すべてこの日の歓会(くわんくわい)、その事どもに至(いた)りては、いふにさへ言語(ことば)にあまり、書(かい)つけんにはなほくた<しかるべし。

△さて為朝(ためとも)は衆人(もろひと)に対(むか)ひて、「われ苟(いやしく)も君父(くんふ)の幸福(こうふく)に因(より)て、風涛(ふうとう)の難(なん)もなく、異邦(いほう)に徃来(わうらい)して、容易(いとやすく)鶴(つる)を得(え)たる事、思(おも)へば徃(さき)に雷死(らいし)せし、乳母子(めのとこ)須藤季重(すとうすゑしげ)が賜(たまもの)ぞかし。その故(ゆゑ)は如此(しか)〓〓(<)也」とて、珠(たま)をもて鶴(つる)に換(かえ)し事、曚雲国師(もううんこくし)が幻術(げんじゆつ)、寧王女廉夫人(ねいわんによれんふにん)の薄命(はくめい)、紀(き)平治が水戯(すいれん)に至(いた)るまで、おちもなく物(もの)かたり給(たま)へは、衆皆(みな<)駭然(がいぜん)として耳(みゝ)を側(そば)たて、感激(かんげき)斜(なゝめ)ならざりし、其(そ)が中(なか)にも八代(やつしろ)は、夫(をつと)がこよなき挙動(ふるまひ)を聞て、いと娯気(うれしげ)に見えたりける。為朝(ためとも)又(また)宣(のたま)ふやう、「院(ゐん)より定(さだ)め下(くた)されし日数(ひかず)も、今はいくばくもあらぬに、父(ちゝ)もさこそ待(まち)わびて、心くるしくおぼすらめわれけふ直(たゝ)に上洛(しようらく)の首途(かとて)して、片時(へんじ)もはやく鶴(つる)を進(まゐ)らすべうおもふ也。しかれども夥(あまた)の士卒(しそつ)を領(い)てのぼらば、路(みち)も果敢(はか)どらず。却(かへりて)穏便(おんびん)ならざるべし。因(より)て従(したが)ひゆくべきは、透間主計悪七別当(すきまかすへのあくしちべつたう)、手取与次(てとりのよじ)、与(よ)三郎、大矢新(おほやのしん)三郎、越矢源太(こしやのけんだ)松浦(まつらの)次郎打手紀八(うちでのきはち)、高間(たかまの)三郎以下(いか)、廿六七騎(き)を限(かぎ)りとせよ又(また)紀(き)平治は長途(ちやうど)の疲労(つかれ)もあるべければ、吉田兵衛(よしたひやうゑ)、高間(たかまの)四郎等(ら)とともに残(のこ)り留(とゝま)り候(さうら)へ」と宣(のたま)はすれば、紀(き)平治すゝみ出て禀(まうす)やう、「それがし豊後(ぶんご)より付添(つきそひ)奉(たてまつ)り、たま<帰洛(きらく)し給(たま)ふなるに、残(のこ)り留(とゞま)らん事本意(ほんゐ)にあらすわが身(み)長途(ちやうと)の疲労(つかれ)あらは、君(きみ)も又(また)長途(ちやうど)に疲労(つかれ)給(たま)はざらんや。