今日も仲良く手を繋ぎ登校する二人を見て恭介は心を痛めたが、隣で嬉々とする良太を見てため息をついた。
「まさか初日でランクインするなんてね恭ちゃん」
「うん……」
「歌ってみたじゃ一位だし」
良太がにこにこと話していると松尾が二人の間に入って言った。
「俺様にも詳しく教えろ」
「だからね松尾君、歌ってみたっていうのはね、動画のカテゴリーだよ」
松尾は眉を寄せ難しい表情を作った。
「松尾に難しいこと言っても無駄。レンタルショップで洋画とかアニメとか」
松尾は勢いよく恭介の背を叩いた。
「俺様わかったぜ、ジャンルみたいなもんだな……で、総合では何位だ?」
良太は少し唸った。
「五十二位」
良太のその低い声を椿は見逃さなかった。
「五十二位? 全然駄目じゃない!」
先行していた椿は振り返って言った。
「や、山中……五十二位でもすごいこと」
「何言ってるのよ恭介!」
恭介は巨体をすくませた。
「椿ちゃん大丈夫。すぐそうやって焦るんだから……何かを忘れてるでしょう?」
隆がそう言うと、椿は合点がいって、
「豊漁祭!」
しかし良太は難しい表情になった。
「ネットでも少しずつ鞘と共演したんじゃないかって、有名になってるけど、あの豊漁祭の動画は鞘の事務所に差し止められてるんだよね、誰かがアップしても一瞬で消されちゃうし、もちろん地元では公然の事実だけどね」
椿は腕を組んだ。
「それじゃ意味ないわね、あたしたちの思惑通りになってくれない」
「だから椿ちゃん焦っちゃ駄目だって、ね?」
皆暗い表情になったが、隆だけ何かを信じるような目つきだった。
昼休みの少し前から学食はこみ始める。この少し前という所が重要で、生徒たちはいったいどうやって、授業が終わる前に学食に集まり始めるのだろうか。
恭介は下級生を押しのけて前に進もうとする松尾の首を掴み、列の外に追いやった。
「何だよ! 俺様にやつあたりすんな!」
恭介は口元をつり上げ松尾の顔の前に迫った。二人の距離は男同士にしてはその気持ち悪いくらいに近い。松尾も負けじと睨み返している。
「だめだめ、悪いのは松尾君。はい謝って」
良太はとととと、走って来て二人の顔を離して言った。
「だけどよぉ首つかむことねぇだろ良太? こいつ山中のことで――」
恭介の手刀が松尾の額に直撃した。
「俺様キレタぜ! この独活の大木が!」
良太は凍り付いた。駄目だそれを言っちゃ……恭ちゃんは……。
良太の思いは的中し恭介の表情はみるみるうちに強ばり始めた。
松尾は良太が離した二人の距離を詰め寄った。恭介は松尾の襟首をつかむべく手を出し、
「恭介何やってるの!」
ちょうど学食に入った椿は何やら騒がしいと思い、視線を巡らせたのだ。そこには人垣ができ、その中央に三人が立っていたのだ。椿は恭介を指差した。
「あなたらしくないわよ、どうしたのよ……冷静なあなたが」
松尾はバツが悪くなってそっぽを向いた。恭介は辺りを見渡し信じられないように目を大きく見開いた。夢中になって完全に周囲のことを忘れていた。額に手を置いた。
「悪い、俺、迷惑かけた山中……」
そう言って視線を椿から外し、猫背になった。
恭介は一人学食を出ていった。松尾はいつもの席に腰をどかっと下ろすと無言になった。
椿たちは気まずい雰囲気になった。パンをテーブルに置いて手をつける者はいなかった。
「マッチャン恭介とは最近仲良かったわよね、原因は?」
松尾はしばらく黙っていたが、
「それを山中が言うなよな……」
と、松尾が言ったので、良太が食べようとパンに伸ばした手を引っ込めて、急いで、
「あのね、とってもつまらないこと、松尾君が下級生の列に無理矢理入ったんだ。それを恭ちゃんが止めて」
「別にいつものことじゃない?」
「今日は少し違ったんだ。恭ちゃん何だか機嫌悪くて」
「でも聞いてる限りじゃ、マッチャンが悪いわね」
「だからおまえが言うな……」
