どこで諦めるのか | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

4回目の移植もだめで、不育症検査を進められた。

着床不全の不育症要因がわかればいいけど、わからなければただのお金の無駄かなと。

わからないことも多いと聞くし。


そして、私には40歳の壁が近づいていて、移植より検査より、採卵が必要。


OHSSは怖いけど、たくさん卵が取れれば移植もたくさんできるし、可能性は上がるんだろう。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

私は案外その理論信じている。

先生に、採卵をしたいと希望したら並行してやってくれるらしい。

融通がきくこのクリニックが好きだな、と思う。

最初に、「最高齢、50代ですから。頑張りましょう」といわれたのを思い出した。


最近、不妊治療を始めた頃のことを思い出す。

私は、26のとき、重度のPCOSで長いこと生理も起きず、甲状腺疾患、プロラクチン以上、肥満。と。

かなり高い確率で妊娠できないでしょうといわれた。


結婚してすぐに不妊治療専門のところに移って、1年近く卵子が育たず苦しい思いをした。

でも、どこか。

できなくてあたりまえだもんなって、思っていた。


覚悟を決めた不妊治療だったから、長引くこともできないことも覚悟の上で、

泣くことも、傷つくことも、不妊様になることも、恥を忍んで年金ぐらしの親にお金を貸してくれと頼むことも。

いろんな想定をして臨んでいた。


お金と時間をただ浪費していくだけの治療の期限は42歳だと決めた。

治療のために転院もしなければならないだろうと情報をゆっくり集めた。


26歳で子供は無理だよって言われてから立ち直れなくて、ようやく二人で生きていけそうなパートナーを見つけて、背中を押されて33歳で無理でもやってみようと思ったあの時は、今よりも悲壮な覚悟だったなあと思う。



やってみると、本当にボロボロだよね。


疲弊した心では、悲壮な覚悟をもつ勇気すら湧いてこないんだなぁと思う。


終わりは決めなければならない。

諦めることは敗北なのかなと、ふと思った。

何に負けてるのかはわからないけど。


同年代で子供なんてすぐできると思ってた、

なのに不妊治療しなきゃいけないなんて。

っていう人たちを見ると。

今から悩めばいいなんて、いいなぁ、なんて思ってしまうことがある。


適齢期に女として使い物にならないと突きつけられる10年がしんどかった。

結婚前に子供がほしいと言われたらどうしよう?と諦めてしまった。

悩みに年は関係ないと思うけど

これから40年悩むのと50年悩むのと、やはり時間的な重みが違う気がしてしまう。

こんなことを書くと、不妊治療をしている人を敵に回すのかなぁ。と思いながら。


疲れてるなぁ。