砦というにはいささか語弊があった。そびえ立つ円形の塁壁は半壊し、兵士たちのほとんどは死に絶えていた。
エリックは我が目を疑うようにヤンガスを窺った。するとヤンガスは燃えるような厳しい視線で、広場の中央にどっさりと倒れていた巨大な鶏を睨み付けていた。
エリックは瞬時に思考を巡らせた。
ゴーストがどういうわけか実体化をし、この砦を襲った。現に巨大鶏の他にも大小様々なゴーストが何者かに倒されていた。恐らく兵士たちだろう。
しかしよく、実体化したゴーストを相手にこの数の兵士で立ち向かった。
希に実体化したゴーストもいるが、歴史の中では神話のように語り継がれている。その内容から推察すると恐ろしく手練れであることは間違いない。
惜しい人たちを亡くした。こんな状況でも冷静でいられる自分に違和感を覚えたが、それは隣にヤンガスがいるからだろうと、結論づけた。
一人ならばこの場から早々に逃げ出し震え上がっていただろう。エリックにとってヤンガスとはそれほど心置ける存在なのだ。
「ヤンガス……撲はね理不尽なことがとても嫌いなんだ。だから日々努力して、吟遊詩人にもなった。勉強もした。なぜ頑張れたかってさっ……きっと報われるって信じることができたからんだよ。でもこの砦の人たちは……」
ヤンガスは拳を握りしめた。エリックは自分の言葉の続きを知って涙を流した。
一陣の風が吹き、軋んでいた、塁壁の上にあった鐘が地に落ちてくぐもった金属の音が二人の下にやってくると、ヤンガスはゆっくりと瞳を閉じて、優しくエリックの頭に手を置いた。そして歩き出すとエリックも急に走り出していった。
「兄さん! 生きている人がいる!」
二人は瓦礫の間に入りこんでいた女と、その上に重なるようにしていた女を見下ろした。
ヤンガスはエリックに向かってこくりとうなずくと、二人を瓦礫の中から外へと引っ張りだして横に並べて寝かせた。
「気を失っているけど、大丈夫だよ兄さん」
エリックがそういうとヤンガスはエリックの腕の甲を取って、こう書いた。
「まだ生きている人がいるかもしれない」
エリックはうなずいて、二人は瓦礫の中を慎重に歩き始めた。
忌々しかったゴーストたちに目もくれずに、生存者を捜した。巨大鶏の横を通り過ぎようとしていたときだった。口を開け、何かを喋ろうとしていた。少女がいた。
少女は神官着を着て、若い騎士の少し後ろに、うつぶせになるように倒れ、顔だけを上げていた。
ヤンガスが口元を見て言葉を読み取ると、少女はこういっていた。
「ゴーストの理旋律は未だに繋がっております。騎士様どうかお逃げください」
ヤンガスは横目に巨大鶏の光のない目を見た。そしてまだ動き出さないと知ると、少女の身体を抱き起こし、エリックの下に、
エリックは頷いて、少女を受け取った。ヤンガスは若い騎士の下まで行くと身体を抱え上げた。
そして二人の女の下へと走った。
ちょうどエリックも少女を寝かし終わっているところだった。
ヤンガスは荒い呼吸を繰り返し、巨大鶏を窺った。
「騎士様、吟遊詩人様どうか私を見捨てお逃げください。あれはまだ生きております」
ヤンガスは刹那少女のあどけない横顔を見た。しかし何も語らないまま、巨大鶏を見つめ直した。
「兄さん、言っても無駄だと思うけど一応言わせてもらうよ。逃げよう」
ヤンガスはエリックを一瞥して、腰に下げているブロードソードを引き抜いた。
「この子はまだ子供だし助けて上げられるけど……他の人たちは無理かもしれない……僕たちが死んじゃったら……」
ヤンガスは首をまた振った。
「騎士様、私はどうでもよいのです。あなた方だけでもお逃げ――」
少女が語り終わらないうちに、巨大鶏の目に光りが灯った。ゆっくりと首をもたげ、起き上がろうとしている。
ヤンガスは歩き始めた。
エリックは唇をかみしめ、震えを抑えるように両手をしっかりと握ってから、背にあるリュートを抱えた。
「ねぇ、君、撲がこれを弾き始めたら耳をできるだけ強く塞いで、撲の歌を聴かないようにしてほしいんだ」
少女は顔をあげてぎゅっと表情を搾った。もう彼等を止めることはできない。苦しさが滲みでていた。
「兄さんは守りたい者が少しだけ、わかったのかもしれない」
エリックはそう言って歩き始めた。
ヤンガスが巨大鶏と対峙し五モントほど近寄ると、四肢は完全に起き上がっていた。
ヤンガスの六倍はあろうとかという大きさの鶏、消えていたはずのバツ印は青白く浮かび上がっていた。
