関東地方の梅雨が明けを宣言した。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150724/14/imedia-net/b0/2c/j/t02200220_0800080013375124318.jpg?caw=800)
なぜ梅雨明けじゃないんだ。
梅雨明したと”みられる”、なんだ。
曖昧じゃないか。
ずるい。責任逃れだ。
もっと自分の言葉に責任を持て。
そんなことを考えていたこともあった。
しかし、よくよく調べると
「みられる」という表現には深い意味がある。
まずは梅雨明したと”みられる”という「速報値」を出す。
そして、しっかり検討した後「確定値」を出している。
「みられる」なのは「速報値」であるからだ。
別に責任逃れをしているから、というわけではないらしい。
だって、梅雨が明けたのかは、みんな知りたい。
本当はもっと慎重に検討すべきだけど、
数カ月経って、「あの日が梅雨明けでした」
なんて言われたところで何の役にも立たない。
私たちは、「今」が知りたいんだから。
編集という、言葉を扱う仕事に関わっていると、
曖昧な表現に逃げてしまうことも、ないとは言い切れない。
(ほら、この時点で逃げているように)
分かりやすい表現も大事。
だけど、情報の鮮度が大事な時には、
分かりやすい表現だけではダメなのだ、と。
美容の雑誌をつくっていて、
「次はこんな髪型が流行る」という予報は出せる。
「今はこんな髪型が流行っている(はず)」という速報も出せる。
「昔はこんな髪型が流行りました」という結果も出せる。
読者が知りたいのは果たしてーーー。
編集者として、常に考えている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150724/13/imedia-net/35/92/j/t02200293_0800106713375101487.jpg?caw=800)
写真は梅雨明けの日の夕暮れ。
青からオレンジへ色を変える空のように
あっという間に、流行も移り変わっていく。
編集Sლ(╹◡╹ლ)
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