先程、お友達のブログを拝読、懐かしくもおぞましい記憶が甦りました…。
私は子供の頃、長野市の中心部にほど近い場所に住んでいましたが、小五の時にかなり離れた場所に父が家を建て、引越しました。
これが、同じ市内とは思えない程に超田舎で、子供ながらにカルチャーショックと言うと大袈裟かもしれませんが、かなりの驚きがありました。
先ずは言葉が違う!(笑)
あなた、を、われ、と言い…複数形はわんだれ。おめ、とも言う。
他にも、えべさ、とか…意味不明な単語を使っていて、意味がわからずに戸惑いました。
嫌だったのは、転校生を見にくること!
いつの時代だ!という感じですが、知らない子に廊下で親しげに話しかけられてビックリ、なんてことも。
まあ、そんな事は慣れればなんて事はなかったのですが、どうにも嫌だったのは、理科の実験…。
6年生でしたか、鮒の解剖をすることになりましたが、先生が、
「◯ちゃん、鮒釣って明日持ってきてよ!」
と、クラスのやんちゃ坊主に依頼…これもあり得ないですよね😨
すると翌日、◯ちゃんは、鮒が釣れなかったとお屋敷の池に泳いでいそうなサイズの鯉を持参😱
やりましたよ、鯉の解剖…女の子は、ほぼ、そこに居ただけでしたが。
中学生になると、理科では蛙の解剖もありましたよね。
その時も一緒のクラスだった◯ちゃんが、蛙を調達してくる係に任命されました。
解剖の日の朝は、教室が大騒ぎに…。おわかりでしょうか?
◯ちゃんは、アマガエルでなくウシガエルを捕まえて来たのです…😱
ウシガエル、牛のような声で鳴く、大人の掌くらいのサイズの蛙…アマガエルでさえ苦手な私は、卒倒しそうでした…。
無論、蛙を触ることなんてあり得ない私は、解剖なんて…只管に目を背けていましたが、男の子…とくに◯ちゃんたちは楽しげでした😨
途中、解剖途中のウシガエルが脱出を図りぴょんぴょんと机の上を跳ねていた様は地獄絵図…。女の子は悲鳴を上げて逃げ惑い…あり得ません❣️
しかし、3年間で耐性がついたようで、雨上がりの道路に車に轢かれた無数の蛙の遺体がへばりついている惨状には慣れ、うまく避けながら、さして騒ぎもせずに自転車を漕ぐようになり…あくまでも、アマガエル限定ですが。
今はそんな解剖なんてやらないのですよね?
梅雨になると思い出す、狂気の理科室の惨状…まあ、そんな事も今となっては懐かしい思い出ですが。
◯ちゃんはその後、板のような学生鞄を小脇に抱えて長い学ランで闊歩する高校生になりましたが、通学途中にばったり会うと、ニコニコと「おぅ!」と人懐っこい笑顔で声を掛けてくれるところは相変わらずで…今や市会議員に推される程、町の実力者となったようです😊