巨大鶏は翼を広げた。それを羽ばたかせると風が起きた。しかしヤンガスはシールドを展開し、足を地に縫い付けるように踏ん張った。
巨大鶏はヤンガスを睨みつけた。するとヤンガスは目力を込めて睨み返した。
ヤンガスは大きく口を開いた。そして力の限り、肺が壊れるほど息を吸い込み、吠えた。
「おぉおおおおぉおおおぉお!」
ヤンガスの声は地響きのように砦を震わせた。
巨大鶏の動きはぴたりと止まった。
エリックはその光景を後方から見ていた。確かにヤンガスが吠えたときに空気はマナーリで満ちた。そして理旋律はまるで毛糸の大きな玉のように収束し、鶏に向かって飛んでいった。
あり得ないことだと思った。ヤンガスは意識し技を習得したわけではない。ただ感情を声に乗せたにすぎない。
「やっぱり兄さんはすごいや」
エリックはそう言ってリュートを弾き始めた。
ヤンガスはブロードソードを片手に鶏に踊りかかった。
右足、左足、この攻撃を交互に繰り返した。
エリックの旋律は戦うヤンガスと連動するように音を奏でた。
時折、盾が鈍い音を立てて、その衝撃の度に吹き飛ばされた。しかしヤンガスは決して倒れなかった。
エリックは心を落ち着かせた。目の前にいるヤンガスも巨大鶏も消え、視界は白一色の世界に、意識を下げていった。白の世界へ。そしてその世界の頂点に自らが完全にいるという事実が現実に勝った瞬間に歌い始めた。
「我、たけき獣を狩る者
夢想を虐げる者
呪いを請け負う者
悪徳をなす者
後悔する者
回顧するする者
声を知る者
それは音である、それは不快な世界の音である」
エリックが歌い始めると巨大鶏はまるで、熱湯の中に押し込められたように暴れ始めた。
ヤンガスは逃げるように巨大鶏の領域から抜け出した。
エリックが何かをしたということはわかったが、それがどういった仕組みで起きたことかはわからない。
ヤンガスはエリックの隣でシールドを構えた。するとエリックは片手で、ヤンガスの腕にこう書いた。
「兄さん、奴の五感を絶っているんだ。撲、呪歌と聖歌使えるんだ。ごめんね黙ってて」
鶏は狂ったように暴れ始めた。
そしてエリックの歌が終わる頃には衰弱し、力尽きたように塁壁に横たわった。
エリックは微笑していた。しかしその不気味な笑顔を見て、ヤンガスは恐怖を覚えた。
「だからやだったんだよ、撲の歌う姿を見せるのは、大丈夫撲は、エリックだからね」
まるでヤンガスを見透かしたようにいった。
ヤンガスは唾を飲み込みこくりとうなずいた。
「もう大丈夫。鶏は退治したから、生きている人を助けよう」
エリックがそういって、ヤンガスが振り返ったときだった。
巨大鶏は最期の力を振り絞り、邪眼を発動した。
それは眼光から黒い光の線をもたらした。
それは刹那ヤンガスの胸を刺し貫いていた。
「兄さん!」
エリックがそういったときは全てが遅かった。
ヤンガスはゆっくりと地面にくずおれた。
一部始終を見ていたジルハは、ゆっくりと起き上がった。二人の戦う姿を見て、あの者たちの理旋律の色を知り、この糸を断ち切るということは、シルマ大陸の損失に繋がる。そう思った。
ジルハはゆっくりと倒れるヤンガスを見ていた。彼の瞳は最期の最期まで後悔というものは浮かんでいなかった。
この者を何とか助けなくては、
泣き叫ぶエリックを横目に、ジルハは両膝を折って祈り始めた。しかし祈る神はもう存在しない、この祈りは自分に跳ね返り、命を削ってしまう。
それでも良い切にそう思った。
「私の命はあなたと繋がっていますでしょうか。
私の命はあなたと繋がっていますでしょうか。
もし、ほんの少しで良いのです、そこに繋がりがあるのならば、私の前に現れてください。細くても良いのです……涙は太くかれません。いつまでもいつまでも理旋律を刻みつけよと人々の前に現れるのです。私の中の神よイキガミよ。どうか私に力お与えください」
ジルハは一心に祈りを捧げた。
祈りは自らに跳ね返り、苦しみが生まれた。
しかし決してあきらめなかった。
しゃらんと音が響いた。ジルハが目を開けると確かにそこには細くて今にも切れそうな糸があった。
「騎士様と私は繋がりました。あなた様に心からの寵愛と、私の命に連動されるあなた様の宿命をお詫びいたします」
ジルハはヤンガスに向かってそういって、エリックにも頭を下げた。するとヤンガスは、眠りから覚めたように起き上がった。
ジルハ微笑した。頭を少しほんの少し傾けて、
そして血を吐いて、倒れていった。