と、松尾は言って席を立った。そのとき下級生の女子三人組がそこにはいたが、松尾を見て顔を反らし距離を取った。隆は下級生を見てにっこりと笑った。
すると女子達は「キャーキャー」と黄色い声を上げ近寄ってきた。
「あの……私たちにかにか動画を見ました! 隆さん椿さん最高でした」
三人組の中で一番背の高い子がそう言った。椿は軽く頭を下げた。
すると三人組の中でも大人しそうな女子がおずおずと携帯電話を取りだし、他の女子に何かを言っていた。隆はやりとりを見て状況を察した。
「いいよ、椿ちゃんこっち」
隆は椿の腕を取って肩を引き寄せた。
「撮ってもいいですかぁ?」
椿は頬を紅潮させ隆を一度見てうなずいた。
「あのアドレスを教えてください。後で送ります」
椿はこくりとうなずいた。それから女子達は携帯電話で撮影を始めた。
遊歩道を歩くと噴水公園が見えてきて、更に進むと中江川を大きく跨ぐ橋に行き着く。
橋を渡って歩道を右に進んでいくと県営住宅があった。
隆は懐かしさのこみ上げる気持ちを、抑えるように深呼吸をし扉を開けた。
鍵の隠し場所は昔と変わっていなかった。
玄関に入るとすえた臭いが漂った。
台所には食器、インスタント食品の容器がかさばっていた。臭いの正体はインスタント食品の容器からだった。
隆は、玄関から右の廊下を進み、そこにあった部屋の襖を少しだけ開けた。
椿が安からな寝息をたててベットで眠っていた。椿の可愛らしい寝顔を見て一瞬隆の表情は緩んだが、直ぐにしっかりとした目つきに戻った。
襖を閉めて台所に向かった。そこで起きてきた母が驚いた表情で隆を見つめた。
しばらく二人は無言で見つめ合った。
隆は思った。あれから月日がたったが椿の母は随分老けて見えた。
椿の母は表情を絞った。ぎゅっと雑巾が絞られるように。
「隆君なのね?」
隆は丁寧にお辞儀をした。
「まあ本当に広大さんに似て――」
「お久しぶりです」
「あなただったのねやっぱり!」
椿の母は歓喜の表情を浮かべた。
「良かった……良かった……」
隆は優しい顔つきになった。
「椿ちゃんにはいつもお世話になってます。だから今度は私が恩返しをしたいと」
隆がそう言ったので、椿の母は恥ずかしそうに部屋中を見渡し始めた。
隆はブレザーをキッチンのチェアーにかけて腕まくりをし、台所に向かった。乱雑に積み上げられた食器を慎重にテーブルに運び始めて、母は、隆がやろうとしていることにきづいたのだろう慌てて、
「隆君いいのよそんなことしなくても、椿の部屋へ行きなさい」
隆は首を振った。
「ゴミ袋はどこですか?」
「どこだったかしら、確か……」
そしてゴミ袋を探し始めた。隆はその間も手を止めることはなかった。母はゴミ袋を隆に渡し、自分自身も台所の掃除を始めた。しかしその手は鉛のように重かった。
「ゴミ屋敷のようでしょう」
椿の母がそう言うと、隆は唇を噛んで、
「うちも一度これ以上、酷い状況になりました。大丈夫ですから本当に。安心してください。ゆっくりやりましょう」
椿の母はそこで考えを巡らせ状況を察した。
「ありがとう」
とだけ言って、椿の母は黙々と手を動かし始めた。
カーテンの隙間から光りが漏れ、椿はゆっくりと瞼を開いた。しばらくはベットの上で目を閉じたり開けたりしていたが、携帯電話が枕に挟まっていたので、それを片手に持って、夢見心地で冷蔵庫に向かった。
そこから月とうさぎのプリンを取り出した。携帯電話はポロリと手からすり抜けた。
椿はぺたりと座ると、指を宙に浮かべギターを弾き始めた。頭ではひいているのだろうが、そこにギターはなかった。
やがてゆっくりと手を止めると、とても幸せそうにうっとりとした表情でプリンを食べ始めた。
普段の椿ならここで意識が目覚めるのだが、今日は少しだけ遅かった。昨日興奮して真紀と長電話をしすぎたのだ。
意識が完全に現実に回帰すると隆が目の前で正座をしていた。
「椿ちゃん可愛い」
