ベトナムと中国の関係が更にキナ臭さを増しています、それも何とも皮肉なタイミングで。

 それは中国の石油会社が南シナ海での石油資源掘削活動を始めたことから始まりました。同地は西沙諸島と呼ばれるエリアで、中国が実効支配をしつつベトナム、そして台湾も領有権を主張しているエリアです。その掘削作業の流れを阻止しようとしたベトナム側との小競り合いから、今月3,4日にベトナム漁業監視船が中国船に「攻撃された」として、6名が負傷。その不正を訴える形でベトナム外務省が7日に記者会見を開きました。中国側も反論しているようで、真相はわかりませんが大きな外交問題に発展していることは確か。ここではベトナム側から見た反応をご紹介します。

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5月8日付TuoiTre紙は中越艦船衝突のニュース、でも上に小さく追いやられた
ディエンビエンフー戦勝記念行事の見出しも。

【激しく抗議する政府、メディア】
 それを受けてここ数日、特に今日のベトナムメディアは一気にこの事態に関しての報道が超加速、ネットメディアも今朝から今に至るまでこの南シナ海での「中越衝突」報道がトップ、紙媒体でも例えば愛読紙TuoiTreでは1-4面をほぼ全部使ってこの事態を伝えています。そういったメディアの報道では海上警察副長官の「我慢にも限界がある」といった激しい言葉が大きく見出しに踊るなど、怒りを露わにする報道が相次いでいます。

 これを受けて、ベトナム株式市場は何と2001年以来最も激しい下げ幅を記録、国家証券委員会主席のVũ Bằngは「投資家は冷静になるべき」とベトナムエクスプレスとの取材で訴えるなど、影響は経済面にも直で現れ始めています。

【危機感を募らせる市民の声】
 一般の人たちはと言えば「またかぁ」といった反応。ただ深刻さはこれまで以上なのか、自嘲的なジョーク交じりで「こりゃあ、戦う準備しなきゃいけないなあ」「やっぱ(人口差があるから)1人で15人相手じゃあ辛いよなあ」なんてことを言う人すら。もちろん現実的にすぐにそこまでエスカレートすることはないでしょうが、毎回のように繰り返される小競り合いに、危機感を募らせるベトナムの人が多いのは現実でしょう。

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ディエンビエンフーの戦いの戦場となったA1の丘。
本来5月7日はこの勝利を祝う一日だったのに…。

【考えたこと:ディエンビエンフーの戦いと南シナ海の皮肉なバッティング】
 このタイミングが更に皮肉なのは、ベトナム外務省の記者会見が行われた5月7日はあの有名な「ディエンビエンフーの戦い」戦勝記念日で、昨日はそのディエンビエンフー市で共産党総書記、国家主席、更には歴代のリーダー達も集まって偉大なる闘争での勝利をお祝いしている矢先のことだったからです。本当はこの日の新聞は「ベトナム共産党は頑張ったなあ」という歴史を振り返る構成に(少なくともベトナム共産党のリーダーは)したかったはず。それが逆に何となく「中国にやられた」的ニュースにがっつり紙面を取られてしまったのですから、怒りは相当なものではないでしょうか。政府関係者の発言が一段と激しいのは、こうしたタイミングの影響も少なからずあると思われます。

 この時期を狙ったかどうかはわかりませんし、そうだとしたら相当なもんだとは思いますが、本当は「実はディエンビエンフーの戦いでは中国人軍事顧問の支援もありまして・・・」的な中越関係の「良いニュース」も出し得たはずの機会は、100%吹っ飛んだでしょう(実際に英字ニュースでは、そういった中国軍事顧問団に感謝するエピソードも先月には紹介されていました)。今年は年初から嫌なニュースが一段と多い中越関係ですが、実際に負傷者が出る事態から、今後の進展は更なる悪化も懸念されます。
 4月18日、ベトナム北部クアンニン省の中国国境で起きた中国からの不法入境者拘束と、彼らによる発砲事件は、日本語のメディアでも多少報じられていたのでご存知の方も多いかもしれません。また、一部メディアやツイッターでは(釣りで!?)「誤訳」を持って「国境で交戦」なんてタイトルまで出ていたので、中越関係は複雑らしいという先入観から両国間で何かあったのかと思った方もいるかもしれません。でも、その後の事件の処理のされ方からは、むしろ両国の「協力関係」の方が滲み出る結果となっています。それはどういうことでしょうか?

