2月17日、今日は35年前の1979年に中越戦争が勃発した日です。日本では、鄧小平がベトナムを「懲罰する」として発動した戦争であると知られています。戦争は約1か月と限定的ではありましたが、その後ベトナム北部各省は中国に対する「国防」が最優先され、経済発展に必要な投資ができなくなるなど、フランス、アメリカとのいわゆるベトナム戦争とは違った、後に尾を引く、そして現在に至ってもベトナム人の心に大きな影を落とす戦いとなりました。戦争の詳述は他に譲りまして、今、この戦争がどう語られているか、そしてどう語られていないかについて、ここでは触れてみたいと思います。

(*昨日(2月17日)付で記事アップした際に、事実誤認があった点を2月18日付で訂正しました。)

【叫ぶメディア:35周年を伝えるベトナムメディア】
 「中国に対して警戒心たっぷり」「中国嫌い」などと良く言われるベトナム、中国の「侵略」を「撃退」したこういった記念日はさぞ広く祝われているのだろうと思われるかもしれませんが、ことはそう簡単でもありません。基本的に中越戦争はセンシティブな問題として扱われています。昨日の日曜日にも反中デモがあったというニュースがありましたが、あくまで小規模な範囲の中で許されているものです。

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16日TuoiTre紙一面。幼い兄弟をおぶって戦火を逃げる少女の姿が印象的です

 しかし、ベトナムのメディアはかなり飛ばしています。比較的ストレートな物言いで知られるTuoiTre紙は一日前の16日紙面には、戦火を逃げる幼い姉妹の写真を大きく載せて、同戦争の後世への伝え方、教科書での扱いに関する歴史家へのインタビュー記事を載せました。その反面、記念日当日の今日は紙面は急に大人しかったのですが、ネットメディアは今日もガチで中越戦争を扱う記事が多数。その多くは、公式行事などでこの記念日を大々的には取り上げない政府の態度に対して不満を示すかのような、防衛戦の意義を訴えたり、そこに参加した人々などへのインタビューをするもの。ベトナムエクスプレスなどは中国軍が侵入したベトナム北部国境6箇所のポイントを地図上に表し、各ポイントでの戦況を解説するページまで作り、ビジュアル的にもかなりのわかり易さです。

【黙る教科書:ベトナムの歴史教科書は中越戦争をどう語っているか?】
 活発に報道されるメディア紙上とは対照的なのが、歴史を伝えるという意味では非常に重要な、学校で使う歴史教科書。ここでの中越戦争の扱いは、政府公式見解という意味合いもあるため大変微妙です。ベトナムでの歴史教科書を買おうと思い本屋に行くと、現代史まできちんと網羅しているのは「12年生」、つまり高校3年生の教科書です。これを見ると中越戦争に関しては僅か1パラグラフだけで、その戦後への影響に比べると記述は非常に少ないものです。ベトナム戦争戦勝の記述の後は、現代における国家建設、経済発展と言った調子で外交マターはほとんど触れられていません。

 もうちょっとマニアックに見ていくと、同じ棚には同学年の歴史教科書「詳細版」があります。これは普通の教科書が所謂「必修」であるのに対して、より深く知りたい学生向けの自習用「参考書」という位置づけです。こちらも同様にわずか1パラグラフですが、「太字小見出し」を付けてもう少し強調しつつ、以下のように中越戦争についての記述がありました。

「カンボジアにおけるポルポト政権の反ベトナム政策に対し、一部の中国指導者は支持を示した。彼らは国境地域を煽動する、所謂「華僑迫害」(*)問題の濫用、支援の停止、(中国人)専門家の帰国など、ベトナムを困難に陥れ、両国の友好関係に傷をつけるような行動を取った。更に深刻なのは、1979年2月17日、中国は32師団を投入し、ベトナム北部国境をモンカイからフォントーまで1千キロを超える国境線で攻撃を仕掛けてきた。祖国を守るため、我が軍隊、特に国境6省の辺境防衛軍は勇敢に戦った。同年3月18日までに中国はその軍隊を引き上げた。」
(*)ベトナム戦争後、中越関係悪化に伴い、ベトナム政府が国内華人に対し締め付けを強めた問題)

 歴史学者のDương Trung QuốcはVNexpressのインタビューに答え、中越戦争は「侵略戦争に抵抗した歴史であり誇り」で、「抗仏、抗米のベトナム戦争を展示したホーチミン市の戦争証跡博物館は国内外の観光客を呼んでいるのに、なぜ1979年の中国との戦争は例外になるのか?」と述べた上で、教科書にどのようにこの歴史を載せたら良いかについて語っています。「歴史学者は教科書が戦争の歴史事実を隠さないようにしてほしいと願っているし、それと同時に民族間、国家間の敵対心をやたらに刺激して欲しくないとも思っている」。上記の必修教科書と「参考版」教科書の微妙な差じゃないですが、ベトナム政府の方針も有り「もっと書きたいが書けない」という微妙なバランスが読み取れるようで、また「どう載せていいか結論がでない」という苦悩も垣間見れて、非常に考えさせられます。
 (ちなみにですが、彼の名前の「Trung Quốc」は正にベトナム語で「中国」という意味。恐らく60歳前後の彼が生まれた頃には、子供に「中国」と名を付けられるほど、親密な関係の頃もあったわけですね。)

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ベトナム側の中越国境にて、両国友好を描いたもの。
このように共に歴史を語るにはまだ時間がかかりそう…。

【中国からの圧力なのか、愛国主義コントロールの問題か?】
 この戦争をどう扱うか、特に歴史教科書でどう扱うかは、当然中国との外交問題にも配慮しているでしょう。35周年に関しても「中国が記念行事を行わないようベトナムに圧力をかけている」 という噂も流れ、BBC Vietnameseではオレゴン大学にいるベトナム人研究者の意見として「圧力の有無はわからないが、ベトナム政府が中国に配慮して、或いは自国の中国に対する民族主義が高まり過ぎないように抑えているのは確か」と語っています。中国からのプレッシャーというのは想像されるところですが、民族主義の高まりが収拾つかなくならないようにというのは、まるで反日デモを時に抑えにかかる中国政府を想起させるかのようです。

 周りのベトナム人に聞くと、皆が知っているこの中国との戦いの歴史。結局教科書では多く語られていなくても、先生たちが自らの体験談などで色々教えてくれたと言います。ましてや、近年の中越間の領土問題などをきっけに、ネットを少し紐解けば当然この時期の戦争にも行き当たり、その事実を隠すことはできないはず。それでも教科書にはまだ多くを書けないという状況には、隣国間のパワーバランス、そして今もリアルに存在する中国との領土問題など、この歴史上の事実と現実とのあまりの距離の近さが強く関係しているのでしょう。

 昨年末には西沙、南沙諸島の問題は教科書で取り上げるべきとズン首相が指示したとの報道もありました。今後方向性としては記述が多くなる可能性もなきにしもあらず。この戦争がベトナム歴史教科書で詳しく語られる日はいつになるのでしょうか。