椿の顔は湯沸かし器のように沸騰し、赤面した。しばらく挙動不審にキョロキョロとしていたが、隆が自分の部屋にいるという事実が勝った。
「どうして? 隆?」
上ずった声だった。
「だって椿ちゃんがいつも来てくれるから、ほら昔は交代だったでしょうだから、わたしの分のつけがたまってると思うの、朝ご飯も」
隆はそう言ってコンビニ袋を差し出した。そこにはいわずもがなプリンが入っていた。 それを見て椿の表情は緩んだ。かってに上がりこんだ隆を叱ることを喪失した。
隆はプリンを取り出すと椿に渡した。そして自分はおにぎりを食べ始めた。
「今日からは交代でわたしが来るから」
「別にいいわよこなくても、あたしが行くし」
「だめだめ」
隆は椿の頭を撫でた。プリンを食べながら椿は頭を撫でられ、猫のように幸せそうな顔になった。
「ずっと椿ちゃんにはお世話になったから、わたしだけじゃなく真紀もだけど」
隆はそう言って笑った。
「あたしはバイトだし」
「椿ちゃんは今まで頑張ってくれた。真紀とわたしの意見は同じはず、聞いてみて真紀に」
椿はぎくりとした。連絡を取っていることは内緒なのだ。
「でも……ママいるし、この家嫌いだし」
「二人で片付けをしたり、三人でご飯を食べれば好きになれるよ」
「そんなこと絶対的に無理!」
「どうして?」
「どうしても!」
と、言っていると後ろの方から、
「隆君、涼子さんの方にはわたしから連絡を入れておくから、椿のことお願いね」
襖越しにそう聞こえた。
椿は冷淡な視線を襖に投げかけた。
隆は一瞬目線を落としたが、
「おばさん、今日学校が終わったらわたしここに来ますから、おばさんも早く帰ってきてください」
母はゆっくりと襖を開けた。母がこの襖をあけたことは長い間なかった。
椿は顔を背けた。
「わかったわ。母さんお弁当を買ってくるわね」
椿に向かって母は言葉を投げかけたが、椿が口を開くことはなかった。変わりに隆が、「ありがとうございます」
と答えた。
橋を渡って歩道を右に進んでいくと県営住宅があった。
隆は懐かしさのこみ上げる気持ちを、抑えるように深呼吸をし扉を開けた。
鍵の隠し場所は昔と変わっていなかった。
玄関に入るとすえた臭いが漂った。
台所には食器、インスタント食品の容器がかさばっていた。臭いの正体はインスタント食品の容器からだった。
隆は、玄関から右の廊下を進み、そこにあった部屋の襖を少しだけ開けた。
椿が安からな寝息をたててベットで眠っていた。椿の可愛らしい寝顔を見て一瞬隆の表情は緩んだが、直ぐにしっかりとした目つきに戻った。
襖を閉めて台所に向かった。そこで起きてきた母が驚いた表情で隆を見つめた。
しばらく二人は無言で見つめ合った。
隆は思った。あれから月日がたったが椿の母は随分老けて見えた。
椿の母は表情を絞った。ぎゅっと雑巾が絞られるように。
「隆君なのね?」
隆は丁寧にお辞儀をした。
「まあ本当に広大さんに似て――」
「お久しぶりです」
「あなただったのねやっぱり!」
椿の母は歓喜の表情を浮かべた。
「良かった……良かった……」
隆は優しい顔つきになった。
「椿ちゃんにはいつもお世話になってます。だから今度は私が恩返しをしたいと」
隆がそう言ったので、椿の母は恥ずかしそうに部屋中を見渡し始めた。
隆はブレザーをキッチンのチェアーにかけて腕まくりをし、台所に向かった。乱雑に積み上げられた食器を慎重にテーブルに運び始めて、母は、隆がやろうとしていることにきづいたのだろう慌てて、
「隆君いいのよそんなことしなくても、椿の部屋へ行きなさい」
隆は首を振った。
「ゴミ袋はどこですか?」
「どこだったかしら、確か……」
そしてゴミ袋を探し始めた。隆はその間も手を止めることはなかった。母はゴミ袋を隆に渡し、自分自身も台所の掃除を始めた。しかしその手は鉛のように重かった。
「ゴミ屋敷のようでしょう」
椿の母がそう言うと、隆は唇を噛んで、
