さて、お昼を済ませて桜を撮りに行ったのは、犀川の辺りにある、さくら土手
今は、アークスと呼ばれている卸団地…卸売業者さんが並ぶ場所です
私が小学校に入学した頃、この辺り一帯には桜の木が植えられていて、ここは、さくら土手と呼ばれていました
そして、鐘紡の大きな工場があったのです
一年生の春の遠足は、こちら…桜土手でした
小学校からどれくらいでしょう?
学区内ですから僅かな距離でした
当時のわたしは、お友達とおしゃべりもしなければ、笑いもしない子どもでした
今からは想像もつきませんが(笑)
いつも黙って本を読んでいる、
そんな子どもでした
今ならば、いろいろと心配されたかもしれませんね…
しかも、3月末に麻疹に罹り、
入学式に出られずに1週間遅れで
一年生になったのです
5月生まれの私は、女の子の列の前から2番目、前は、みどりさん
隣の席はよしひろくん、
その前はいさおくん
いさおくんは知的障がいのある子でしたが、
誰も、いじめたり揶揄ったりする子はおらず、何も言われなくとも回りの子がサポートしていました
下校はクラスの中の、同じ方向へ帰る子で班が決められていました
学校から帰ると、近所の1年上のみかちゃんとよく遊びましたが、何故かふたりとも、どちらの家へ行っても本を読んでばかりいました…
同じ部屋で、それぞれに本を読み、
夕方になると、じゃあね!と帰宅する…
そんな、オトナも不思議がるようなふたりでした
ひとりの時は、絵を描くのも好きでした
母は外出する時、私に、一緒に行く?
と訊きましたが、待ってる、という答えは、、多分訊く前から分かっていたでしょう
私は母にもらった百円玉を握りしめ、近くの商店まで駆けていきました、いつも
そして、一枚一円の画用紙を100枚買って来るのです
そして、絵を描いたり、本を読んだり…
何時間でも…一日中でも、ひとりで過ごしていました
私の社会性のなさは、こんな生活の中で育って行ったのでしょうね…
親は手が掛からずに楽だった事でしょうし、先生からは「よい娘だ」としか言われなかったと母はよく得意気に…自分の育て方が良かったからだと言いたげでしたが、実は然にあらず…ちっとも良い子なんかではなく、ただの社会性のない子供だったとは、多分、母は知る由もなかったでしょうね…😨




