【国境と課題を有する両国】

 事件を簡単に振り返ります と、4月18日早朝4時過ぎ、ベトナム北部・クアンニン省の中国国境BắcPhongSinhで、16人の中国人グループが違法入境し捕まったベトナム側に拘束されました。取り調べを行っていたところ同日12時頃、同グループ側が国境警備隊の銃を奪って発砲し、脱出を試みましたが、結果取り押さえられた模様。混乱の中で7人が死亡、うち2人はベトナム側国境警備隊員で、5名は中国人グループ側。中には抵抗の末、事務棟の建物から飛び降りて自殺したものもいたそうです。

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事件のあったBac Phong Sinhはこのあたり。右下Mong Caiでも同日に不法出入国騒ぎが。

 ちなみにこの国境は両国間の「National Border」で、ベトナム・中国人以外も通れる「International Border」ではないため、近年でこそ両国間を歩いて渡るようなバックパッカーもいる中、ほとんど知られていない国境と言えます。広い国境を共有する両国、我々外国人がたまに超えられる友誼関などとは全く違う世界がここにはあります。

【「中国人」が誰かということ】

 しかし、事件の性質は「中国人」グループがどうやら新疆方面から来たウィグル族らしいということから一変します。ベトナムの領土内でベトナム警備隊にも死者が出るという、明らかなベトナムにおける事件にもかかわらず、ベトナム当局は何と「事件同日午後に」11人(内子供2人)と5人の遺体を中国側に引き渡してしまったのです。その超速攻の対応に「なぜそんな拙速に?ベトナムの主権って一体・・・?」とベトナムからも疑問の声が一部では上がりました。確かに取り調べ中に銃を取って発砲してしまったことは大きな刑事事件ですが、もし彼らが元々政治難民だとしたら、その保護はそれこそ大きな国際問題です。

bacphongsinh

 その「中国人」グループのアイデンティティーにヒントを与えそうな上記写真は、事件発生当初どのベトナムネットメディアも使っていたのですが、同日夕方からパッタリ使われなくなりました。中国からの「お願い」があったのではないかと、そこは推測してしまうところ。事件翌日には中国からも命を失ったベトナム国境警備隊に弔問団が訪れ、ベトナムでのメディアはそれ以降「国境を守った烈士たち」への哀悼の念、という論調の報道が主となっています。

【考えたこと:独裁国家同士の困った時はお互い様?】
 この速やかな対応は「ベトナムは中国に屈したか?」とみるよりは、むしろこの共産党独裁国同士の「困った時はお互い様」合意ではないかと感じます。中国ほどの量ではないにしろ、ベトナムでも少数民族との摩擦は、特に国境地域においてたまに起きており、近年では2011年に、これまた中国国境ともそれほど遠くないベトナム北西部でHmong族の暴動が起きています(以前の記事はこちら参照)。こういった少数民族で当局より圧力を受けた人たちがベトナムから国境を越えて中国側に行くことだって・・・、大いにあり得ます。

 この事件後の続報 としても、21人の「中国人」(詳細不明)が、何とこの事件と同じ日の夜に、今度はクアンニン省モンカイから不法入国しようとして阻止されているニュースがベトナムで報道されています。3月にはタイで100人を超えるウィグル人が、そして同月には200人を超えるウィグル人がマレーシアで拘束されているというニュースもあり、これらの関連性も注目に値します。中国国内の事情がウィグルの人を追い立てているのか、周辺各国への中国への「要請」が強まっているのか・・・。しれっと過ぎ去ろうとしているこの事件ですが、大きな国際問題になっていなそうなのが不思議なくらい、色々な要素を含んでいると思います。
 ちょっと野暮用が続きなかなか更新出来ていなかったこのブログ、しばらく書いていないと復活には力がいるので、とりあえず好きなサッカーの話題から。

 先日4月13日、我らが湘南ベルマーレの開幕7連勝に酔いしれていると、ベトナムサッカー通の友人からメールが。「今晩はプレミアリーグ、リバプールVSマンチェスターシティーの上位対決ですね。ベトナムにもリバプールサポーターが集うカフェがあるそうですよ。」プレミアリーグはたまに見る程度のにわかファンですが、ウルグアイ代表のスアレスが大活躍しているリバプールの今年の躍進ぶりは気になっていたところ。皆がビールやコーヒー飲みながらサッカーを見るBongda(サッカー)カフェは行ったことがあったが、サポーターが大集合するところにはまだ行ったことがないなあ・・・。

 そこは、ベルマーレ開幕7連勝(しつこい!?)で勢いづいたサッカー景気にも乗せられて、実際に行ってみることにしました。FBページにある住所を頼って行ったけど、まあ住宅地のずいぶん奥の方に会ってわかりにくい、わかりにくい。タクシー運転手と迷うこと10分ほど。

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 やっとたどり着いたこのKopCafe(Kopとはリバプールファンのことを指します→ご参照)そこは、カフェ、というよりはもう普通の民家開放しての「パブリックビューイング」。とにかくワンドリンク(コーラ2万ドン/本)頼んで、ベトナム名物のプラスチック椅子をもらって、後はとにかく試合を観て盛り上がるのみ!

