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将軍(しやうぐん)実朝(さねとも)卿、この道を好み給(たま)ふ。その上、故右大将(うだいしやう)の御歌も撰び入れられんと聞給(たま)ふに付けて、頻(しきり)に御覧(ごらん)ぜらるべき志おはしけるを、朝親、即ち定家(ていかの)卿に属して、和歌の道、稽古浅からず、既(すで)/に此(こ)/の\集(しふ)の作者に入れられ、読人しらずとは書かれたりけれども、歌の本意(ほんい)は有りけりと思(おもひ)喜ぶ所なり。

実朝(さねとも)卿、如何にもして、書(かき)-進(しん)ずべきの旨、望み給(たま)ふに依て、朝親、窃(ひそか)に写(うつ)して、鎌倉に下向し、将軍(しやうぐん)家に奉(たてまつ)りければ、大に御感(ぎよかん)の余(あまり)、朝親に様々の御引出物を賜り、歌の道、御物語ましまし、御詠なんども出されて見せ給(たま)ひけり。

S0402    ○頼家(よりいへ)卿御息善哉(ぜんや)鶴岡御入室の事/105p

同十二月二日、故頼家(よりいへ)卿の御息善哉(ぜんや)-公(ぎみ)、幽(かすか)なる御有様にておはしけるを、尼御台政子の御計(はからひ)として将軍(しやうぐん)実朝(さねとも)卿の御猶子(いうし)となし参(まゐら)せ、鶴岡の別当(べつたう)-宰相(さいしやう/の)-阿闍梨(あじやり)尊暁(そんげう)の弟子と定め、侍五人を相(あひ)-副(そ)へて、彼(かの)本坊に御入室ありけり。後は知らず。めでたかりける御事なり。出家し給(たま)ひて、禅師(ぜんじ)-公暁(くげう)と申せしは、此(こ)/の\御事にておはします。

今年いかなる年なれば、京、鎌倉、静(しづか)ならず、人の心も空に成りて、手を握り、足をつまだて、易きに居(を)る者、更になし。故右大将(うだいしやう)家の御時より、当家に忠義を存ぜし輩或は人の讒言により、或は自(みづから)恨(うらみ)を含みて、身を滅し、家を滅する者、所々に数を知らず。是(これ)に依(よ)つて、軍兵日毎に馳(はせ)違ひ、鎧の汗を乾す隙(ひま)なし。あはれ、

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