邦題に惹かれる、『脳内ニューヨーク』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『脳内ニューヨーク

【評価】☆☆(☆5つが最高)

【監督】チャーリー・カウフマン

【主演】フィリップ・シーモア・ホフマン

【製作年】2008年


【あらすじ】

 妻と娘に突然出て行かれ、激しく落ち込む劇作家のケイデンだが、上演中の舞台は好評を博し、有名な賞を獲得してしまう。巨額な賞金を手にしたケイデンは、巨大な倉庫にニューヨークを再現し、役者たちにニューヨークで生活する人々を演じさせようとする。そして演出家のケイデン自身を演じさせる役者までをキャスティングしてしまい、現実と演劇の境界線が曖昧になっていく。


【感想】

 チャーリー・カウフマンの名前を何となく覚えたのは、「マルコヴィッチの穴」を観たとき。何とも不思議なストーリーで、脚本家としてのチャーリー・カウフマンが日本国内でも注目されることになる映画だった。内容は確か、人形使いである主人公が、徐々に俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中を乗っ取っていくというものだった。


 「マルコヴィッチの穴」では、最初主演のジョン・キューザックを見ていたはずなのに、気がつくと視線の先にはマルコヴィッチの姿があった。映画を観ているうちに、微妙に視点をズラされる。それが快感にもなるし、不可解な印象を残すことにもなる。よくこんなストーリーが思いつくものだと、感じ入ってしまったのを覚えている。


 今回の監督作品「脳内ニューヨーク」でも、巧みに観る者の感覚をズラしていった。最初は劇作家の主人公を見ていたはずなのに、段々と主人公の姿が霞んでいく。目の前に姿はあるものの、少しずつ現実感が失われていった。キャラクターは統一されているようでもあり、どこか崩壊しているようでもあった。


 最初は分かり易い大通りの道を進んでいたのに、途中から脇道へと逸れ、更には迷路のような小道へと突き進んでいく。このドライブに付いていければ、思わぬ発見やいつもとは違った風景を目にすることが出来るのだろう。しかしチャーリー・カウフマンのスピードや技量に付いていけないと、自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。ストーリーに迷い易い映画だった。


 捻られているような、拗ねているようなストーリーに快感を覚えれば、きっと心地よく受け入れられる映画なのだろう。逆にストーリーから落っこちてしまうと、退屈を覚える。観る側もそれなりに想像力や思考を働かせなければならない。とにかく油断のならない厄介な映画ではある。ちょっと難しかったけど。