生きる覚悟。
我々は皆、役者です。
生涯、自分役を演じながら同じようにその人役を演じる他の役者たちと即興劇を繰り広げる、演出家も脚本家も監督もいない地球という劇場を生きる役者なのです。

この映画では、歌舞伎に命を賭けた男2匹の死に物狂いの人生活劇が繰り広げられます。
歌舞伎(芸)のためなら、オンナも子供も、自分の健康すら捨てて身命賭して……。
痛いほど、男たちの命がけの情熱が伝わってきました。
ヤクザの組長の息子「菊男」が、たった1人の身内である父親(たぶん組長だと思ふ……)を殺されて、父親の友達の歌舞伎一家に引き取られます。
歌舞伎の有名な舞台、連獅子(れんじし)や道明寺(どうみょうじ)、曽根崎心中(そねざきしんじゅう)などなどが若き御曹司と連れ子の2人によって鮮やかに熱演されます。
曽根崎心中を演じる稽古で、主人公(実は最後まで観てもどっちがどっちか分からなかった、分からないまま号泣してました笑)はオヤジ殿にぶたれます。
「お前はなんでそないに乱暴なんや!
若い娘になり切ってたらそないな乱暴な所作は恥ずかしくてでけへんはずや!
お前はお初(おはつ:曽根崎心中のヒロイン)の人生を生きてへん、やからお初として死ぬこともでけへん!
お初が徳(彼女の恋人)に
『一緒に死にましょう』
って誘うところやぞ。
お初の中には『死ぬことへの恐怖』も『愛する男と一緒に死ねる喜び』も匂い立ってくるはずや。
お前の芸からはそれが感じられへん!」
(引用不正確)
そりゃそうだけど……主人公はただの若い男なんだからいくら女形(おやま)だと言っても……とハラハラしながら私は観てました。
若き歌舞伎のプリンス2人は、決裂したり仲直りしたりしながら、数奇(すうき)な友情を貫きます。
大人になった2人が、
「俺また曽根崎心中を演(や)りたい。」
「分かった。ほな俺が徳を演(や)るわ。」
と約束。
その時のお初役の主人公、『死ぬことへの恐怖』と『愛する男と死ねる喜び』に震える様子は、ホンモノであり大正解、濃ゆいお手本というか……私はお初の狂気じみた愛情に背中がゾクリと冷えました。
あのお初を演じた主人公には、お初の霊が憑依(ひょうい)したみたいでした。
男は人間国宝になり、そしてあの日のあの約束は……。
まだまだ観てない方も多いでしょうから、全ては書きません。
ただ、私はこの映画の役者としてしか生きられない男たちの狂気じみた情熱に、号泣しました。
そして、あなたは女らしい完璧な女ですか?
対社会的には女を演じてるだけで中身は部分的に少年だったりオッサンだったりしませんか?
この映画が美熟女たちの感動を特にさらっているのは、彼女たちも対社会的に「オンナを演じている」女形(おやま)みたいな存在だからかもしれません。
それで良い。
我々は皆、役者なのですよ。
女性は大半が女形(おやま)みたいなところを抱えて生きているし、誰もが命がけでこの地球刑務所で自分役を生きて、演じている。
役者の狂気やハングリー精神は、自分の芯を見つめ直すこと、役者本能の叫びを聞くことにもなると思います。
生きる覚悟とは何か。
私は、ピアノ教室もやっていますが、それ以前に1人のオンナであり、1人の役者です。
地球最後の日が来ても私は私役を決して止めません。
私という役を演じきってギリギリまで生き、そして私役として死にます。
この映画で、私は
「お前も役者やろ、役者として死ね!」
とカツを入れられたような気持ちになりました。
そうです、ギャラは発生しないけど我々地球人は全員が自分役を演(や)って自分役で死ぬ役者なのですから……。
最後になりましたが、良い映画に誘ってくれたレイナちゃん(仮名)どうもありがとうございました。
日々苦労もあるだろうけど、レイナちゃんのレイナちゃん役の、私ファンの1人でございます。






