ウエクミの記事 | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

ウエクミをまだ宝塚ジャンル扱いしていいのかは別として、


推し活を否定するような発言に、宝塚ファンがショックを受けているというのをみて、記事を読んだのですが、

まあ、推し活を否定したわけじゃなくて、スターありきの演劇界に抵抗したいっていう内容な、気がしました。



ウエクミが言ってることは、演劇界でずーーーーーーっと問題視されていることで、私もそれを卒論に選んだくらい、演劇におけるこの「スターシステム」って世界的に見たら奇異なのは分かる。


さすがに人間関係の消費というのは面白い表現だと思うけど。


海外だと有名な演劇家は例えばシェイクスピア=劇作家

日本だとその時代は能とかになるのかな。

観阿弥世阿弥=劇作家兼俳優


シェイクスピアを知っててもシェイクスピアを演じた役者の名前は伝わってない。

それは戯曲だけが残ったからで、

日本の能のように体現として残ったら違ってたのかな?と思う。



私としては、それは文化の違いとして、今回は推し活云々については、キャッチーなタイトルつけて記事を売りたいだけだろうし、どうでもいいかなー。


私が思ったのは。


ウエクミ、そこを理解して、乗り越えた上で宝塚に入ったわけではなかったんだ。


ということです。


演劇に関わってたら遅かれ早かれこの問題に行き着いて、劇作家や演出家はそのジレンマを感じるし、そこに折り合いつけないと続けることはできないよなぁ、と。

(上から目線ですいません。)


ウエクミが前に「自分探しの延長で宝塚に入った」的な発言してたのを思い出し、


そうか、ウエクミは今、その遅かれ早かれ演劇人みんなが感じているジレンマに向き合うことにしたのね☆

でも、そのジレンマの解消は、大手劇団に入る前にやってほしかったわー。と。


ウエクミ作品が宝塚に合ってたかといえば、最初見た印象は「美しい新感線」で、中島かずきといのうえひでのりの負けの美学をもっと美しくした感じという印象なので、まあ、どうしても惜しいかっていうとなぁ。



こういう人は海外に留学して帰ってきて、

なんだかんだで大手の演劇に戻って来るイメージだし、ウエクミの緻密な戯曲にはそこそこ高い技能のある役者とスタッフが必要なので、宝塚ではないにしろクリエとか東宝とかはやると思うんだけど、

「戻ってこない」ことがそんなに痛手だったとは。

私としては、荻田浩一がショー作家として残ってくれなかったほうがなぁ。

正直、劇作家は外部から呼べても、ショー作家は宝塚の専売特許だと思うんで。


ウエクミが本多劇場とか、無名の役者ばっかり集めてやる、とかなったら

おお、宝塚やめてやりたかったのねぇ!!

って思うんだけど、

記事を読んだ限り、本人の劇作家、演出家としての活動を見る限りでは


まだ自分探しの途中なのかな?


なんて思ってしまいました。


宝塚は新陳代謝あるから、きっとウエクミみたいな作家さんはまた出てくると思うし、

ウエクミ✕珠城りょうみたいなミラクルな奇跡が今後も起こることは必然なので楽しみに待とうかなー。

SNSでそんなにショックなんだぁ、と読んでて思ったのでついつい書いてしまいました。


なんだかんだ、みんなウエクミが好きなんだなぁ口笛