「うちも一度これ以上、酷い状況になりました。大丈夫ですから本当に。安心してください。ゆっくりやりましょう」
椿の母はそこで考えを巡らせ状況を察した。
「ありがとう」
とだけ言って、椿の母は黙々と手を動かし始めた。
カーテンの隙間から光りが漏れ、椿はゆっくりと瞼を開いた。しばらくはベットの上で目を閉じたり開けたりしていたが、携帯電話が枕に挟まっていたので、それを片手に持って、夢見心地で冷蔵庫に向かった。
そこから月とうさぎのプリンを取り出した。携帯電話はポロリと手からすり抜けた。
椿はぺたりと座ると、指を宙に浮かべギターを弾き始めた。頭ではひいているのだろうが、そこにギターはなかった。
やがてゆっくりと手を止めると、とても幸せそうにうっとりとした表情でプリンを食べ始めた。
普段の椿ならここで意識が目覚めるのだが、今日は少しだけ遅かった。昨日興奮して真紀と長電話をしすぎたのだ。
意識が完全に現実に回帰すると隆が目の前で正座をしていた。
「椿ちゃん可愛い」
椿の顔は湯沸かし器のように沸騰し、赤面した。しばらく挙動不審にキョロキョロとしていたが、隆が自分の部屋にいるという事実が勝った。
「どうして? 隆?」
上ずった声だった。
「だって椿ちゃんがいつも来てくれるから、ほら昔は交代だったでしょうだから、わたしの分のつけがたまってると思うの、朝ご飯も」
隆はそう言ってコンビニ袋を差し出した。そこにはいわずもがなプリンが入っていた。 それを見て椿の表情は緩んだ。かってに上がりこんだ隆を叱ることを喪失した。
隆はプリンを取り出すと椿に渡した。そして自分はおにぎりを食べ始めた。
「今日からは交代でわたしが来るから」
「別にいいわよこなくても、あたしが行くし」
「だめだめ」
隆は椿の頭を撫でた。プリンを食べながら椿は頭を撫でられ、猫のように幸せそうな顔になった。
「ずっと椿ちゃんにはお世話になったから、わたしだけじゃなく真紀もだけど」
隆はそう言って笑った。
「あたしはバイトだし」
「椿ちゃんは今まで頑張ってくれた。真紀とわたしの意見は同じはず、聞いてみて真紀に」
椿はぎくりとした。連絡を取っていることは内緒なのだ。
「でも……ママいるし、この家嫌いだし」
「二人で片付けをしたり、三人でご飯を食べれば好きになれるよ」
「そんなこと絶対的に無理!」
「どうして?」
「どうしても!」
と、言っていると後ろの方から、
「隆君、涼子さんの方にはわたしから連絡を入れておくから、椿のことお願いね」
襖越しにそう聞こえた。
椿は冷淡な視線を襖に投げかけた。
隆は一瞬目線を落としたが、
「おばさん、今日学校が終わったらわたしここに来ますから、おばさんも早く帰ってきてください」
母はゆっくりと襖を開けた。母がこの襖をあけたことは長い間なかった。
椿は顔を背けた。
「わかったわ。母さんお弁当を買ってくるわね」
椿に向かって母は言葉を投げかけたが、椿が口を開くことはなかった。変わりに隆が、「ありがとうございます」
と答えた。
土手の小道には蒼い草が茂り、時折子供たちに引きちぎられては風に舞った。
ジョギングをする四十代の小太りの主婦はふと土手の奥を見つめて、数ヶ月ぶりに見えた光景に笑みを浮かべた。
隆はバイクを止めた。椿は後部座席から降りると、
「久しぶり来たわ」
と言った。
「うん……」
隆もバイクから降りると、石段に腰掛けた。椿もその隣に腰を下ろし、ギターを抱えた。
隆は首からぶら下げているノートを衣服の中から出した。
椿は携帯音楽プレイヤーの録音スイッチを入れた。
それからしばらくして隆の歌声が土手に響き、椿の演奏と混じり合った。
やがて演奏が終わると、隆はおもむろに言った。
「この感覚何年ぶりだろう」
「そうね悪くないわ、胸を掴まれたみたい」
「久しぶりね、あたしたち」
隆が掌を口に当て表、裏と返しながら言った。
「久しぶりね、俺達」
椿が掌を口に当て、表、裏と返しながら言った。
