私は幼い頃、よく、

「おばあちゃんにそっくり!」

と言われましたが、祖母は大柄で太っていましたので、太っていると言われているのだと思い、言われる度に泣いていました。今にして思えば、自分に似ていると言われると泣く孫とは…祖母も苦笑するしかない、というか、辛かったでしょうね。

まあ、それでもいつも、仕事でいない両親の代わりに面倒を見てくれていた祖母でした。


私が小学校1年の11月のある朝、目覚めるとビッグニュースが待っていました。

早朝、妹が生まれたと教えられた私は、学校から帰ると、会いに行く!とひとりで出掛けようとしました。心配した祖母はやめるように説得しましたがきかず、仕方なし祖母は、一緒に行くことにしました。

私は母の検診について行ったことがあり、お友達の家の近くでもあったので何の不安もなく、祖母の説得には耳を貸さなかったのです。


何の不安もなくズンズンと歩き、この辺りだけど…というところで、私はその産院がわからなくなりました。

黙ってついてきた祖母も流石に心配になり、近くの店で聞いてくれたりしましたが、辿り着いたときにはすっかりと夕暮れ時になっていました。

妹の顔を見ても特に感動もしない程に疲れてしまい、祖母は私を連れて、暗くなり始めた帰路を急ぎました。


翌朝。

目を覚まし、何か家の中の様子がおかしいことに気づくと、祖母は布団に横になっていました。脳溢血で倒れてしまったのです。

お見舞いに来てくださった方に祖父が、前日には産院まで孫の顔を見に行く程元気だったが…と状況を話すのを聞く度、私のせいだ、私が無理を言ったせいで、おばあちゃんは病気になってしまった…私は裏の縁側でひとり、泣きました。


土曜日、学校から帰ると、布団に横になった祖母の顔には白布が掛けてありました。

無理に退院して来たのか母がいて、祖母が亡くなったことを教えてくれました。亡くなるという言葉の意味がどれほどわかったのでしょうか、それでも一年生の私は家の裏にある祖父の作業場でひとり、泣きました。


祖母の妹である東京のおばあちゃんが来て、祖母の亡骸に抱きつくようにして声を上げて泣いていました。でも、皆で顔を合わせるとお喋りのそのおばあちゃんがペラペラとよく喋るのを見ると、わけのわからない怒りのようなものが湧いてきました。

以来、私はこのおばあちゃんが苦手になりました。

しかし、祖母が亡くなった時の話になると、私が我儘を言ったせいなんだ…と、また作業場でひとり、泣きました。


葬儀の間もずっと、悲しくて悲しくて、そして自分のせいだという悔しさもあり、私は足を崩すこともなく、正座のまま、身じろぎもせずにいました。

葬儀が終わると、件のおばあちゃんが、

「まあ、この子は凄い子だよ。大人だって足を崩したくなるのに、微動だにしなかったよ。」

と褒めてくださいましたが、その時の私は哀しみでいっぱいで…こんなに辛い時に、どうしてそんなに喋るんだ!と怒りさえも感じていました。


このおばあちゃんは東京に暮らしており、母に連れられて春休みなどはよく遊びに行きましたが…おそらくは睨みつけていた筈(苦笑)、とにかく嫌いで口を利かなかったことは、よく覚えています…。


おそらくは、私は今、当時の祖母たちの年齢にかなり近くなっていると思います。今になれば、叱られた記憶もなく、孫の我儘によく付き合ってくれたおばあちゃんだっなぁと有り難くて涙がでます。


両親はもちろん、祖父母に姉に、家族皆のたくさんの愛情の中に育ててもらえたのだったなぁと、胸が熱くなります。

これから私も返していけたら、と思いますが、果たして…。

そして、あの頃から変わらずに意地っ張りで気が強く…成長の跡は全く感じられない私なのでした。


ついでながら、二男の生まれたのは祖母の命日…痛みに耐え乍ら、おばあちゃんの生まれ変わりか?なんてふと頭を過ぎったりもしましたが、ぎゃーという低い産声を聞いた時、あぁ、違った、男の子だ、と確信したのでした…。