長編物語ブログ -2ページ目

長編物語ブログ

 うんざりするほど長い物語です。
 でも不思議と中毒性があるかもしれません。
 
 
<チームイミタン>
イラスト担当:t2 文章担当:イミタン

 バンクーバーから東に向かった先に、モーションデニス・スタジオという謎めいた店があった。
 そこは60年代のイタリアンなバイクが二台、扉付近にあって、まるで口を開けてご案内をしているようだった。
 硝子張りのディスプレイは、多種多様な服や小物が見栄えよく飾られ、ハリウッドのセット顔負けである。
 ミシェルはオープンの看板のチェーンを引っ張ってモジモジと店内を窺った。
 金髪に碧眼、眼鏡は黒縁で、化粧っ気がなく、顔にめりはりがなかった。
 今年の十二月で十九になるが、何かそう、じみでおばさんくさかった。
 ピンクのワンピースは暗めで丈が長いし、靴のかかとはすり切れていた。
 ミシェルは軽く深呼吸をして、扉を開けた。
「どなかたいらっしゃいますでしょうか」
 間抜けは問いかけである。
 彼女はやおら顔を上げ、赤面した。
 店内は誰もいなかったのである。
 奥まった場所にあるレコードプレイヤーが、しゃ――と音を立て、半拍置いてブルドッグが一声吠えた。
 小型なのだが、ミシェルは怯え、踵を返した。
「やぁ悪かったね、君だろ電話をくれた、久しぶりのお客なもんでね、ようこそ当店へ、貴方の人間変えます」
 店主は奥からやってきて、ハットをレジカウンターに置いて、言った。
 ミシェルはゆっくりと歩いていった。
「君、電話のときと少しイメージが違うね、ここに来る前に帰ろうとしてたでしょ、いやなら帰ればいい撲は何も困らない。眉唾だからね信じない人も多いんだ、人を見た目から性格まで変えるっていうのは大変なことだから、さあ、その後ろにある扉が待ってるよ」

 筆者は自慰行為を憶えた時期が曖昧で、
 今想えば、衝動を常に持て余し反射的に行っていたように思う。
 このブログは赤裸々に生々しく書く放心なのだが、さすがに全てをさらけ出すわけにもいかない。
 それは数少ない私の読者の方が不快になるだろうと考えるからだ。
 
 信じられないくらい幼い時期よりそれを行い。
 驚くことに、羞恥心といったものを全く感じていなかった。
 ただ清濁にそれは悪いことといえる罪悪感はあった。
 まだここまでなら、幼いからと片付けることもできたが、思春期を越えても、変態的な意味ではなく自慰を行う刺激に対して、場所や状況は最低限わきまえればどうでもよかった。
 詳しく書くには憚られる。

 未だに衝動を抑えることができないので、これは前の記事でも書いたが、どうしても治らない部分なのだろう、だがしかし、生活に支障を来すので、これからも上手い具合付き合っていかないと不味い。
 わかってはいるが、「煙草を吸いたい」や「セックスがしたい」脳からくる刺激に対して、子供の頃からの癖で「もういいや」が始まってしまう。
 それくらい抗うのが難しいことなのだ。

 メリデメ計算をしようが、場所を考えがようがここが、注意欠陥性多動しょうがいにおける「だらしない」や「ストレスに弱い」と言われる所以である。

 「大人のADHDの方保護者の方、デリケートな部分が絡んでくるので、見ないふりを絶対にしないでください。
 自分に対しても相手に対しても、
 勇気をもって接してください。
 ADHDは一対一を好みます。そして、いかに話しを聴いてくれるかで人を判断します。
 悲しいですが、衝動を叶えてくれる人か、
 いかに自分を理解してくれるかで愛着しています。
 大分前の記事でも書きましたが、悲しいですが束縛を嫌い人への依存は突き詰めると全くないです。
 本人はあるように感じてしまうでしょうが」。

 全く持って救いがないが、少しだけましになる方法がある。
 異常なこだわりを基軸に生活習慣を整える。
 例えばだが趣味で生活を整える。
 そういった環境をとってしまうのです。
 認知としては、ADHDやASの本人が何よりもそれが大事だと周囲が認めることだ。
 言うが安いが、本人がそこで「自己肯定感」を高めているということを知ること。
 これだというものに出会えば、何年も突き進むだろう。
 ただ、現実的に生活というベースにそれを乗せる。
 本人が裏返りネガティブになったりしたとき、「別にいいじゃない」って言ってあげたり、過活動を無理矢理とくのではなく、誘導したり、自覚したりだ。