そうして二人は笑った。
「あの白いテープレコーダー持ってくるわあたし」
「でもたまに来ていた、あいつがいない」
隆がそう言ったとき、土手の斜面を踏む音が静かな空間に響いた。二人が見ると、
「おまえら俺様にも聴かせてくれ」
松尾が石段まで走って言った。
「マッチャン汗だく」
椿がそう言うと隆が鞄の中からタオルを出して松尾に渡した。松尾は「おっおっ」と妙な声を上げながらそれを受け取って汗を拭った。
「しょうがねぇな、俺様少しは女隆を認めてやるか」
松尾がそう言うと、
「ありがとう松尾君」
隆は少しだけ引きつった表情でそう答えた。
椿はベットの中で背中を丸めて笑った。携帯電話が手からすり抜け、耳に当て直す。
「真紀断っておくけど、テレビであたしの名前だけは絶対にださないでよね」
「ええ! 今度は遠回しに椿ちゃんにお礼をしようと思ってたのに」
しばらく椿は沈黙した。
「あなたね公共の電波を何だと思ってるの? それにあたしは真紀に何もしてない」
「そかな……真紀は椿がいてくれたから、隆君と無理にでも離れられた。真紀の髪を切ってくれたのも椿、源さんのことは本当に愛してる。だから絶対にテレビで――」
椿は笑みを浮かべた。
「真紀わかったからもういいよ」
椿は語りかけるように言った。
「隆君に会いたい、椿に会いたい」
「あたしもあなたに会いたいわ。鞘じゃなくて真紀にね」
「隆君……」
と、真紀が口ごもったので椿は、
「隆はやっとましになったわよ。何だかもう女として回りが受け入れ始めている」
「真紀、早く、隆君の本物の女装見たい、でも椿はどう? 男の方がいいよね?」
「あたしにそう聞くってことは、真紀は女の方がいいってこと?」
「どっちでもいいかな……」
椿は沈黙した。
「所詮外見よ、でも男に戻ってくれるのなら、それにこしたことはないわね」
「ね、椿ちゃんそれって、隆君のことを――」
「はい、今日も昔話をしましょう真紀、そしてあたしは目を閉じます。それ以外の話しは受け付けません」
真紀は受話器越しに思った。今日の椿はとても機嫌がいいと、恐らく隆と良いことでもあったのだろう、しかしまったく嫉妬という感情がわかない自分に笑った。
椿は夕食後眠ってしまった。隆はその寝顔を見つめながら不思議に思った。
「椿ってどうしていつもこんなに疲れてんだ?」
隆が不思議そうに尋ねると椿の母は、
「この子ね、時間が空いたときはバイト探してるのよ」
「バイトって、俺達まだ中学生だぞ!」
「そう。雇ってくれるところないわね」
母はそれきり押し黙った。隆は何だか椿が不憫に思えて、ベットにあった毛布をかけようとしたが、母がそれを制して、椿を抱えベットに運んだ。
「隆君、大事な話があるの聞いてくれるかしら?」
隆は母の顔色を見て真剣にうなずいた。
二人は椿から距離を取って座り直した。そして母は語り始めた。
「この子から父親のことを聞いた?」
とてもゆっくりな口調だった。
「うん、ギターがすごくうまくて、この町のどこかにいるって」
隆がそう言うと母は湿った目で椿を見つめた。そして、
「今から言うことは絶対に椿には内緒」
隆はうなずいた。
「実はね、この子の父親はギターもうまくなければ、この町にもいない」
隆は(?)どういうことだ? 椿の言うことと違うと思った。
「ただ女を作って逃げたの、よくある話しでしょう」
隆は呆然と聞いていた。
「確かにそこにあるクラシックギター、硝子ケースに入っているそれは父の唯一椿へのプレゼント」
そう言って隆は隣にあったギターを見た。そこには小さな手形がくっきりとあった。これは椿のものだろう。
「椿が父を偉大だと仰いでいるのは、自分を守るため、本当は全く違うの、あの人は娘から尊敬されるような親じゃなかったわ」
しんと静まる空間に椿の寝息がかすかに響いて聞こえた。
「だから私はあの子にとって悪者なの、でもそれは悲しいことだけど構わないわ。至らない所がいっぱいあるから、賭け事にのめりこんでいるわけだし」
