前回の続きです。

タイミング法、人工授精を経て

体外受精に方向転換したのが2019年夏。

 

実はそのころ、旦那さまのアメリカ駐在の内示が出ました。

10月には旦那さまはアメリカへ行くため、

精子君たちを事前に採取し凍結保存、

それを採卵した卵子と受精させるという流れとなりました。

 

9月から3ヶ月採卵に挑戦し、私も12月には渡米しました。

その3ヶ月が地獄でした。

 

採卵ができなかったのです。

正確には、毎回採卵前々日の診察では十数個の卵が取れそうなのに

当日採卵時にはすべて排卵してしまっている状況が3ヶ月繰り返されました。

 

採卵前に排卵してしまうという事態を想定していなかったため

1回目の採卵失敗は驚きと悲しみで大混乱でした。

実は採卵前日の夜に、今排卵してるかもしれない!という排卵痛がありました。

不思議と一個ずつ排卵するたびに痛むような感じで、

これはホルモン剤で卵巣が刺激された痛みではなく

排卵の痛みだ!と直感があったのです。

案の定、当日には1つも卵が残っていなかったのです。

 

2回目の採卵の時には先生にも同じ失敗をしたくなく相談していましたが

まめに血液検査をしてホルモン数値を細かく観察して臨むことになりました。

薬や注射の投与内容は大きくは変わらなかったです。

 

採卵前夜、腹痛はあるものの前回とは様子が違う気も。。。

しかし当日、病院に向かう前に胸の張りがあることに気づきました。

私は排卵後胸が張ってきます。

病院到着後、採卵前の処置をしてくれる看護師さんに状況を伝えましたが、

「排卵前に胸が張ることもあるんじゃない?」と言われ、人によってはそうなのかなと思いました。

でも私はそんなこと今まで一度もない!!

 

案の定、採卵しようと超音波で確認すると、

10数個あった卵は0になっていました。

 

安静室にもどり思わず号泣してしまいました。

看護師さんは

「大丈夫大丈夫。今はタイミングじゃなかっただけだよ。

赤ちゃんは見ていて必ずいい時に来てくれるから」

とやさしく慰めてくれました。が、

でも私は今来てほしかった!いい時っていつだよ!!!

今回2回目!採卵できないってどういうことなんだよ!!何年待てばいいんだよ!

心の中で怒りに感情が噴出しました。

 

本当に嫌な感情に支配されていました。

看護師さんが思いやってかけてくれる言葉はまったく届きません。

看護師さんだけではなかったでしょう。

 

体外受精に臨めば前進できる。

そう信じていた私は絶望したのです。

採卵すらできなかったら行き止まりじゃないかと。。。。

 

しかし、治療をやめる選択肢はありませんでした。

何としてでも妊娠してアメリカに渡りたい。

私自身がアメリカに渡米する2週間前が3回目、最後の採卵となりました。

 

採卵前々日の診察ではいつも通り卵がたくさん見えました。

でも今回も、特別治療法に変更はありません。

病院の先生に不信感はあまり実はなくて、

相談はしていましたが先生も他に手立てはないようでした。

私自身、いろいろな情報を検索し採卵前に排卵してしまう事例を調べまくっていました。

私は血液検査の数値に以上もないし、そもそもそのような事例の情報がほぼ見つからなかったです。

だから、とにかく排卵しないでくれと神頼みするしかなく、

旦那さまの精子たちもここの病院に預けているのでここでやりきる気持ちしかありませんでした。

 

臨んだ3回目、

採卵当日、やはり胸が張っている。。。。

超音波で見てみると卵が。。。。いない。。。。

でも先生がどこかにまだ残ってないかぐいぐい探してくれました。

そして1個だけ、1個だけ卵が残っていたのです。

 

無事採卵でき、卵の状態も良いとのことで

1個だけなので技師さんと相談しふりかけと顕微両方で受精を試みました。

 

たった1個、

残っていてくれたことへの嬉しさはありましたが

同時にやはり10個以上の卵は排卵済みだったという事実に打ちのめされてしまいました。

 

3日後、無事受精し初期胚となった受精卵をおなかに戻しました。

受精卵の状況は少し細胞の大きさにばらつきはあるもののフラグメントはない状態。

 

確率は高くないけれど十分妊娠する可能性はありますとのことでした。

しかし、着床することなく生理が来て日本での不妊治療が終わりました。

 

毎日毎日病院に通い、注射を打ち、

きっと次こそは、と気持ちを奮い立たせていた気持ちが

ガラガラと音を立てて奈落の底へと沈んでいきました。

 

ダメだった結果を重く心に抱えたまま

渡米前に助成金の申請をするのもまたしんどかったです。

 

ああ、終わってしまったと

絶望したのを昨日のように覚えています。

 

でも、大好きな旦那さまのもとへ

大好きなアメリカでの生活が待っていると気持ちを切り替えて

渡米したのでした。