つい先日、中学の時の担任の先生がお亡くなりになったばかりだというのに、同じく中三の時の数学の先生のお名前を新聞のお悔やみ欄に見つけたと、やはり義務教育の教員であった友人からLINEが来た。

 

中三の最後の試験日の朝、担任のY先生は朝のホームルームの時に、

「わかっているのに間違えるという大バカもんがいるが、よく気を付けるように。」

というお話の後に、「特にNとまろん!!」と私は名指しで注意された。

私はたしかに大バカもんだからしかたがないが、N君の名誉のために説明しておくと、彼は学年1の秀才で県内1の進学校に進んだ頭脳明晰、おまけにバスケ部長のイケメン(これは関係ないですね…)君だったのです。名指しされた私たちは、なんと当時、席も隣りで、

「巻き添えくって怒られた!」

「それはこっちの台詞!」

とその時も口喧嘩したほどの仲良しでした。

 

そして、試験は無事終わり、各教科で最後の答案用紙返却の日となりました。

私は超文系で面白くないからと理数は勉強もしなければ当然成績もよくないという生徒でしたが、今回の数学はやさしかった!満点かも?なんてウキウキと数学の答案用紙を受け取ると…まさかの、信じられない点数。確か50点前後ではなかったでしょうか。

しかも、それだけでなく、点数の下には赤ペンで、

「これはどうしたんだ?後で職員室までくるように」

というお便りまでついていたのです。

 

なにより、分からない問題はなかったと思っていてのこの点数が信じられず、答案用紙はそのまま見もせずに、くちゃっと丸めて机に押し込んだまま、先生のテスト問題の解説が始まった。

ところが、ショックでただただぼーっと黒板を眺めていると、

そうそう、私、そう解いた!そうやったぞ!

ひとつも出来ていない問題なんてないじゃん、先生の採点ミスじゃないの??

と、自信満々にくちゃくちゃの答案用紙を広げてみると…。

あら不思議!半径を求めるところ、直径のままだったり、いちばん最初の計算問題が軒並みバッテンが付いていて、よく見ると2乗するところを2を掛けてあったり。

なんでこんなことしているの、私?と、涙が出そうでした。

点数を稼いだのは、最後の文章題くらいで、そんなケアレスミス…ケアレスといっていいのかもわからないような、謎の回答…いや怪答の連続に、自分でもどうしちゃったのかわからない状態でした。

 

無論、授業が終わっても先生を追いかけていく気にもならず(だって私、分からない問題なんてなかったもの、と最後の小さなプライド!)、そのまま給食の時間を迎えると、担任Y先生が寄ってきて、

「おい、数学のW先生に呼ばれているだろう?どうしていかないんだ!」

と怖い顔で仰るので、

「は~い、分かりました…。」

といやいや返事をして、職員室に向かいました。

 

意外に負けず嫌いだった私は、先生にいろいろと言われるのが悔しくて、

「先生、私、分からない問題はひとつもありませんでした!」

と近くにも寄らず、叫ぶようW先生に声を掛けた。

すると、W先生、

「わかっているに決まっているじゃないか。一体どうしたんだ?」

と問われ、勉強しないのはいつもどおりで、特に原因も思い浮かばない私は、

「わかりません!緊張したんじゃないですかねぇ…。」と答えると、

「お前が緊張なんてするわけないだろ!!!」

と言って、W先生は声を上げて笑ったのです。

「なにもないなら、それでいいんだ。試験の時はよく確認しろよ!」

とだけ言うと、相変わらず先生は笑っていて、私は職員室から解放された。

 

果たして当日の試験の出来はわからないが、お陰で私は無事、希望の高校に合格した。

 

今思い返すと、おそらくはあの時のショック…予想だにしなかった点数と、先生から呼び出しを食らったことのお陰で、高校のテストでは同じような口惜しい思いをすることはなかった…と信じている。

 

 

それから20年ほど経った4月1日の朝。新聞を広げると目に飛び込んできたのは、地元中学開校のニューㇲに載っていた、w先生写真と挨拶。こんな風に再会できるとは思わず、あの時は悔しくて顔も見たくなかった先生の顔が懐かしくて、紙面をしばらく見つめた。W先生は新設校の校長先生として挨拶文を載せていた。懐かしくて涙が出そうだった。

 

その話を教職を退職した友人に話すと、「それはW先生、相当出来る先生だったんだよ…。」と驚いていた。

 

さて、ここの投稿も相も変わらずケアレスミスのたくさんある私ですが、よい先生に恵まれてここまで減りましたので…間違っていていも…許してちょんまげー!!( *´艸`)

 


今回の朝食は、ホットケーキ。

うまく焼けない( ;  ; )