「命は有限」という事実を受け入れる。
言葉にしたら現実を帯びていて
何だか重く感じるかもしれないけれど
人生とっくに折り返して地点を過ぎた私
今までを振り返ってみると
子供の頃は
両親や祖父母から戦争の話を聞いたり
医療も今のように進んでいなかったので
お友達の親御さんのお葬式に参列したりすることも
何度かあった。
その都度
命の期限を考える機会があったと思う。
私自身
命懸けの出産の時もそうだったけれど
幼い頃
川やプールで溺れて助けてもらった経験から
私の命の期限は
そのタイミングではなかっただけ
「命は有限」を意識すると、
日常のありふれた瞬間でさえ、
ありがたくて貴重に感じられる。
期限があるからこそ、
命は輝くのだろうな。
父は今
パーキンソン病の薬も飲めなくなり
体も思うように動かない。
言葉もほとんどでなくなり
命の期限がもうすぐそこにある。
薬を飲んでいないので
意識ははっきりしているが
体は限界に近づいている。
「お父さんもう頑張らなくてもいいよ。
こちらのことは安心してね。」と思う気持ちと
まだ生きていてほしい。
会える人がいる幸せ
それを奪わないでという心の声とのせめぎあい。
母が
「(父のことを心底頼りにしているから)
お父さんは、死ねないのかもしれない。」と言う
「命は有限」という事実を受け入れる。
ふとそんなことを思った日。