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重朝、三浦平六兵衛尉(ひやうゑ/の-じよう)-義村、和田左衛門尉義盛、同兵衛尉(ひやうゑ/の-じよう)-常盛、同小四郎(しらう)-景長、土肥(どひの)先(せん)二郎惟光、後藤左衛門尉信康、尾藤次(びとうじ)知景、工藤小次郎行光、金窪(かなくぼの)太郎行親、加藤次(かとうじ)景廉、同太郎景朝以下、その勢、雲霞の如(ごと)く、小御所の前に押(おし)寄せたり。比企三郎、同四郎(しらう)、相五郎、河原田(かはらだの)次郎は能員が猶子(いうし)なり。笠原十郎左衛門尉親景、中山五郎為重、糟屋(かすやの)藤太兵衛尉(ひやうゑ/の-じよう)-有季、此(こ)/の\三人は能員が婿(むこ)なり。是(これ)-等(ら)を初めとして、一族、家子(いへのこ)、郎従等我も我もと馳まゐりて、矢種を惜まず散々に射ければ、面に進む寄手の兵、矢庭(やには)に射(い)-伏(ふ)せらるゝ者三十余人、其外手負(てお)ふ者百余人、ばらばらと引(ひ)き-退(しりぞ)く。然れども敵味方、互に相知る輩なれば、後日の恥を思(おも)ふ故に、生きて名を流さんより死して誉(ほまれ)を残せやとて、又どつと攻(せめ)-懸(かゝ)れば、内より出でて追(おひ)-散(ちら)す。加藤次(かとうじ)景廉、景長が郎従等数百人、或は討たれ、或は疵を蒙りしかば、攻(せめ)-厭(あぐ)みたる所に、畠山重忠、新手(あらて)を入替へて攻(せめ)-付(つ)けたり。笠原十郎親景、討たれ、中山、糟屋も手を負ひたりければ、比企(ひきの)五郎、河原田〔の〕次郎、小御所に火を懸けて自害す。比企(ひきの)四郎(しらう)、一幡公を抱(いだ)き奉(たてまつ)りて、猛火の中に飛(とび)入りたり。女房(にようばう)達その外の輩、裏門より落ちて行く。能員が嫡男余一(よいち)兵衛尉(ひやうゑ/の-じよう)は女房(にようばう)の姿に出(いで)立ち、小袖打被(かつ)ぎて、戦場(いくさば)を遁(のがれ)出でしかども、景廉に見付けられて、首をぞ刎(は)ねられける。未刻(ひつじのこく)より申刻(さるのこく)まで一時の間に敵味方討たるゝ者、八百余人、手負ひたるは数知らず。軍(いくさ)、既(すで)/に果てければ、夜に入て、能員が舅(しうと)渋河(しぶかは)刑部丞を誅せらる。その外、余党等(ら)を尋(たづね)探し、死罪流刑/に

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