色々な物に恵まれ過ぎていて、それに慣れてしまったから今更ありがたさを感じるのは難しいように思う。

それどころか、現状で満たされていない人がほとんどで、際限なく多くの物を求めようとする。

思うに、この欲望が生まれるのも物事を相対的にしか見れない結果であって、周りの水準が上がるにつれて、自分もどんどん引き上げられて行ってしまっているような気がする。

美味しい物が食べたい、高い洋服を着たい、旅行へ行きたい、社会から認められたい、人に好かれたい…

全て己の欲望だけど、それって周りに流され過ぎているように思いませんか。

他人の影響は必ず受けるものだから、無くすことはできないけれど、そうやって自分を見つめ直すことで抑制することは可能だと思う。

本来は無欲。
今持っている欲望(強欲)は後からもたらされたもの。

だとすれば、自分の本質的な欲望って一体…


少し考え方を変えてみて、仮に全く無欲の人が存在したとすると、その人は明らかに周りと掛け離れていて、異質な存在になってしまうと思う。

本人はそれで満足だから何も問題はないけれど、一生「孤独」でいることになってしまう。


だからもし彼が他人と交流を持ちたい、大切な人を幸せにしたいと望んだならば、自分もごく自然に欲望を持たざるを得ない。

つまり、自分自身の欲望の中には、少なからず他人を想う気持ちが込められていると想像している。


ゴールは勿論、自分の幸福。

自分の幸福=他人の幸福
他人を幸福にするための己の欲望。


そういった方程式をたてると、結局は欲望が自分のためであることには変わりないのか…

最近、物覚えが悪くなったなぁと思う。

色々な情報が溢れ過ぎていて、全部に目を通しているつもりではいるけれど、それを記憶して後で呼び起こすのはなかなか難しい。

他人から言われて、ああそんな事もあったっけ、と思う程度。

良い事も悪い事も大きな事も小さな事も、結局は忘れ去られてしまう寂しさを時々感じている。


でも、忘れなければならないことも世の中には沢山存在している。


時間が解決してくれる

という言い回しが昔からあるけれど、これは物理的には何も変化はしていないけれど、時間の経過に伴い心情が変化する、則ち忘れることに起因するものと個人的に解釈している。

辛いこと、悲しいこと、悔やまれること、そんな忘れ去りたいことを、誰もが抱えていると思う。

でも時間が経てば必ず忘れる。

勿論、いつ何が起こったかは覚えているだろうけれど、当時の情景や自分の感情を細かく100%覚えていることはないと思う。

仮に全てを記憶していて、後に蘇らせることができるとすれば、大きな喜びを何度も味わうことができる反面、大きな悲しみに苛まれ続け、もはや生きていくことはできないのではないだろうか?
と想像している。

過去の足枷が外れることで、ようやく未来に進めるのだと思う。


今はまだ多くの知識や教養を記憶し、身に付けることが最優先。

でも、忘れることも大切な能力。

記憶しては忘れ、日々その繰り返し。


そしていつかは、喜びも悲しみも楽しさも不安も恐怖もその全てが、はっきりとした形で存在する「記憶」ではなく、ぼんやりしているけど美しい「思い出」となって蘇ってくるのだと思う。


あまり宗教に興味はないけれど、自分が尊敬するある人の影響で

「神は己にあり」という考え方には非常に興味を持っている。


困った時の神頼み

人は誰も不安や恐怖から逃げ出したくて、ある絶対的な存在を崇め、そして助けを乞う。

だから宗教というのは必要で、実際に道が開けた人も多いのではないだろうかと思う。

そして、宗教というのは色々なかたちで各国各地に無数に存在している。

でも、その「絶対的な存在」が複数存在しているということには、少なからず矛盾を感じてしまう。


同じ神を崇拝できるうちは、仲間と共感することができて、より想いも強くなると思う。

しかし、もしそれを脅かすような別の神が存在していて、それを崇拝する多くの人がいるとしたら…

その2つがどこかで交わってしまった場合、争いは避けられないような気がする。


だから、あえて仲間を作らず、共感せず、自分ひとりのための神の存在を信じる。

言い換えれば、絶対的なものは自分だけだし、信じられるものは自分だけということ。

但し、自分の好き勝手に自由に物事を考えていいという訳ではなく、そこには自分を取り巻く

多くの人達が存在していて、当然それぞれに絶対的な神が存在している。

自分を絶対的な存在と認めながらも、他の存在を認識しなければならない。


自分は生きたいように生きる権利がある。もちろん、自分以外の他人も同じ権利を持っている。


人間は十人十色であり、それぞれ違う考え方を持っている。

結局は分かり合うことはできないという、悲しい前提に基づく考えになってしまうけれども、

その前提があるからこそ、争いは避けることができるのではないかと思う。


他に興味を持ったならば、交流を持って影響し合うこともいいと思う。

自分と合わないのであれば、それはそういうものとして認めなければならない。

例え嫌いで邪魔であったとしても、排除したり、いい様に支配することは決してできない。

人それぞれが全て絶対的な存在なのだから。


そういう時は、己の神に断りを入れて、ちょっと他人の神を覗いてみる。

すると、今までに良くも悪くも見たことない世界が見えてきて、結構面白いかも。

もしかしたら、自分がそちらへ引きずり込まれてしまうかもしれない。

流れに身を任せるのか? それとも拒絶するのか? 一つの選択を迫られる。

生きている限り、様々な状況に遭遇する。

そして、無数の選択肢の中から一つを選び、決めなければならない。


正解は一体、何なのだろうか?

その答えは、自分の神しか知らない。