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 試合は前半2点リードも、後半マンチェスターに追いつかれるというスリリングな展開。でも最後33分にコウチーニョのゴールで勝ち越したリバプールが見事な勝利!勝利の瞬間は↓のような大熱狂!



 イギリスから遥か彼方のこのベトナムの地で、200人近くにもなろうというハノイ市民がサッカーカフェ(という名のほぼ民家)に、パッチものではあろうけどリバプールのユニフォームを来て大集合し、選手のプレーに一喜一憂、「Em oi, co len!」とか、遥か彼方で聞こえない上に、ベトナム語でリバプールプレーヤーを鼓舞する風景は何とも不思議な面白さが有りました。嬉しくなるとともに、これだけサッカー好きな国なのに、自国のサッカーは最近も賭博騒ぎがあったりと、自国チームを応援しづらい環境は本当はもっと変わるべきなんだろうなあとも。

 ちなみに、これだけ盛り上がっていたリバプールサポーターも他のプレミアリーグチームよりも「サポーター少数派」とのこと。次は是非(実はこちらも嫌いではない)マンチェスターシティーサポーターの集うカフェに行ってみようと、家路についた、サッカー的には非常に充実した日曜日の夜でした♪
 2月17日、今日は35年前の1979年に中越戦争が勃発した日です。日本では、鄧小平がベトナムを「懲罰する」として発動した戦争であると知られています。戦争は約1か月と限定的ではありましたが、その後ベトナム北部各省は中国に対する「国防」が最優先され、経済発展に必要な投資ができなくなるなど、フランス、アメリカとのいわゆるベトナム戦争とは違った、後に尾を引く、そして現在に至ってもベトナム人の心に大きな影を落とす戦いとなりました。戦争の詳述は他に譲りまして、今、この戦争がどう語られているか、そしてどう語られていないかについて、ここでは触れてみたいと思います。

(*昨日(2月17日)付で記事アップした際に、事実誤認があった点を2月18日付で訂正しました。)

【叫ぶメディア:35周年を伝えるベトナムメディア】
 「中国に対して警戒心たっぷり」「中国嫌い」などと良く言われるベトナム、中国の「侵略」を「撃退」したこういった記念日はさぞ広く祝われているのだろうと思われるかもしれませんが、ことはそう簡単でもありません。基本的に中越戦争はセンシティブな問題として扱われています。昨日の日曜日にも反中デモがあったというニュースがありましたが、あくまで小規模な範囲の中で許されているものです。

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16日TuoiTre紙一面。幼い兄弟をおぶって戦火を逃げる少女の姿が印象的です

 しかし、ベトナムのメディアはかなり飛ばしています。比較的ストレートな物言いで知られるTuoiTre紙は一日前の16日紙面には、戦火を逃げる幼い姉妹の写真を大きく載せて、同戦争の後世への伝え方、教科書での扱いに関する歴史家へのインタビュー記事を載せました。その反面、記念日当日の今日は紙面は急に大人しかったのですが、ネットメディアは今日もガチで中越戦争を扱う記事が多数。その多くは、公式行事などでこの記念日を大々的には取り上げない政府の態度に対して不満を示すかのような、防衛戦の意義を訴えたり、そこに参加した人々などへのインタビューをするもの。ベトナムエクスプレスなどは中国軍が侵入したベトナム北部国境6箇所のポイントを地図上に表し、各ポイントでの戦況を解説するページまで作り、ビジュアル的にもかなりのわかり易さです。

【黙る教科書:ベトナムの歴史教科書は中越戦争をどう語っているか?】
 活発に報道されるメディア紙上とは対照的なのが、歴史を伝えるという意味では非常に重要な、学校で使う歴史教科書。ここでの中越戦争の扱いは、政府公式見解という意味合いもあるため大変微妙です。ベトナムでの歴史教科書を買おうと思い本屋に行くと、現代史まできちんと網羅しているのは「12年生」、つまり高校3年生の教科書です。これを見ると中越戦争に関しては僅か1パラグラフだけで、その戦後への影響に比べると記述は非常に少ないものです。ベトナム戦争戦勝の記述の後は、現代における国家建設、経済発展と言った調子で外交マターはほとんど触れられていません。