母がそう言い切ると、
「おばちゃん、それ辞めることできん?」
母はしばらく考えて、
「努力はしているんだけどね。私の話はいいのよ、それでもし椿が父親像を妄想だと知るとどうなると思う? あの子はそれを支えにギター一筋」
隆は自体を察して険しい表情になった。
「ギターがなくなれば、椿は自分を見失う」
母はうなずいた。
「それほどあの子にとって、ギターと父親は切っても切れない関係なのよ」
隆は考えた。自分が歌わなくなったら、一体どうなるだろうと、そして怖くなって言った。
「どうすればいい? おれどうすれば相棒を!」
母は人差し指を口に当ててから、
「もう椿も幻想を信じなくなるような年頃になってしまうから、私なんとかしてあげたいのよ、でも……」
そう言って母は下を向いて涙を流し始めた。
隆は母の背に手を当てると、優しく撫でた。いっそう母は泣き始めた。
隆はこのとき決意した。何があっても椿を守ると。気づけばこう言っていた。
「おばちゃん、俺絶対、あいつを守るから、今はまだどうすればいいかなんてわからないでも……絶対に無理なことってないから、母さんがいつもそう言っている。だから大丈夫おばちゃんも頑張れ!」
母は顔を上げ隆を抱きしめた。
「ありがとう、ありがとう隆君」
そう言っていつまでも泣き続けた。
(俺の歌はどこまでも届く、俺の歌はどこまでも入る、そうだよな? 母さん? 俺男だもんな)
隆はそう言い聞かせていた。
ジョギングをする四十代の小太りの主婦はふと土手の奥を見つめて、数ヶ月ぶりに見えた光景に笑みを浮かべた。
隆はバイクを止めた。椿は後部座席から降りると、
「久しぶり来たわ」
と言った。
「うん……」
隆もバイクから降りると、石段に腰掛けた。椿もその隣に腰を下ろし、ギターを抱えた。
隆は首からぶら下げているノートを衣服の中から出した。
椿は携帯音楽プレイヤーの録音スイッチを入れた。
それからしばらくして隆の歌声が土手に響き、椿の演奏と混じり合った。
やがて演奏が終わると、隆はおもむろに言った。
「この感覚何年ぶりだろう」
「そうね悪くないわ、胸を掴まれたみたい」
「久しぶりね、あたしたち」
隆が掌を口に当て表、裏と返しながら言った。
「久しぶりね、俺達」
椿が掌を口に当て、表、裏と返しながら言った。
そうして二人は笑った。
「あの白いテープレコーダー持ってくるわあたし」
「でもたまに来ていた、あいつがいない」
隆がそう言ったとき、土手の斜面を踏む音が静かな空間に響いた。二人が見ると、
「おまえら俺様にも聴かせてくれ」
松尾が石段まで走って言った。
「マッチャン汗だく」
椿がそう言うと隆が鞄の中からタオルを出して松尾に渡した。松尾は「おっおっ」と妙な声を上げながらそれを受け取って汗を拭った。
「しょうがねぇな、俺様少しは女隆を認めてやるか」
松尾がそう言うと、
「ありがとう松尾君」
隆は少しだけ引きつった表情でそう答えた。
椿はベットの中で背中を丸めて笑った。携帯電話が手からすり抜け、耳に当て直す。
「真紀断っておくけど、テレビであたしの名前だけは絶対にださないでよね」
「ええ! 今度は遠回しに椿ちゃんにお礼をしようと思ってたのに」
しばらく椿は沈黙した。
「あなたね公共の電波を何だと思ってるの? それにあたしは真紀に何もしてない」
「そかな……真紀は椿がいてくれたから、隆君と無理にでも離れられた。真紀の髪を切ってくれたのも椿、源さんのことは本当に愛してる。だから絶対にテレビで――」
椿は笑みを浮かべた。
「真紀わかったからもういいよ」
椿は語りかけるように言った。
「隆君に会いたい、椿に会いたい」
「あたしもあなたに会いたいわ。鞘じゃなくて真紀にね」
「隆君……」
と、真紀が口ごもったので椿は、
「隆はやっとましになったわよ。何だかもう女として回りが受け入れ始めている」
