【戦死した身内をたどる旅】 その2  レイテ島 | いまもとしげきのブログ

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第66回 全日本社会人ボクシング選手権 ヘビー級 優勝
平成26年度 神戸市スポーツ表彰
平成26年度 兵庫県スポーツ優秀選手
獣医師・防災士・大学非常勤講師・日本サッカー協会公認D級コーチ

1944年10月20日

アメリカ軍がレイテ島上陸
第16師団は約2万名の兵力。しかし、わずか1時間の戦闘で奥地へと後退。

第16師団他の日本軍部隊は、内陸のブラウエン飛行場周辺やダガミなどに主防衛線を展開。
タクロバンなどの海岸地帯の飛行場の多くはアメリカ軍占領下となる。
アメリカ軍もほとんど水際での抵抗を受けなかったと記録

10月21日以降、アメリカ軍は戦車や砲兵の支援の下、内陸への侵攻を開始。

第16師団以下の日本軍は飛行場周辺などに陣地を築き抵抗。
日本軍の夜襲が成功することもあったが、第16師団の第20・第33連隊長が23日に相次いで戦死するなど組織的戦力を失っていった。

24日午後には戦車およそ40両を先頭とするアメリカ軍2個大隊が、海岸より西へ10kmのブラウエン地区へ進入し、翌25日にはドラッグ方面の日本軍部隊は全滅した。

1944年の11月20日

第16師団兵力として約3800名と記録されている。


最終的には、

第16師団(サマール島含む)
  • 参加者 18,608
  • 戦死者 18,028


時男さんが所属した部隊は、生存兵ゼロでした。。。

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もうすぐ行くよ。