 もうちょっとマニアックに見ていくと、同じ棚には同学年の歴史教科書「詳細版」があります。これは普通の教科書が所謂「必修」であるのに対して、より深く知りたい学生向けの自習用「参考書」という位置づけです。こちらも同様にわずか1パラグラフですが、「太字小見出し」を付けてもう少し強調しつつ、以下のように中越戦争についての記述がありました。

「カンボジアにおけるポルポト政権の反ベトナム政策に対し、一部の中国指導者は支持を示した。彼らは国境地域を煽動する、所謂「華僑迫害」(*)問題の濫用、支援の停止、(中国人)専門家の帰国など、ベトナムを困難に陥れ、両国の友好関係に傷をつけるような行動を取った。更に深刻なのは、1979年2月17日、中国は32師団を投入し、ベトナム北部国境をモンカイからフォントーまで1千キロを超える国境線で攻撃を仕掛けてきた。祖国を守るため、我が軍隊、特に国境6省の辺境防衛軍は勇敢に戦った。同年3月18日までに中国はその軍隊を引き上げた。」
(*)ベトナム戦争後、中越関係悪化に伴い、ベトナム政府が国内華人に対し締め付けを強めた問題)

 歴史学者のDương Trung QuốcはVNexpressのインタビューに答え、中越戦争は「侵略戦争に抵抗した歴史であり誇り」で、「抗仏、抗米のベトナム戦争を展示したホーチミン市の戦争証跡博物館は国内外の観光客を呼んでいるのに、なぜ1979年の中国との戦争は例外になるのか?」と述べた上で、教科書にどのようにこの歴史を載せたら良いかについて語っています。「歴史学者は教科書が戦争の歴史事実を隠さないようにしてほしいと願っているし、それと同時に民族間、国家間の敵対心をやたらに刺激して欲しくないとも思っている」。上記の必修教科書と「参考版」教科書の微妙な差じゃないですが、ベトナム政府の方針も有り「もっと書きたいが書けない」という微妙なバランスが読み取れるようで、また「どう載せていいか結論がでない」という苦悩も垣間見れて、非常に考えさせられます。
 (ちなみにですが、彼の名前の「Trung Quốc」は正にベトナム語で「中国」という意味。恐らく60歳前後の彼が生まれた頃には、子供に「中国」と名を付けられるほど、親密な関係の頃もあったわけですね。)

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ベトナム側の中越国境にて、両国友好を描いたもの。
このように共に歴史を語るにはまだ時間がかかりそう…。

【中国からの圧力なのか、愛国主義コントロールの問題か?】
 この戦争をどう扱うか、特に歴史教科書でどう扱うかは、当然中国との外交問題にも配慮しているでしょう。35周年に関しても「中国が記念行事を行わないようベトナムに圧力をかけている」 という噂も流れ、BBC Vietnameseではオレゴン大学にいるベトナム人研究者の意見として「圧力の有無はわからないが、ベトナム政府が中国に配慮して、或いは自国の中国に対する民族主義が高まり過ぎないように抑えているのは確か」と語っています。中国からのプレッシャーというのは想像されるところですが、民族主義の高まりが収拾つかなくならないようにというのは、まるで反日デモを時に抑えにかかる中国政府を想起させるかのようです。

 周りのベトナム人に聞くと、皆が知っているこの中国との戦いの歴史。結局教科書では多く語られていなくても、先生たちが自らの体験談などで色々教えてくれたと言います。ましてや、近年の中越間の領土問題などをきっけに、ネットを少し紐解けば当然この時期の戦争にも行き当たり、その事実を隠すことはできないはず。それでも教科書にはまだ多くを書けないという状況には、隣国間のパワーバランス、そして今もリアルに存在する中国との領土問題など、この歴史上の事実と現実とのあまりの距離の近さが強く関係しているのでしょう。

 昨年末には西沙、南沙諸島の問題は教科書で取り上げるべきとズン首相が指示したとの報道もありました。今後方向性としては記述が多くなる可能性もなきにしもあらず。この戦争がベトナム歴史教科書で詳しく語られる日はいつになるのでしょうか。
 先月上旬、ベトナムにU-19日本代表も訪れて行われたNutifoodカップは、ホーチミン市で非常に盛り上がりを見せました。その理由は(まあ日本の南野とかもかなり取り上げられてはいましたが)なんといっても地元期待の星、ベトナムサッカーの「黄金世代」と言われるベトナムのU-19代表です。同チームは先の大会でオーストラリア相手に5-1で大勝するなど、これまでボロクソに言われているベトナム代表の中で「将来の期待の星」とされています。しかし、「U-19は誰のものか」、という日本では聞かない代表チームの「所有権争い」が今後の成長に一つの波乱要因となっています。

