某新聞社のクライアントを取るということが、どういう意味を持っているかと言えば、某新聞社の直属の代理店を刺激していまったからだ。


私はそこまでは読んでいなかったのが、失敗であった。いくらプレ号とは言え、それは、直属の広告代理店の、縄張り地区だったからだ。


局長から、一筆を書かされた。二度と求人営業はしないこと・・・と。


まさかの事態になり、頭がパニック状態になった。求人営業部隊の人件費やさまざまなトラブルが発生した。


これからが、私のうつ病の始まりとなった・・・・・・。


                                   つづく