当然、自分が一番興味を持っているのは自分自身だし、最終目標が自分の幸せであることに変わりはない。
けれど、そんな自分自身というものは、他人から作られるものだと思う。
単純に他人の影響を受けるとか、学ぶということ以外にも。


善悪には特に意味はないけれど、俺は「性善説」に近い考えを持っていて、例えば人は他人の喜びを自分の喜びとして考えることができる能力が備わっている。

キレイ事ではなくて、自分が自分自身だけで得られる喜びや幸福は、たかが知れたものだということ。想定の範囲内でしかない。

自分以外の他人とは違う存在だし、絶対に理解し合うことはできない。
だから興味を持つようになるし、理解しようと努力するし、逆に興味を惹こうともする。

交流を重ねるうちに、相手が喜んでくれたらそれは自分の喜びにもなるし、その喜びは自分だけでは決して作り出せないもの。

時には自分を犠牲にしてまで相手の幸せを考えるという場合もある。人生論から言えば本末転倒な気もするけど、その気持ちは見たこともない力を発揮することができるし、もはやその想いそのものが美しい。

でも、それはあくまで「自分のため」だからこその話。


理屈をこねると少し味気ないけれど、本来は心で感じる感情的なものであり、理解はしていなくとも誰もが感じられるものだと思う。


最近は日々の仕事や現実的な金銭の問題に脅かされて、本当に大切なものを忘れかけていたような気がする。


例えば、あなたが友達に自分の宝物をあげました。すると、友達は喜んでくれたけど、宝物を失ったあなたは結果的に損をすることになりました。

でも、最終的に豊かになったのは、果たしてどちらでしょうか…


最近、本当に色々なことを想像してしると思う。
実現し得ないこと、未来のこと、自分の理想像などなど。
妄想とも言いますね。

ちなみに、プロフィール欄の趣味は「妄想」

そんな事ばかり考えている人は、もっと現実を見なさいと、指摘をよく受けていることでしょう。

しかし、例によって俺は悪いことだとは決して思わない。

いいイメージを持っていると、それが自分の理想となり目標となるので、それに近付こうと努力をする。

少し先のことに目を向けて想像してみると、今、自分が何をすべきなのか?という課題が見えてくる。


ただ、俺が本当に言いたいことは、そんなよくある優等生的な考えではなくて、もっと意味のないこと。

たった今すれ違った、全く知らない人とのこれからのストーリーを想い描いたり、誰も知らない未知の世界を想像したり、全てが消えていく瞬間を想像してみたり…

意味はないけれど、そんなあらゆる場面の空想が、こんなちっぽけな人間の小さな頭の中から生まれることは本当に凄いことだと思う。

本気になれば、無限の大宇宙すらもこの頭の中に造り上げてしまうことができる。

人は皆、素晴らしい能力を持っている。

現実の世界での損得を抜きにして、本気で色んなことを想像してみると、結構面白いと思いませんか?

そういった自由な発想が、逆に、現実の世界を豊かにする発明のきっかけとなるかもしれない。

これもまた、無意味な妄想の一つでした。


重たいテーマについて考え始めると、つい世の中を否定したり、ネガティブな方向に傾きがちだけど、自分はあくまで肯定的でポジティブなものを貫きたいと思います。

きっかけは、常に愚痴をこぼしたり、ネガティブな発言ばかりをする人が周りにいたから。

最初はそれが嫌で我慢してたから、自分も全てを否定的に考えるようになってしまっていたけど、見る角度を変えてみてからは、少しずつそれを受け入れられるようになってきた気がします。

我慢することと受け入れることは少し違うと思っていて、例えば
鼻をつまんで嫌いな物を無理矢理飲み込むのではなく、嫌いな物でもしっかりかみ砕いて飲み込むような感じ。もはや味がなくなるくらいまで。

人は誰にでも嫌いな人がいたり、辛いことがあったり、楽しく生きていく上で邪魔なものが確実に存在しています。

そんな自分の中で「異物」と感じるものの存在を認めて理解し、全てを受け入れられるようになりたい。

嫌いな物があるから好きな物があるし、辛いことがあるからより一層楽しめる
という考え方も勿論あるけれど、全てを受け入れて、全てを楽しむということはもはや究極だと思う。


理想的な事ばかりを想像しているように思われるかもしれないけれど、それはちょっとした考え方で可能になるという確信を持っています。
まだまだ途中だけれども…