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熱心に試合を見つめるDoanNguyenDuc氏(VietnamNetより)

 そのチームをここまでに育てた最大の功労者と言われるのが、ベトナムサッカー連盟(VFF)、ではなくてベトナムHoangAnhGiaLaiグループの会長であるDoanNguyenDuc氏。彼は成功した実業家で、ベトナム有数の大金持ちです。昨年末段階の株式長者番付ではベトナムで第2位の約3.5億ドル株式資産を誇りますし、その他資産を合わせれば幾ら持っていることやら・・・。その金持ちぶりもベトナムでは結構なもんですが、彼のサッカーへの熱の入れようは更にスゴく、彼の会社の本社かつ会社所在地でもあるGiaLai省Pleiku市には2007年にHAGL-Arsenalサッカーアカデミーという施設を作り、イギリスのArsenalと提携して選手育成にあたっています。ベトナム中から将来性のある若手を集め、学校も作りながら寄宿舎制で、全ての時間をサッカーに費やすことができる環境を作っています。学費、生活費などもほとんど見てもらえるということで、数多くの応募者があるそうですが、ベトナム人コーチを選手選抜に全く干渉させず、外国人コーチなどの意見で選抜するという(ベトナムで超ありがちな金・コネ合格を避ける)厳格ぶり。その成果が出始めた世代が現在注目の「U-19」なのです。実際ベトナムU-19代表メンバー22人中17人が同アカデミー出身ということで、これではDuc氏が「オレのもの」的になるのも無理はありません。

 昨年12月にかけてミャンマーで行われたSEAGames、東南アジアのオリンピックのようなスポーツ大会で、オリンピックなどでは苦戦のベトナムでは「オレたちもメダルが取れる」と結構盛り上がる大会です。注目はやはりサッカーで、U-23チームが出場したのですが、ここに「Duc氏の(とメディアも呼ぶ)U-19メンバーが入るか」ということが話題になりました。当初彼の答えは「No!」彼はVFFの選手管理に全くの不信感を抱いており、選手を預けたくないということになったのです。最終的には選手を出すこと自体には同意したものの、選手の管理は完全にはVFFには任せないという方針。結果的にU-19メンバーの参加はほぼ無しで戦ったベトナムは、期待を大きく裏切り予選リーグで敗退。これでU-19世代への期待は更に高まり、Duc氏への注目度も高まります。

 ベトナムのサッカーファンには、ある種の先見の明を見せて先行投資をし、今の黄金世代をここまでに育てた彼の手腕に賛同する人が多いです。ただその一方、この「代表チームはオレのもの」ぶりがどこまで許されるかには賛否両論も。先日のNutifoodカップで同代表は3試合を戦い、U-19トッテナムやU-19ローマには善戦したのですが、最終ローマ戦でPKを許すファールを犯したソンラム・ゲアンのDF、VanKhanh選手を「罰として」これから実施する海外遠征・キャンプに連れて行かないという決定が有りました。これには「若い選手相手にそんな根拠で遠征可否を決めるとはヒドイ」「やっぱり彼はアカデミー出身じゃないから差別したのでは?」と疑問が上がっています(以下の「U-19は誰のものか?」というベトナム紙記事参照)。

 これからベトナムU-19代表はヨーロッパで7週間、そしてワールドカップによるJリーグ中断期間には日本でも一ヶ月ほどキャンプを張るそうです。その費用の100億ドン(約5000万円)は完全にDuc氏が出すとのこと。相変わらずの太っ腹、「オレのもの」ぶりです。この日本キャンプも、先日のNutifoodカップ中に彼と日本代表監督が話して即決したとの話も。これでは本当にベトナムサッカー連盟が主導するという体裁がありません。今後Vリーグの各クラブに出て行くであろう若いベトナムの期待の星たちを巡って、Duc氏とVFFの対立はどう展開していくのでしょうか。

 ただそれはともかく、日本代表には大敗してしまいましたが、未来のベトナムサッカーを担う世代ではあるのは確実なU-19、将来が楽しみなサッカーを見せていました。日本に来た際にはJチームとの練習試合なども企画されるでしょうから、その時には皆さんも生で観戦されたら如何でしょうか?