第(だい)七回(しちくわい)@紀平治(きへいぢ)船(ふね)を逐(お)ふて鉄丸(まろかせ)を飛(とば)す|野加世(のかぜ)馬(うま)を駭(おどろか)して桿棒(よりぼう)を嚼(か)む@

△鎮西(ちんぜい)八郎(はちらう)為朝(ためとも)は、寧王女(ねいわんによ)母子(おやこ)をわりなく見すてゝ、東(ひがし)を浦(うら)づたひに只管(ひたすら)走(はし)り給(たま)ひつゝ、その日も既(すで)に暮(くれ)ぬれど、心いそがはしければ通夜(よもすがら)路(みち)をはせて、今は二三十里も来(き)つらんとおぼしきころ、鶏明(けいめい)暁(あかつき)を告(つげ)て郷(さと)もやゝ近(ちか)づきぬ。なほゆきとゆく程に、不意(ゆくりなく)もはじめ船(ふね)を着(つけ)たりし湊(みなと)に出(いで)給(たま)ひつ。この時(とき)天(よ)は明(あけ)はなれ、一艘(いつそう)の舶(つくのぶね)追風(おひて)よろしきとて、纜(ともづな)を解(とく)ありけり。これなん嚮(さき)に便船(びんせん)しつる、日本船(やまとぶね)なりしかば、心にふかくよろこびおぼして、やがてその船(ふね)に乗(のり)うつらんとし給(たま)ひしが、さるにても紀平治(きへいぢ)はいかにしつらん。彼(かれ)を棄(すて)て行(ゆか)んも義(ぎ)にたがへり。さればとてこの船(ふね)に後(おく)れなば、速(すみやか)には帰(かへり)がたし。とやせまじかくやせまじと、しばし躊躇(たゆたひ)て在(ゐま)せしが、いな<憖(なまじひ)に紀(き)平治をまちて、この船(ふね)に後(おく)れ、限(かぎ)りある日数(ひかず)を過(すぐ)さば、父(ちゝ)の存亡(そんぼう)も量(はかり)がたし。紀平治(き)はこの国(くに)に馴(なれ)たるもの也。縦(たとひ)棄(すて)おくとも帰(かへ)り来(こ)ざる事あるべからずと思(おも)ひかへし、直(たゞ)に船(ふね)に乗(の)り給(たま)へは、忽地(たちまち)帆(ほ)を張(はり)、舵(かぢ)をとり、東北(うしとら)を望(さし)て走(はし)らせける。