第一話の続き

 

 

7月23日は

29年前の今日と同じ

日曜日だった。

 

帝王切開を来週7月26日に控えたドキドキの週末

 

夜11時過ぎ自宅で破水

 

ちょうどその日は、

夜中から未明にかけて

季節外れの台風が発生し

大阪に直撃かと言うニュースが流れていた

 

産婦人科に着いて

逆子の危険性の説明を受け

 

 

破水はしているけれど

お産はまだだから

とりあえず朝を待つことに

 

 

 

 

朝を待たずに

恐れていた事態に

 

 

 

赤ちゃんの片足が出てきてしまう

 

 

 

 

 

こうなった場合の

先生から聞かされていた詳細説明を

私は何度も思い出していた

 

 

「お尻や頭ではない細い部位から

出てきてしまうと

産道に引っかかる部位が多くなり

出産に時間がかかる」

 

「うまく出てくることができない」

 

 

「無理に引っ張り出すと

身体の障害が残る」

 

 

「運よく両足両手が出ても

上を向いていると

呼吸ができずに

首と脳が圧迫される」

 

 

「赤ちゃんも母体も

時間がかかると

負担が大きく衰弱する」

 

 

「急遽帝王切開に変更しないと

母子ともに危険な状態になる」

とのことだった

 

 

もう私には祈ることしかできなかった

 

 

ひたすら祈る

 

 

 

嵐が過ぎるまで

持ち堪えることができたら

大きな病院に搬送してもらえる

 

 

 

 

赤ちゃんも自分のことも

何があっても

絶対に私が守ると

自分に言い聞かせながら

 

 

 

 

でもその願いと期待は虚しく

 

 

 

容赦無く陣痛がおこり

私のお腹に巻いた赤ちゃんの心音を測る装置の波が

だんだん強くなったり消えかけたりと様子がおかしくなってきた。

 

 

病室には私と夫の二人だけ。

 

 

夫が慌ててナースコールをすると

アルバイトの女の子が来てくた。

 

 

 

でも赤ちゃんが片足から出てきたのを見て

腰をぬかしてしまう。

 

 

 

それでも

しっかりとした口調で

「先生を起こしてきます。」と

言って駆け出そうとしてくれた

 

 

が、

 

 

 

足がもつれて立てない。

 

 

 

四つ這いで必死に前に進んで

寝ている院長先生を呼びに行ってくれた。

 

 

 

 

外は嵐

 

救急車は出動できず

 

日曜日の真夜中ということもあり

 

先生や看護師さんたちが

病院に来ることができない

 

 

 

この古い病院にいるのは

病気の後遺症で体の自由がきかない院長先生

アルバイトの女の子

夫と私

 

 

この病院で私を含むこの4人のメンバーで

赤ちゃんを迎える覚悟をしなければ。

 

 


 

院長先生が、

もう片足、腕、肩が出るタイミング

最後に赤ちゃんが顎をひくタイミング

(上を向いてしまうと窒息する)を見計らい

アルバイトの子に私のお腹の上に

「今だ!乗って」と

赤ちゃんを押し出すように指示をする

 

 

 

プチパニック状態になり

戸惑っていた彼女も

このお産は、時間とタイミングとの勝負だと理解し

 

 

 

私は私で痛みよりも祈りが優先していたこともあり

お腹に乗られようが、大きな声は一度もあげずに

 

 

まな板の上の鯉🐟とは

こういう状態のことを言うのかと

変に冷静な部分も保っていた

 

 

 

2時間余りして

産声を聞いたときは

ホッとして全身の力が抜けた

 

 

産卵後、力尽きてしまう鮭🐟のことが

少しわかった気がした

 

 

私は、もしや

魚?うお座

 

 

 

赤ちゃんは無事だったんだと

わかった時

これまでの人生の中で一番幸せを感じた瞬間だった

 

 

 

涙が溢れそうだった

 

 

とその時

その赤ちゃんの産声と重なって

泣き声が聞こえてきた

 

 

アルバイトの女の子が

しゃくりあげて泣いていた

 

 

そのおかげで

私は涙が引っ込んでしまった

 

 

本当にありがとう

あなたは

私たちの命の恩人です

 

 

 

彼女はその後、こっそり娘の写真を撮って

「これは私の宝物💕」と言って

愛おしそうにしながら見せてくれた。

 

 

私にくれるのでは無いんだ😅

 

 

 

 

そして、寝ていたところを起こされたにもかかわらず

的確に指示をして、右手だけで

無事に取り上げてくださった

ベテラン院長先生も命の恩人です。

ありがとうございました。

 

 

 

そしてもう一人の命の恩人は、

嵐の前に私を近くの産婦人科に連れてきてくれ

赤ちゃんの心音を測る装置が壊れているのを

「僕が何とかします」と再び作動するようにしてくれた夫。

 

 

分娩台まで私を抱きかかえてきた後

部屋から締め出され、

そのまま廊下でひたすら待たされた夫。

 

 

 

想定外の展開に生きた心地がしなかった

でしょう。ありがとう。

 

 

 

これにて一件落着となれば

よかったのですが、、、

 

 

今回は、娘の誕生日に思い出すことを

書きたかったのでこの二話で一旦終わります。

 

 

 

この経験から

人は生きているのでは無い。

「生かされている」と思うようになりました。

 

 

 

そして

人は気づかぬうちに

見知らぬ誰かに助けられている。

 

 

生きている人たち、誰もが皆

知らぬ間に自分が誰かの支えになったり

助けになったり

支えてもらったり助けられたりしている

 

「生きている」ということは、奇跡の塊

 

奇跡的に生きている誰かに助けられ、

奇跡的に生きて誰かを助けている

 

 

 

 

今の私は意味があって「生かされている」

自分の肉体、命を使ってやることがあるから

生かされていると思っています。

 

 

娘の誕生日が近づいてくると

あの嵐の夜の出来事

生かされた命を思い出します。

 

 

 

私は初めての出産を控えて

「来週には赤ちゃんに会えるね」と言って

早く休もうねと床に入ったのが

ちょうど今くらいの時間です。

 

 

その後、夜11時には自宅で破水して

台風が来て、まさかの片足出産になることも

知らずに「お休みなさい」と言っていたのです。

 

 

 

人は、生かされている

 

 

生きている

それだけで奇跡

 

 

有難いこと

 

 

「命」よ

本当にありがとう

 

 

 

たくさんの人に支えれれ助けられ

ここまで来ることができました

 

 

感謝です

 

 

ありがとう

写真はイメージです