「自分の中からパッションを感じたい。自分を生きてる!っていう感覚を味わいたい。何か目的に向かって真っ直ぐな自分でいたい」

 

っていう種類の相談

とっても多いです。

 

 

ぶっちゃけ

 

 

いやいや

今すぐできるやん( ´∀`)

 

 

 

っていう案件なんだけど

 

 

でもこの「私も自分を生きたい!」って強く願ったこの気持ち、私も覚えがあります。

 

 

でもそれは

自分の生き方を自分で決めることであり

それは「何を仕事にしているか」というのは

あまり関係ありません。

 

私自身、自分を生きているように見られることが多いけれど

そうはいってもどこか「このままじゃダメだ」と焦燥感にかられていたり

自信が持てなくて、無理やり不安なまま行動するのに疲れてしまったり

やる気が出なかったり

 

そんなことは今でもあります。

 

 

 

でもそれでもいいんじゃないかな。

 

揺れながら自分の本心と向き合えば。

自分と対話していれば。

 

 

その積み重ねこそが自分を生きるということだと思うのです。

 

 

 

 

 

・・・・・て な こ と を よ く 話 す ん だ け ど

 

 

 

 

 

 

 

「自分の中からパッションを感じたい。自分を生きてる!っていう感覚を味わいたい。何か目的に向かって真っ直ぐな自分でいたい」

っていう人にイマイチ届かないなぁと思うことが何回もありまして(ノ∀`)

 

 

 

このすれ違いはなんなんだろうと、考察してみました笑

 

 

 

「自分の中からパッションを感じたい。自分を生きてる!っていう感覚を味わいたい。何か目的に向かって真っ直ぐな自分でいたい」

 

そう願いながら、自分は出来ないと思う時の心理ってなんだろう?って観察してきたんだけど

 

 

 

簡単に言うと

「人と比べて自分は出来ていない」っていう

自分に対する基準値を高くしているパターンが多いです。

 

 

いわゆる

 

 

「私なんて大したことないから何をやっても上手くいきっこない」ってやつ

 

 

こうなりたい!って言っているのにもかかわらず

いつまで経っても同じ場所に居る時って

根底で「私なんて大したことない」って思っているんですよ。

 

 

 

 

私の考えていることなんて大したことない

 

私の感じたことなんて大したことない

 

私の存在なんて大したことない

 

私のやることなんて大したことない

 

 

 

 

だ か ら 自 分 に ま っ す ぐ に 情 熱 を も っ て 生 き ら れ な い ん で す。

 

 

 

って決めている。

 

 

「 大 し た こ と な い か ら(私のやることに意味も意義もないから) で き な い ん で す 」って。

 

もちろん無意識に。

 

大したことないことと、情熱をもって生きることは

本来因果関係ないのになぜか繋げちゃったりするんですよね。

 

 

 

しかもこれ、ものすごい勘違いなんですよ。

 

勘違いというのは

「大したことないなんて勘違いしないで!あなたは本当は素晴らしいはず!」

という意味ではありません。

 

 

こういう時は

 

「私は大したことない」んじゃなくって

「私が自分のことを大したことないと思っている」のです。

 

 

 

 

 

「私は大したことない」って

 

これどういうことかというと

 

性質・感情・役割と「私」を一体化しているんです。

 

レッテルを貼って「私はこういう人間です」っていう状態。

 

 

 

だからネガティブな感情ドラマにあっけなく呑み込まれ、振り回される。

 

 

 

 

そうではなく

 

 

性質・感情・役割と「私」を分ける。

 

 

 

私は自分の考えを大したことないと思っているんだな。

 

私は自分の感じたことを大したことないと思っているんだな。

 

私は自分の存在を大したことないと思っているんだな。

 

私は自分のやることを大したことないと思っているんだな。

 

 

・・・って自分と分けたら

 

 

 

じゃあ本当は、どう思いたい?どう感じたい?どう在りたい?

 

 

そうやって「私」が性質や感情、役割を創る側になるのです。

 

 

 

 

 

そしてこの「私」が性質や感情、役割を創るというのは

 

自分のやっていることを「大したことない」と思うことを辞めて、「素晴らしいと思うことにする」じゃない。

 

 

 

下げるのをやめて、上げていくっていう外側からの評価をやろうとすると

永遠に終わらないラットレースに巻き込まれますよ。

 

 

 

 

 

そうではなく

自分の内側にもぐって見出していくことなんです。

 

 

 

 

 

例えば

 

 

 

部屋の窓を開ける時

 

ご近所さんとご挨拶を交わす時

洋服を着る時

例えばそんな小さな日々の自分の所作や行動に、丁寧に心を尽くしてみる。

 

 

言葉に表現できない、ハッとした小さな新鮮さや静寂、喜びに触れているその瞬間こそが

 

 

自ら感じ

自ら見出している時。

 

 

 

そこには「これは大したことない」「これはすごい、素晴らしい」なんていう概念は存在しない。

 

 

 

そうやって見出し見出ししていくことを重ねていくうちに

 

自分の行動が創られていくんです。

 

 

 

○○をするから情熱が湧き上がったり、まっすぐにエネルギーを注げるのではありません。

 

一つ一つに対して、心を尽くし、感じ、心が動くものを見出した先に行動が創られていくのです。

 

 

 

それがいつしか結果

 

 

「自分の中からパッションを感じたい。自分を生きてる!っていう感覚を味わいたい。何か目的に向かって真っ直ぐな自分」

 

 

になるのです。

 

 

いつだって内側が先!です。

 

 

 

 

だからね

 

自分に対して

 

何をすれば熱中できるんだろう?

どれが私の使命なんだろう?

という質問を投げかけること自体が

相当ズレてます。

 

 

 

 

 

何だってやってみればいいのです。

 

 

まずは心を尽くす。感性を開く。

 

そのプロセスを楽しむことが、自分を生きるというプロセスになるのだから。

 

 

 

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