ブログを始めたのは、二男が進学の為に家を出た年だから10年以上前のことになる。

あの頃も本や映画の感想を書き留めたり、猫の額ガーデンの薔薇の写真をアップしたり…まあ、今のブログと変わらず、自己満足のつまらない日記ブログだった。


そんな中でも、ありがたいことに友達がポツポツと増えていった。

そうして出来た友達の中に、私よりも少し年下で、二人の娘さんのいるAさんもいた。


Aさんは福島県にお住まいとの事で、私の親友も福島にいるのよー、なんて話から親しくなったかと記憶している。

まだまだ東日本大震災から日も浅く、その大きな傷跡も生々しい頃だった。


そんな中でAさんは、ありがたいことになぜか私のブログへ頻繁にいらしてくださり、コメントもたくさん残してくださった。


ある時、そのコメントに「電話してもいいですか?」とあり、その夜、私達は文字の世界から抜け出し、想像でしかなかった友達の声を聞くことになった。

話は弾み、1時間ほど過ごしただろうか。

「また電話してもいいですか?」

との問いに、私はもちろん、と答えた。


電話は結構な頻度で掛かってくるようになった。内容は、震災で生活が変わってしまったこと…ご主人は東電に勤務されていて、それだけでも肩身が狭い、と。

更に、かつての社宅は原発に近く、危険区域に指定された為に住めなくなった。引越したことで会社からは手当が払われたが、近所の方々はそれも知っていてイヤミを言われる、と。


大変な事は無論、容易に想像できた。けれど当時の私は、遅れてきた反抗期真っ只中のような長男の事で頭がいっぱいだった。

厳しい立場にあることの心労はいかばかりかと同情したけれど、ブログを開けば優秀な娘さんの事、某難関大学への進学を希望して頑張っている事などを読むと、それはそれで私も羨ましく、切なかった。


電話は毎回、1時間を超え…私はもちろん聴くことしかできないのだけれど、次第に苦痛になっていった。今になれば嫉妬とか僻みとか、そんなさもしい感情だったと理解できるけれど、あの頃の私にはそれを受け止めるだけの余裕がなかった、情け無い事だけれど。


次に連絡が来たとき、私は電話でのやり取りはやめて、ブログだけにしましょうと伝えた。

すると、気づかなくて申し訳なかったというメールが来て…ブログは翌日には削除されていた。


今も時々思い出す…私はどうすべきだったのか?傷つけずに距離を置くことは、出来なかったのだろうか?…と、今も胸が痛む。


幾つになってもダメなヤツ。

イヤな女だな、私って。


夜中にふっと思い出して。



あの頃、水滴を撮るのが好きだったな…。