「真紀、早く、隆君の本物の女装見たい、でも椿はどう? 男の方がいいよね?」
「あたしにそう聞くってことは、真紀は女の方がいいってこと?」
「どっちでもいいかな……」
椿は沈黙した。
「所詮外見よ、でも男に戻ってくれるのなら、それにこしたことはないわね」
「ね、椿ちゃんそれって、隆君のことを――」
「はい、今日も昔話をしましょう真紀、そしてあたしは目を閉じます。それ以外の話しは受け付けません」
真紀は受話器越しに思った。今日の椿はとても機嫌がいいと、恐らく隆と良いことでもあったのだろう、しかしまったく嫉妬という感情がわかない自分に笑った。
椿は夕食後眠ってしまった。隆はその寝顔を見つめながら不思議に思った。
「椿ってどうしていつもこんなに疲れてんだ?」
隆が不思議そうに尋ねると椿の母は、
「この子ね、時間が空いたときはバイト探してるのよ」
「バイトって、俺達まだ中学生だぞ!」
「そう。雇ってくれるところないわね」
母はそれきり押し黙った。隆は何だか椿が不憫に思えて、ベットにあった毛布をかけようとしたが、母がそれを制して、椿を抱えベットに運んだ。
「隆君、大事な話があるの聞いてくれるかしら?」
隆は母の顔色を見て真剣にうなずいた。
二人は椿から距離を取って座り直した。そして母は語り始めた。
「この子から父親のことを聞いた?」
とてもゆっくりな口調だった。
「うん、ギターがすごくうまくて、この町のどこかにいるって」
隆がそう言うと母は湿った目で椿を見つめた。そして、
「今から言うことは絶対に椿には内緒」
隆はうなずいた。
「実はね、この子の父親はギターもうまくなければ、この町にもいない」
隆は(?)どういうことだ? 椿の言うことと違うと思った。
「ただ女を作って逃げたの、よくある話しでしょう」
隆は呆然と聞いていた。
「確かにそこにあるクラシックギター、硝子ケースに入っているそれは父の唯一椿へのプレゼント」
そう言って隆は隣にあったギターを見た。そこには小さな手形がくっきりとあった。これは椿のものだろう。
「椿が父を偉大だと仰いでいるのは、自分を守るため、本当は全く違うの、あの人は娘から尊敬されるような親じゃなかったわ」
しんと静まる空間に椿の寝息がかすかに響いて聞こえた。
「だから私はあの子にとって悪者なの、でもそれは悲しいことだけど構わないわ。至らない所がいっぱいあるから、賭け事にのめりこんでいるわけだし」
母がそう言い切ると、
「おばちゃん、それ辞めることできん?」
母はしばらく考えて、
「努力はしているんだけどね。私の話はいいのよ、それでもし椿が父親像を妄想だと知るとどうなると思う? あの子はそれを支えにギター一筋」
隆は自体を察して険しい表情になった。
「ギターがなくなれば、椿は自分を見失う」
母はうなずいた。
「それほどあの子にとって、ギターと父親は切っても切れない関係なのよ」
隆は考えた。自分が歌わなくなったら、一体どうなるだろうと、そして怖くなって言った。
「どうすればいい? おれどうすれば相棒を!」
母は人差し指を口に当ててから、
「もう椿も幻想を信じなくなるような年頃になってしまうから、私なんとかしてあげたいのよ、でも……」
そう言って母は下を向いて涙を流し始めた。
隆は母の背に手を当てると、優しく撫でた。いっそう母は泣き始めた。
隆はこのとき決意した。何があっても椿を守ると。気づけばこう言っていた。
「おばちゃん、俺絶対、あいつを守るから、今はまだどうすればいいかなんてわからないでも……絶対に無理なことってないから、母さんがいつもそう言っている。だから大丈夫おばちゃんも頑張れ!」
母は顔を上げ隆を抱きしめた。
「ありがとう、ありがとう隆君」
そう言っていつまでも泣き続けた。
(俺の歌はどこまでも届く、俺の歌はどこまでも入る、そうだよな? 母さん? 俺男だもんな)
隆はそう言い聞かせていた。