硬貨はダッシュボードの上を跳ね、フロントウィンドウを擦りながら生きの良い魚のように泳いだ。
コインホルダーから25セントが跳ね上がったのだ。
すっきりとした車内だけに、硬貨が転げ落ちるはとても目立つが、男は目もくれずにただ眼前を眺めハンドルを握っていた。
曲がりくねる道を抜けると、ハイウェへと続く直線に車は出た。
男が運転する黒塗りのSUVは更に速度を上げた。
「エリィ……エマ……撲はもう限界だ、今から君たちのもとへ行くからね」
男はそう言って半拍瞳を閉じた。
「Tick Tock」
どこからともなく時計の音は響いた。
その音は男に生まれてから今までの、過去を体現させた。
フロントウィンドウには、赤ん坊の男が母に抱かれ、リアウィンドウには、娘が初めて歩き出した光景が、男は、それら過去の記憶が現実において映し出されたという疑問よりも、記憶が触れるような位置にある多幸感に包まれた。
だがしかし、記憶が新しくなればなるほど、男は焦燥感を抱いた。
何度も見た光景に心が軋み始める。
男はセスナ機の見積もりを見つけると、家のどこかに隠れている妻と娘を捜すのを躊躇った。 しばらく動くことなく、最後の行に目を走らせた。
するとそこにはこう書かれていた。
「エリィとあなたが上手くいかない理由は、あなたが心のどこかで怯えているからよ。でも大丈夫。だって私たちの子だもの」
男は上着を掛けると、テーブルに置いてあったデコレーションされたケーキに指を伸ばした。
クリームを指につけ、口元にそれを塗った。
いかにもつまみ食いをしましたとでもいうように。
「エリィはどこかなぁ」
男は満面の笑みを浮かべ二人を捜し始めた。
二階に登って扉を開けて――。
「この部屋かなぁ……今日はパパの誕生日隠れてないで、出ておいで」
二人は抱き合うように、娘はベットの上で妻はベットの下で。
男はクスクスと笑って、両手をモンスターのように広げ二人を包み込むように抱きしめた。
するとゴロンと妻の頭が揺れ動き、男の方へと倒れ、娘の身体はゆっくりとベットに横たわった。
男のときは止まった。
身動き一つしない中で、黒目が微動し、妻の胸に銃弾が打ち込まれたことを知った。
胸にあったはずの血痕は朱ではなく、黒かった。
丁寧に処理を施し、赤い血を黒く塗り替えたのだ。
正確に心臓の位置が黒く、男がそこを手で撫でた。
唇は男の鼓動を表し高速に震えた。
ゆっくりと妻を娘の隣に寝かせる。
娘も同様に正確に心臓を銃で撃ち抜かれ、血痕は黒く塗り替えられていた。
男は娘の額にかかった髪の毛を払う。
携帯電話を、ポケットから取り、ゆっくりと足を遠ざけるようにし、時刻を確認したとき、
「エリィ、エマ!」
と、慟哭した。
「Tick Tock」
どこからともなく時計の音は響いた。
男はフロントウィンドウに手を伸ばしたが、二人に触ることはできなかった。
記憶の映像は終わることなく繰り返される。
男はアクセルを全開にした。
「Tick Tock」
どこからともなく時計の音は響いた。
直線道路は終わりを告げ、急カーブが見えてきた。
しかし男がアクセルを緩めることはなかった。
時計の音がやみ、男が記憶の映像から目を背けると、道路には一人の少女が立っていた。
急ブレーキを踏み、タイヤは悲鳴を上げた。
車はガードレール一歩手前で止まっていた。
男は頭を振り払い、ドアを開けた。
崖下を見て、車をチェックし、首を傾げた。
そこで、冷静になり考えた。
衝撃は何もなかった。
つまりはどこにもぶつけてないのだ。
男は道路に膝をついた。
「撲は死ぬこともできないのか」
両手をつくと涙が零れた。
「Tick Tock」
どこからともなく時計の音は響いた。
男の肩はトントンと叩かれた。
振り返る。
「パパ男でしょ、すぐそうやって泣くんだから」
そこには娘が立っていた。
「ゴーストには触れない」
娘は泣きながら触れようとしてくる男をたしなめた。
金髪の髪を無造作にし、少しメイクを施しスカートをジーンズに巻き付け、ちょっと不良の娘は、
「あの日の焼き直し、さぁ三つある扉から猫ちゃんを探しに行きましょう」
娘はそう言って、首から下げてある懐中時計を外し、男の首にかけた。
懐中時計は光り輝くと現実に顕現していた。
娘は男が泣き止むまでずっと抱きしめるように、手を添えていた。