しかはあれど、今院宣(いんぜん)を辱(かたじけなう)し、父(ちゝ)が年来(としごろ)の勘当(かんだう)を許(ゆる)されて、洛(みやこ)へ上(のぼ)りぬる身(み)の、小事(しようじ)にかゝつらひて止(やむ)べきかは。よしや洛(みやこ)に赴(おもむ)きて、首(かうべ)を白刃(はくじん)の下(もと)に喪(うしな)ふとも、生涯(しようがい)不孝(ふかう)の子(こ)とならんには勝(まさ)れり。いにしへの常言(ことわざ)にも、「怪(あやしき)を見て怪(あやしま)ざれば、その怪(あやしみ)散(さん)ず」といへり。ふかくな心にとゞめ給(たま)ひそ。やがて帰(かへ)りまいるべし。それ野風(のかぜ)を逐(おひ)退(のけ)よ」と焦燥(いらだち)給(たま)へば、郎等(らうどう)うけたまはり、一人(いちにん)は狼(おほかみ)の首(くび)に〓(くさり)を繋(つけ)て、只管(ひたすら)これを牽退(ひきのけ)んとし、又(また)一人(いちにん)は棒(ぼう)をもてしば<”追遣(おひや)らんと致(いた)せども、野風(のかぜ)はなほ退(のか)じとて、支(さゝゆ)る棒(ぼう)に噬(かみ)つきつゝ、いと高(たか)やかに叫(さけ)ぶ声(こえ)、腸(はらはた)を断(たつ)ばかりなれば、人みな眉(まゆ)を頻(ひそめ)、げにも上洛(しようらく)あらんには、よき事あらじと思(おも)ふもの多(おほ)かりけり。白縫(しらぬひ)も八代(やつしろ)も、日来(ひごろ)雄〓(をゝ)しきにや恥(はぢ)らひけん、わりなくも留(とゞめ)得(え)ず。おなじ心をいへばえに、岩間(いはま)の水を堰(せき)かねたる心持(こゝち)して、袖(そで)濡(ぬら)さじといくそたび、志(こゝろざし)は励(はげま)せども、きのふは南海(なんかい)の〓(はる)けきに思(おも)ひを焦(こが)し、けふは洛(みやこ)へ旅(たび)たつ人の、ゆくすゑ更(さら)におぼつかなき、身のよしあしはともかくも、一夜(ひとよ)はこゝに、とばかりに、胸(むね)くるしげに見えしかば、為朝(ためとも)「呵〓(から<)」とうち笑(わら)ひゝ「男子(なんし)一トたび家(いへ)を去(さ)りては、妻子(さいし)を忘(わす)るゝ」とぞいふなる。禍福(くわふく)は天(てん)に係(かゝ)るものを、いとまさなくも見ゆるものかな。」といひ懲(こら)し、閃(ひら)りと馬(うま)にうち騎(のり)つゝ、鞭(むち)を鳴(な)らして出給(たま)ふ。嗚呼(あゝ)悲(かなし)きかな是やこの、行(ゆき)てかへらぬ主従(しゆうじう)妹夫(いもせ)の、契(ちぎり)も茲(こゝ)に絶(たえ)んとは、後(のち)にぞ思(おも)ひ合(あは)されける。