早朝の友からのLINEは、中学の時のクラス担任A先生の訃報を伝えてきた。

 

親友兄は部活の試合で他校の顧問であったA先生を知っており、中学に入学した妹の担任となったことを知ると、

「あの先生に教わって成績が良くならなければ、バカだな。」

と言ったという。他校ながらもその指導力を感じていたらしい。

 

我がクラスの教室の壁には、クラスマッチの賞状が壁いっぱいに貼られていた。とにかく、毎回毎回、優勝の連続だった。スポーツだけでなく、音楽会も優勝し、学業成績も学年上位を占めた。要は、勉強も運動も出来る生徒が何人もいてクラスを引っ張っていたわけだが、当然同じくらいいる成績の悪い生徒をウマくリードして、クラスの雰囲気は良かった。

 

当時、我が父は建築設計の仕事をしており、「三人娘とそのパートナーの6人で、父の設計事務所を継ぐ」ことが夢だった。当然、私も中学に入る前から父の構想の中では、設計の仕事に就くことになっていた。

 

が、小学生の時は理科や算数の好きだった私だが、中学生になってから、実は国語が好き、作文が好きというこてこての文系だということが判明した。いや、A先生の授業で国語の愉しさに気づいたということかもしれない。

 

進路を決める最後の懇談の際、父に、

「成績は学年一(国語のみ!)、文章も良い、字も良い、こちらを伸ばすべき。」

と、キッパリと言ってくださった。現実(理数が恐ろしく苦手…)を知らなかった父は、以来、私の進路については口出ししなくなった。

 

A先生は作文や書道のコンクールの審査員でもあった。黒板にチョークで書く先生の文字はお手本のように美しく、流れるような勢いがあった。「達筆」と言う言葉は、こんな文字に対して使うのだと知った。有難いことに、私の作文もいろいろなところに掲載していただき、コンクールで賞も頂いた。そうして生徒の力を伸ばしてくださる先生だった。

 

もう何年前になるだろうか、久しぶりの同級会が開かれた際は、A先生もいらしてくださった。随分と痩せた面立ちでかつての気力は感じられなかったけれど、お元気そうだった。

しかし、後で思えば先生の挨拶はとても簡単で、言葉にも声にも力がなかった。生徒が50代ならば先生も80代、当然と言えば当然だけれど、後に、その時既に認知症を発症していたことを知った。

 

私も福島の親友に訃報を伝えた。

 

たくさんの感謝を込めて…、

ご冥福をお祈りいたします。