正月とは、
1年のほとんど忘れている
自分の血族の現状と、
末路について
あらためて
考えさせられる時間である。
共働きで、
実家に寄生して生きていると言っても過言ではない現状で
離れて住んでいる血族のことはあまり考えないが
目の前にいて会ってみると
「うぉ、まじか」ってなることはたくさんある。
パートナーが私に隠れて自分の両親にお年玉をあげていたことや
親族が 5千円の祈祷代を惜しんで七五三をやらないと言い出し、暗に(金を出せ)とほのめかされたこと
実は縁を切るほどの金銭問題が発生していて、あそこには年賀状は出すなといわれたことなど。
大なり小なり、まあ様々である。
私の祖父は、10歳のときに曽祖父を亡くした。
曽祖父の親族が10歳の祖父に「金をよこせ」とたかりやゆすりを繰り返し、
土地の権利をかってに奪ったり
蔵から金品を勝手に持っていかれたりと
大変な目にあった末、
曽祖母が、命がけで縁を切ったと言っていた。
戦前の話なので、親族のつながりが今よりは強かった時代なので
縁を切るなどというのはむずかしかっただろうなぁ。
だが、そこまでして守ろうと思ったものがあったんだなぁ。
そんなものは正直私にはなく、無縁の話だと思っていたが
そうでもないらしいことも突きつけられて、
気が滅入った。
何かを守ることは、
何かを新しく得ることよりも
難しいくせに
成果を感じられない
守るのをやめてしまえば一瞬で奪われて
二度と取り戻すことはできなくなる。
あの100年の時を耐えた家も
壊されればただの廃棄物であったように。
これからの人生を守るために費やすのか。
得られるかわからない新しいものを求めるために費やすのか
また数日したら忘れてしまうだろうけど
正月はそういうことを毎年考えている。