Resonance


人はみんな、同じ気持ちを分かち合ったり、共感できると素直に嬉しいもの。

お互いに同じ趣味を持っていたり、好みが同じだったり、同じ価値観を持っていたりすると、共感できる機会は増えると思う。

ただ、それはごく普通のこと。

勿論、嬉しいことには違いないが、それはたまたま自分と似通っていたという偶然に過ぎない。


共鳴っていうのは、単なる共感や共有とはちょっと違っている。

物理的に言えば、ある物体の振動が、全く別の物体を同じ周波数で振動させること。

つまり、誰かの影響を受けて、自分もそれに反応し、表現することだと捉えている。

元々同じ物を持っていなくても、響き合うことができる。

人には、そんな能力が備わっていると思う。

先天的・後天的、偶然・必然、そういった難しいことを考える必要もなく。


また、物体と違うのは、共鳴を待っているだけでなく、自ら掴みにいけることだと思う。

発信源(発振源)が相手だとしたら、それをどう捉えるかは自分次第。

興味があれば何かを感じるだろうし、特に興味もなければ全く気にすることもない。


最終的には、相手に興味を持っているのか否かということ。

例えば、その人に興味を持っていたら、趣味、好み、考え方、あらゆるものに興味を持つ。
それが自分のものとは違っていても、新しいものとして取り入れようとするはず。

だから、好みが違うから等という理由で拒もうとするのは、本質的でないと考えてしまう。


共感できる喜びは、偶然その人が持ち合わせた共通のものだけで感じられるものではなく、共鳴することによって、あらゆるものに対して喜びを得ることができると思っている。

言葉で説明するのは難しいけれど、目に見えない得体の知れない振動によって伝わる喜びや感動。


偶然だけに頼ることなく、共鳴し合い、響き合いながら、多くの感動に触れていきたい。

言っても仕方のないことを歎くこと。

その言葉の通り、愚痴を言っても仕方がないし、何も生み出さない。だから好きになれない。

でも、他人に言うことで何故か自分が楽になったり、あるいは共通の話題で共感し合えるというメリットも確かにある。

俺はこの数年、本気の愚痴はこぼさない、他人を否定しない、常に前向きに、ということをモットーにしてきたけど、そろそろ息抜きが必要かな。

正直、ちょっと辛い。

勿論、考え方は常に前向きだけど。

「辛さ」について言えば、
まず体力的には、日頃から自分でストイックな生活を心掛けているから全く問題ない。

要は気持ちの問題。
何故辛いと感じるのか?

対象は上手くいかない人間関係だったり、他人からの叱責であったり、自分自身への不甲斐なさであったり、挙げればきりがないけれど、その根本を探ってみるとどれも不確定で不安定な自分自身の存在へと繋がっていると思う。

自分自身の存在価値を見出だせない状態、これが辛い。

本来であれば、その価値を決めるのは自分自身だし、その全てが正しいというのが原則。

でもそれを心から感じられるようになるのはなかなか難しいこと。

これが頭で考える論理と心で感じる感情とのギャップなのかもしれない。

だからそれを確かめるためという意味でも、自分以外の他人の存在が必要なんだと思う。
自分について周りから助言されたり、誉められたりすると安心するし、素直に嬉しいと感じるもの。

だから、素直に自分の辛さを表現することも悪いことではないと思う。

自分の存在を確認させてくれるのは他人だけど、元を正せば自分の存在を悩ませる=辛さの原因も他人にあるのだから。


だから今回だけは、素直に辛いと感じたい。


いくつになっても、どんなことでも、挑戦するのは素晴らしいことだと思います。

今までにない新しいことに挑戦した結果、成功したとしても例え失敗したとしても、得るものはとても大きいし、貴重なもの。

そういった経験が、よくある言い方をすれば人を成長させるのだけれど、俺は単純に人生に広がりをもたらすものだと思っている。

これまで創り上げてきた自分の「生命」に新しい色の絵の具を追加して、より一層鮮やかな色彩と奥行きを持たせるために。

歳を重ねる毎に色々なことに慣れてしまうから、時間が短くなるように感じるけれど、挑戦を続ける人はいつも新鮮な気持ちでいられるから、人生をいつまでも長く楽しめる、という説もありますね。


だから挑戦に悪い要素は一切ないと断言できるけれども、それは一種の非日常であり、新しい一歩を踏み出すためにはそれなりに勇気が必要です。

取るに足らない小さなことに対してでも。

今、自分が欲しいと願い続けているものは、取りも直さず、正にその勇気。


それを挑戦と捉えるか否かは自分次第で、自分は特に挑戦と思われる場面に頻繁に遭遇すると思っているから、恵まれている反面、どうしてもその勇気の必要性を感じてしまう。


失うものは何も無く、むしろ得るものの方が多い。
失敗への恐れからなのか?
頭で論理を組み立てても、なかなか実行できない、そんな葛藤がしばしば存在しています。


勇気を出すのは、なかなかエネルギーが要ること。
そのエネルギーを消耗するのは決して悪いことではなく、使うことに意義があるのだけれど、それが心労となり、疲弊してしまう人も、あるいはいるのかもしれない。


それは難しいこと?疲れること?面倒臭いこと?

いいえ、非常に魅力的で刺激的で素敵なことだと断言します。

自分自身のために