 明日は仕事がある学校がある
 でも○○がしたいという衝動。
 それを生活リズムで上書きするということだ。
 ASは決まった時間に決まった通り続いていくが、ADHDはそうはいかない。
 なのでリズムを自分で作ったり。
 誘導したりして、完成させていくのだ。
 そうするとあら不思議、悪い衝動を良い衝動のリズムに変換する。
 これが必ず起きる。
 だがしかしこう書いても、二次障害が出たりすると人間関係リセットしようとしたり、意味のわからない悪あがきをするのだ。
 これはどうしようもない。
 それから時間が経つと「殻に閉じこもる」だろう。
 だが安心してほしい、殻が割れると本人が生まれ変わったように、あれが良かったこれが悪かったと「自分語り」始めます。
 そうなればもう安心です。

 この闇の部分はまた書きます。
 文体も安定せず、模索しながら「発達障害」の記事は書いてます。
 時間のあるときにまとめて推敲します。
 
 筆者は発達障害の傾向がとても強く、ADHDのACだと思われる。
 まだまだ田舎では認知が薄く、知人の発達障害の疑いを持つ女性は病院をたらい回しにされている。(現在進行形)
 昔よりは安定してきているが、一時は鬱病の薬を処方されて酷い有様だった。
 これが大人の発達障害の現状である。
 なので数少ない病院に行く気に全くなれないのである。
 特に田舎は絶望的なのだ。

 団塊の世代の親たちはどうしても発達障害に起きる二次障害や、LDを『甘え』だと捉えるのである。
 やればできるとどこかで勘違いしているので、やってもやってもできないということが信じられないのだろう、どうあがいても改善できないことや、努力で補える部分が大人の発達障害は明確になってくる。
 個人差はあるだろう、筆者は部屋の片付けは何とかできる所まで来た。 
 だがしかし上手くADHDを表すなら、ピカピカに部屋を片付けた直後、外に出て土足で部屋の中を踏み歩くような感覚に近い。
 それでも置く場所を決めて格付けを行った通りに片付けていく。
 すぐに汚しても同じような時間や気持ちになったときを見計らって掃除を行う。
 
 閑話休題
 ここで少しタイトルにある、天然ボケと脳機能障害を説明していこう。
 ジョジョではないけれども『発達障害は発達障害に惹かれ合う』これは本当にそう思う。
 なのでこの天然ボケは筆者を核にして拡がりを持つ。
 人にぶつかる。物にぶつかるが本当に多い。マンガでよくあるシュチュエーション、何もないところでこけたり、壁に唐突にぶつかったりもする。
 信じられないが、自分が発達障害という疑いを持っている方よく自分と回りを見渡してください。

 筆者はマックが嫌いです。
 すみません気分を悪くした方、この先も読んでください。
 大の大人がハンバーガーを食べると口の回りをべったりと汚すのです。
 汚れていることにも気づきません。
 
 ここで見方を変えます。
 あまりにも救いがないので、人は余裕があるときには発達障害の天然ボケに出会ったときに可愛いと保護欲くすぐります。
 なので筆者はなるべく大事にならないように前もって言っておきます。
 こんな性分だからごめんよーてな感じです。
 更に脳機能障害を天然ボケに変換するので、筆者のアイデンティティになるのです。

 後先考えずにおまえは何でもやる。
 子供の頃はそう言われてましたが、大人になっても生傷は絶えません。
 右手に四針縫った後が、左手には七針縫った後が、瞼の上に斜めに傷が、足の裏を切って入院、数えたらきりがない。
 これは脳機能障害=天然ボケに収まらない悪い範疇です。
 最近でこそ激減しましたが、それでもつい先日あばらを折りました。

 この天然ボケに収まる方法、
 最近身につけたことです。
 とっても簡単だけれども、忘れてしまうこと。
 どんなことでも、ゆっくりゆっくりやってください。
 お風呂でも仕事でも、もう本当に『自分がゆっくり動いているなぁ』この位が丁度いいです。
 大けがをするより、仕事で大失敗をするよりもいいです。
 ゆっくりを体感的には自分の中で『スローだなぁ』これくらいが丁度いいです。
 
 このテンポを掴むとスマイルと天然ボケで貴方は少しずつストレスが減って、回りにやっと笑顔を『投影』できるようになるのです。